舞鶴空襲、経験者が慰霊碑建立へ 工廠跡一望の地に
終戦間近の米軍による舞鶴空襲の経験者たちが、犠牲となった学生たちの慰霊碑を建立する。軍事工場の舞鶴海軍工廠(こうしょう)で亡くなった学生と教員20人を追悼する碑で、工廠跡地にできた造船所を一望できる共楽公園(京都府舞鶴市余部上)に設置する。除幕式は空襲のあった7月29日に行う予定。
舞鶴市では1945年7月29、30日に海軍工廠を中心に爆撃があった。200人近くが亡くなったとされ、京都市などからの10代の学徒動員者も犠牲になった。空襲の手記集を発行した同市の市民団体に昨年、空襲で失明する大けがを負った橋本時代さん=昨年12月に死去=から建立の申し出があり、空襲経験者ら13人で建立委員会を結成した。
■6月末まで寄付募る
共楽公園内に高さ約1・6メートルの碑を建立し、犠牲になった京都師範学校(現京都教育大)など4校の生徒19人と教員1人(男性13人、女性7人)の名前を刻んだ石版も設置する。費用は600万円を見込み、橋本さんの遺族から寄付を受けるほか、委員会が6月末まで一般から募る。
委員長で舞鶴工業高等専門学校名誉教授の戸祭武さん(84)は「関係資料が破棄され、空襲の詳細は不明な点が多い。経験者も亡くなり、記憶が去りつつあるなか、平和への願いを慰霊碑に込めたい」としている。募金申し込みは委員会事務局TEL0773(62)5736。
【 2014年05月16日 10時20分 】