「不戦の誓い」どこへ 戦争の語り部怒り [福岡県]
「太平洋戦争の反省に基づいて決めた戦争放棄の9条をなし崩しにする、危険な内容だ」。福岡大空襲の記録活動に取り組む郷土史家の首藤(すどう)卓茂さん(66)=福岡市早良区=は憤る。
約20年前、図書館勤務の傍ら、米軍が終戦直後に福岡大空襲の体験者に聞き取りをした公文書の調査に着手。その約800枚を翻訳、出版するとともに、市内の若い教師に空襲の被害実態を伝える講師を務めたり、証言や記録を集めた情報紙を発行したりしてきた。
ライフワークとして調べてきたのは、戦時色に染まる時代に生きた人々の心の動きだ。当時の資料や日記をめくると、情報統制に塗り固められた日常が浮かび上がる。海軍志願者を増やせと迫られた教員たち、国への忠誠が絶対だった道徳教育、戦況悪化を伝えなかった新聞…。「『神風が吹く』などと、今では驚くようなことを信じていた市民が多かった。人の心は想像以上に操られやすいものだ」。当時の資料がこう物語っているように感じる。
政権だけでなく、国民の中にも集団的自衛権の行使容認を是とする声がある。「戦争を直接体験した世代が高齢化し、教訓が忘れられているのではないか」。自らも戦争を知らない世代として、語り継ぐ責任を感じている。
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「積み上げてきた日本の平和の在り方を根本からくつがえす。アジアをはじめとする諸外国との関係を悪化させる」。長崎原爆の語り部の末永浩さん(78)=長崎市=には、集団的自衛権の行使容認へ向けて解釈改憲を目指す動きは「憲法をないがしろにしている」と映る。
9歳の時、原爆投下から10日後に疎開先から自宅のあった長崎市に戻り、入市被爆した。一面焼け野原で、曲がりくねった鉄骨がわずかに立つ中、白骨や火葬の跡が散らばっていた。
中学教師だった1974年、教え子や修学旅行生に体験を語り始め、重ねた講話は約1300回。故山口仙二さんら被爆者の体験を紙芝居にする活動もしている。活動の原動力は「自分が体験した被爆や戦争という悲惨な出来事を繰り返してはならない」との思いだ。
憲法9条改正も集団自衛権の行使容認にも反対の立場。ただし、国民的な議論は否定はしない。それだけに、今回の報告書は「結論ありき。十分に議論されたのか疑問」と首をかしげる。首相がどうしても行使容認が必要とするのなら、時間をかけた議論を経た上で憲法改正を目指すべきだと考える。「解釈改憲は行政府の独走。司法や立法の領域まで踏み込むのは許されない」
=2014/05/16付 西日本新聞朝刊=