酔ってます。BGMはBONNIE PINKの「鐘を鳴らして」。うーむ、この曲は聞いているうちにジワジワとスルメのように味が出る曲じゃな(パティ風)。
ああ、世界は美しい……こんな美しい世界で、どうして人は醜いものを好んでとりあげて楽しみたがるのだろうか。もっと美しいものだけを見て考えて話題にして生きていれば、それだけで幸せになれるはずだよね。
酔うとこんなことばかり考えます。いや、シラフでも同じなんだけど、それをわざわざ書いたりしない。
ニュースを避け始めたはなし
さて、最近は意識してニュースを見ないんです。ニュースサイトも避けている。スポーツは別かな。
ニュースなんて悲しいことや辛いことやマジメなことばっかりじゃないか。そんなの見るぐらいだったらマンガやバラエティやスポーツや小説でも見ていたほうがマシだ、とある日思ったんですね。
だいたい、どっかの婆さんがオレオレ詐欺にあったとか、コンビニに強盗が入ったとか、子供がいじめられて自殺したとか、北朝鮮がいつもの様にミサイルを撃ったとか……
それを知ってオレになにかトクがあるかな?何もない。自分になにかできることがあるか?何もない。する気もない。
んなわけで、オレは世事にはすっかり疎くなってきたけど(^_^;)それでも、やっぱり心は軽くなった気がする。
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情報も知識も摂り過ぎると害になる
今は前ほど使われなくなったけれど、情強・情弱なんて言葉があるよな。あれもおかしなもんで……情報っていうのはたくさん持っていればいいもんじゃない。必要なぶんだけあればいいんだ(ここが知識と情報の違いですね)
そして、それをどう活用しているかが大事なんだ(これは知識も情報も同じですね)
必要のない情報をいっぱい持っていたって、それはいらない荷物を持ち歩いているのと同じなんじゃないかってオレは思う。重いだけじゃん?
頭が重いとひっくり返るよね……
身体にも持てる重量の限界があるように、健康によい食事量の限度があるように、心にも持てる情報量の限界ってのがあると思うね。
それを越えると、心に負担がかかりすぎると感じる。
あと、経験上、心を病むタイプの人には「必要以上に物事を知りたがる傾向がある」とも感じる。
情報の摂り過ぎが心を病ませるというのは絶対にあると思うね。
世の中には知らなくていいことのほうが圧倒的に多い
現代人は、江戸時代の50年分の情報を1日で処理すると言う話もある。あきらかに頭脳に負担がかかり過ぎるレベルの情報化社会じゃあ、あえて情報をシャットアウトするってのもアリだと思うんです。楽しく生きるために。
ネットではあまりにもイロイロな情報が簡単に手に入るが、それが本当に良いことなのかもう一度考えなおしてみたかった。
というわけで、自戒を込めて、こんな記事を書いたのでした。
ホントに必要な情報とはなにかな?
それは、もちろん最終的には本人が決定するものだが、職業や立場や生活状況によって大きく左右されることが多いだろう。
たとえば……
漁師にとっては、外国の戦争よりも、家の近くの漁場の天気のほうが大事だ。
母親にとっては、知らぬ土地の大地震より、自分の子供の風邪のほうが大事件だ。
女子中学生にとっては、次の首相が誰になるかよりも、彼氏との恋愛のほうがずっと重要なことだ。
これが健全だと思う。カーネギーもそんなことを書いていたね。
中国で百万人の餓死する大飢餓が起こっても、当人にとっては自分の歯痛のほうがはるかに重大な事件なのだ。首に出来たおできのほうが、アフリカで地震が四十回起こったことよりも大きな関心ごとなのである。
「人を動かす」より引用
自分の生活に根ざした情報感覚を忘れないようにしたい。おしまい。
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