さて、前回の「willの言いたいこと」から随分時間が経ってしまいましたが、その項の最後に予告した、「なぜ『時を表す副詞節(条件節)』にwillを使わないか」、にお答えしちゃいましょう。
前回、willには、はなっから「未来」という意味はありませんが、なにか?と世間を挑発してみましたが、そうは言っても、willはこれから先のことに関して、「よし、やろう」と意思決定したり、これから先のことに関して「〜なるだろうなぁ」と判断が傾いたりするわけですから、まんざら「未来」という意味がないわけでもありません。
でもね、それでも、「これは未来のことを言っているからwillを使うんだよ」という発想だけは、間違っています、圧倒的に。
つまり、willは「結果的に未来を表すことはあるけれど、未来だからwillを使うというのは、まちがい。」ということです。
前回やったとおり、willは「心が傾く」ということを根っこに持つ言葉です。そこから「やろう、やりましょう」と‘気持ちが傾く’「意志」と、「〜なるだろうなぁ」と‘判断が傾く’「予想」の二通りが主力の枝として伸びてくるわけです。したがって、「意志」や、「予想」が当てはまらなければ、当然
will は使いません。未来のことだろうが、そうでなかろうが、それはどうでもいいのです。
そんな当たり前のことがわかっていないから発生する学習上の大災害、それが「時を表す副詞節には未来のことであってもwillは使わない。」という、学校英文法最大のヘンテコルールです。
If it rains tomorrow, I'll stay at home. (明日雨なら、私は家にいるよ。)
コンマをはさんで左っかわの方、If のついてる方の文にご注目ください。tomorrowがある、ということは明日のお話ですから、当然未来のお話です。しかし学校で「未来」と教えたはずのwillはここでは使ってはいけない。なぜかというとそれがルールだからだそうです。理由はどうでもいいから、覚えなさい、と。
あのねぇ。ルールブックの中身を提示してそれで終りなら、先生なんて職業、いらないですよねぇ。
人間の言葉は人間の心が作るものです。神からルールブックを与えられてワケもわからずそれに従ってるわけじゃないんです。文法が人間の心によってつくられ、その文法がその言語の他の話者によって受け入れられ広く使われているということは、「心」がそのルールを合理的だな、と感じている理由がなにかあるはずです。もちろん何千年もの歴史を経て現代に存在するその言語の、全ての文法の成立理由を解明することは不可能です。それはその言語をしゃべる民族の何千年にも渡る歴史の謎を、全て解明するのに等しい作業だからです。しかしそれでも、少し言葉を研究すればわかることだっていっぱいあるでしょ。この、元お笑い芸人の、ただの予備校講師でさえ気付いていることがいっぱいあるんだから。
さて、本題に戻りましょう。ためしにif節にwillを入れて、
If it will rain tomorrow, ・・・
としてみると、そしてwillが「未来」などではなく、「意志」か「予想」だと考えると、ここにwillが入ることのおかしさが良くわかります。
まずこのif節のwillを「予想」だとかんがえると、こうなります。
「もし明日雨がふるだろうなぁ・・・」
おかしくありませんか?「もし」ということは、あした雨が降るかどうかはっきりしていない、という前提で話をしているはずです。ところが
It will rain.自体は「雨がふるだろうなぁ」と今心が傾いた(will)っていうことですから、雨が降るということに自分の判断は決定している事になる訳です。だから、「もし」と言っておきながら、「もう決まっちゃってるのかよ!」って話になっちゃってる。willの表す「予想」というのはこの場合こころが「晴れではなく、雨」の方に完全に傾いていることを示しています。
判断が完全に傾いてることを考えると次のような文は自然にきこえますよね。
It will rain tomorrow, so we'd better postpone the game.
(明日は雨だろう。だから試合は延期したほうがいい。)
これなんかは完全に「心の中で決まっている」ことをよく表してる文ですよね。したがって、「どうなるか、判断が決まってない」ことを意味する if 節の中で
will を「予想」の意味で使うことはありえない、ということになります。これは when や until など、他の「時を表す副詞節(=条件節)」でも同じことです。
○ Give me a call when he arrives. (彼が到着したら電話ちょうだい。)
× Give me a call when he will arrive.
上のwillの文がおかしいと思えるのはどこか。
例えば、He will arrive at seven. という言い方を考えてみましょう。これは「彼は何時に来るのかな?」ということに対して、「彼は7時に到着するだろう」というほうに今心が傾いた、つまり判断したということです。
(では、予想や判断ではなく、「彼が7時に来る」ということが決まってて、まず、変更はありえないだろう、というときにはどうするのでしょう?その時は『事実形』である、現在形を使います。・・・He
arrives at seven. (彼は7時に到着します。))
前回のwillの説明において「予想」の箇所で述べた通り、will は「未来の時制」ではなく、現在形の一種です。「今そういう判断に私は傾いた。」ということを表しているわけです。
上の文に戻ってみると、「彼は到着するのか、しないのか?」ということに対して、「えっとね、彼は到着するだろうよ。」、と「判断をしたとき(when)」に電話をしたって、しょうがないでしょう?実際に彼が到着したときに電話をしなければいけないんですから。
いかがでしたでしょうか。時を表す副詞節、といわれるものに、『予想』のwillをいれて、そのおかしさを解説しました。
次にwillのもうひとつの大きな柱、『意志』をあてはめて、時を表す副詞節を考えてみましょう。
If it will rain tomorrow,・・・・
このwillを意志だとすると、「もし明日雨が降るつもりなら」となります。雨に意志はありますか?ないですよね。だからwillは使いません。さて、もう一度、正しい文を見てみましょう。
If it rains tomorrow, I'll stay at home.
willを意志か予想だ、と考えることで、もうひとつスッキリと理解できることがあります。上の文、同じ「明日」という時間の話なのに、ifの方は現在形で、主節(「明日は家にいるよ。」)の方にはどういうわけか、willがつきますよね。willを未来時制だ、なんて間違えて考えてると、これは明らかに矛盾に映るはずです。ところが、willには未来時制なんて意味はハナっからなくて、意志か、予想だ、と考えてみましょう。そうすると、
I'll stay at home.
というのは、単に、「家にいるつもりだよ。」という本人の「意思表明」にほかならない、ということがわかります。意志を言っているんですから、willがつくのは当たり前なんですね。
さて、ここまで来て、「でもさ、要するに、『時を表す副詞節ならwillは使わない』って、そのルールだけ覚えときゃいいんでしょ?理屈なんていいよ。めんどくさい。」なんて思っている方もいらっしゃるかと思います。ところが、『時を表す副詞節』だろうが、willを使っていいときはあるんです。
If he will come to the party tomorrow, I'll introduce
him to Mr. Stow.
(もし、明日彼がパーティに来る気があるなら、彼をストウ氏に紹介してやるつもりだ。)
どうです?「意志」です。お天気に意志はありませんでしたが、「彼」には意志はありますよね。意志か予想が当てはまれば、willを使うのです。当てはまらなければ、使わないんです。それ以上でも、それ以下でもありません。もちろん、上の文は、will無しでもOKです。ただし、この時は、「ただの条件」のみを表す事になります。
If he comes to the party tomorrow, I'll introduce him to Mr. Stow.
(もし彼が明日パーティに来たら[=来るという条件が成立したら]、彼をストウ氏に紹介してやるつもりだ。)
この「意志を表す」ときの「時を表す副詞節」は、どうやら、if 節のときにしか使うのが普通のようです。たとえ、主語が人間でも、例えばwhenでwillを使うとおかしくなります。
× Give me a call when he will arrive.
(彼が到着するつもりの時に電話くれ)
→「到着するつもり」の時に電話もらってもねぇ・・。到着したら電話ちょうだいな。
さてさて、willと、時を表す副詞節のあたり。思えば、学校英文法は、ここらへん、例外だらけの文法ですよね。
「willは未来時制で、未来を表すときにはwillを使う」→「しかし、時を表す副詞節においては、未来であってもwillは使えない。」→「ただし、if節が意志を表すときにはwillを使っても良い。」
例外に例外を重ねて、まるで嘘を嘘でとりつくろうかのよう。「オッカムのかみそり」を例に出すまでもなく、「単純であればあるほどそれは真理」なのです。
willは「心の傾き」を根っことする、「意志と予想」が二本柱。それでいいんです。
ホームへ戻る
「この単語の言いたいこと」一覧へ
#
willの言いたいこと・その2/著作・時吉秀弥