いつもの中華の店でいつものように、
「(入る)口よりも(選んだ)目の方が大きかったね」と友人にたしなめられた。
この人は目は青いが箸もそこそこ上手に使えて、中華や和食をよく一緒に
いただく。
二人で座る四人がけの机には皿がところ狭しと並ぶが、もう入らない。出
すぎたお茶を二つの湯のみに注ぎ、ぶ厚い陶器の急須を少し上の方にかかげ、
近くのウェイターにお湯が欲しいと合図した。私らのテーブル担当の人は、
先程入ってきたアジア系女性と入口あたりで話しをしていた。ガラス越しに
前の通りが見えるが、女性の車はBMWのカッコいいの。角々しくクラシカル
な感じ。根拠ない競争心というやつなのか、目が追ってしまう。女性は服の
センスもあり、28歳に見える40ぐらいの成功者といった感じ。彼女は入口の
脇の、普段は従業員がまかないを食べる丸テーブルに着いた。やはり目で追
っていた友人が小さくはない声で言う、
「オーナーだな」
「いや、(ふつうの)持ち帰りする人ちゃう?」
「いや、ここのオーナーだな」
ここの店長は若くてヒップな中国人男性だが、彼女の方はこの日はじめて
見た。
しばらくすると担当のウェイターが湯を足した急須を持ってきた。
「美味しかったですかツツミマショーカ?」
ツツミマショーカ、つまり残りを包みしましょうか。彼らはどうして毎回
これを、ワンフレーズ棒読みのつくり笑顔で言うのか。謎。
持ち帰りの袋が厨房から運ばれて置かれたのは私達のテーブルではなく、
入口のテーブル。女性は袋を手に店から出ると、車に乗り込んだ。カッコよ
く走り去っていった。
「あの人今、払わんかったみたい。やっぱオーナーかな」
と聞く私に、彼女の持っていた鍵の束が大きかったことと、それをあまり
にも無造作に、テーブルの上に置いていたことを友人は指摘するので、にわ
かに納得。この人はちなみに探偵業の人ってわけではないのだが、いろいろ
物知りで戦争も経験している。なるほど、鍵は、閉じ込めるべく何かを所有
する者が持つ物だ。さらに彼がぼそりとつぶやく、鍵の数だけ責任やストレ
スも増えるのだと。それはこの私には今日の今日までわからない。
*
鍵束といえば、こんなのがある。
アルブレヒト デューラー『受難シリーズ(小)より』1507年
ひとり大きな鍵束を腰につけた女性がいる。家柄の良いとされる彼女は、
たった今、十字架から下ろされた親愛なる友人の死を嘆いているわけだが、
これでは鍵がジャラジャラいいそうでリオデジャネイロだ。だいじょうぶか。
この銅版画は、後にルネッサンスと呼ばれるところの時代に芸術の華咲く
イタリアを旅し、ドイツの商工業都市のニュルンベルクへ戻ってきたばかり
のデューラーの作。が、服などに異国情緒は見られず、錠前屋の婿養子でも
あった彼に、このマリア マグダレーナをいいとこのお嬢風に仕上げるために
思いついた小道具が、この鍵束だったのである。なんだかあまり悲しくなら
ない一枚ではあるが、嫁サン想いとでもしておこう。
*
支払って、詰めてもらった残りもんの袋を持ち外に出た。5月の午後の日
差しはまだきつい。友人が立ち止まり、おもむろに小さくはない鍵束をとり
出すと、一つ外して渡してきた。彼のマンションの鍵だ。責任でも権力でも
なく、ただ嬉しい出来事として私のキーホルダーに足した。
これが今から十数年前のこと。もうその時もらった彼の鍵は、私の小さな
キーホルダーについていない。今はそれが一つの鍵になった。私と彼んちの
鍵に。
それではまた、一週間ほど先に
2014年 5月17日
温泉卵が作れない でした
【あとがき】
ちょっとひとりで照れてます(アホか)。
こちらでもちょくちょく登場していたあの人です。
今後とも温泉卵(略称)の友人としてお見知り置きを。