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17 May 2014 14:33

国際【湯浅博の世界読解】「すべて日本が悪い」は神聖不可侵の命題なのか+(2/2ページ)(2014.2.5 14:04

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【湯浅博の世界読解】
「すべて日本が悪い」は神聖不可侵の命題なのか

2014.2.5 14:04 (2/2ページ)

 韓国メディアになると、その民族的執拗と反日ビジネスとが重なって思考方法が形作られるらしい。何年か前に、韓国の済州島で開かれた日韓編集セミナーに参加して、中央日報の盧在賢論説委員(当時)の基調報告に「なるほど」と納得したことがあった。

 彼によると、韓国の報道姿勢は、靖国、教科書、竹島問題など日韓の微妙な問題を扱う際は、はじめに大前提を立てて事実を積み上げる「演(えん)繹(えき)法」であるという。大前提とは、いうまでもなく「すべて日本が悪かった」という神聖不可侵の命題である。従って、韓国紙の論調は「断定的な考え方、同義反復、誇張、論理の飛躍などが生じる」と自嘲気味に語っていた。盧委員はそれを「空虚な演繹法」と呼んだ。空虚な例でいえば、盧(ノ)武(ム)鉉(ヒョン)政権が打ち出した親日・反民族行為者の財産の国家帰属に関する法律が当てはまる。

 その中央日報が安倍晋三首相の靖国参拝後の1月9日付で、喧嘩ばかりしていないで日本を利用したらどうかとする「用日論」を打ち出した。27日付でも「親日派がもっと出てこなければならない」との記事を出した。マッチポンプだと思わぬでもないが、現実に立ち返って「空虚な演繹法」に思いをはせたのか。もっとも、盧委員は日本メディアについては事実を積み重ねて結論を導く「帰納法」であると指摘し、「狭量な帰納法」と定義していた。

 演繹法と帰納法が交錯しては、日韓の相互理解は得られるはずもない。だからこそ、相互の違いを認識することが第一歩ではないか。違いが認識されれば、次には数少ない共通項を探すことになる。(東京特派員)

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