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対談:野呂美加さん×中西研二 原動力は「母の愛」それだけが放射能に負けない力

―ベラルーシの被災した子どもたちを支援して―
自分の子どもの食物アレルギーがきっかけで、体にあう食事を探して悪戦苦闘しているさなか、チェルノブイリ原発事故による放射能汚染地域の子どもを保養させる運動に関わることになった野呂さん。その一連の活動の中で見せられたのは微生物の働きや原子転換、母の愛のエネルギーの強さなどの宇宙の壮大なドラマ。今年で18年目になる保養里親運動の活動で日本に受け入れた子どもも600人を超えたということです。先の見えない被災地の現況に向きあいながらもエネルギッシュに活動を続ける野呂さんに、これまでのお話を伺いました。
この対談は2010年のものです。東日本大震災後の対談はこちらをご覧下さい

原動力は「母の愛」それだけが放射能に負けない力

野呂美加さん×中西研二

野呂美加(のろ・みか)●平成4年、チェルノブイリ被ばく児童の救援活動をおこなう「チェルノブイリへのかけはし」の発起人として29才より活動。18年間に日本に招待した子供たちはのべ639名、汚染地域訪問は20回以上。平成12年、玄米菜食のレストラン「葉」(札幌市)を始めケビンと出会う。昨年、閉店し、夫の仕事の手伝いのため27年住んだ札幌から北海道北見市に移住。次世代に残される放射能問題を少しでも減らすことができるための活動をライフワークとしている。平成17年外務省外郭団体国際交流基金より「地球市民賞」授与。
ホームページhttp://www.kakehashi.or.jp/

中西研二(なかにし・けんじ)●1948年東京生まれ。NPO法人『JOYヒーリングの会』理事長。有限会社いやしの村東京代表取締役。ヒーラー。ワンネスディクシャインストラクター。新聞記者、セールスマンなどさまざまな職業を遍歴の後、1993年に夢の中でヒーリングを伝授され、以来17年間で19万人を超える人々を癒し続けている。また、2004年9月にワンネスユニバーシティでワンネスディクシャという手法を学び、以来、この手法を通して、多くの人々がワンネスの体験を得る手助けをしている。著書に『そのまんまでオッケー!』『悟りってなあに?』『あなたはわたし わたしはあなた』(共にVOICE刊)がある。

チェルノブイリ原発事故は人類全体の問題

中西 野呂さんとのお付き合いはもう9年になるのでしょうか。北海道においしい酵素玄米を食べさせてくれるお店があるということで訪れたのが最初で、以来、北海道に行くたびに寄らせてもらっています。野呂さんはまた、チェルノブイリの原発事故で被爆した子どもを日本に転地療養させる里親運動もされていますね。酵素玄米と里親運動。それら全部が野呂さんの人生の中で一環した流れだったと思いますが。

野呂 そういうふうに受け止めてくださる方はなかなかいらっしゃらないのです。

チェルノブイリの原発事故でいわゆる「死の灰」の70%が隣国ベラルーシに降り注ぎました。そこで被災している子どもたちの転地療養のため、私たちは現地の生活状況を調べたり、交流も含めてもう20回以上は行っていますね。長期に渡って現地の様子を見てきましたが、状況はいまでも悲惨です。放射能に汚染されていて、土地としてもう死んでいる場所なんですよ。日本の基準なら厳重に封鎖されて人っ子一人いないような高濃度の放射能汚染地域に今でも200万人くらいの人が住んでいます。でも事件直後に、移動できる人はみんな逃げていきました。初めは共産党幹部から、次によその土地でも働ける人などです。それで最後に残ったのが、子だくさんの農民や戦争で体が不自由になった人、経済的な理由からよそに移ることのできない人たちばかりです。

そこに住んでいる子どもたちは、今でもその地域で採れる汚染された食べ物を食べて生きていくしかないのです。子どもたちはもうチェルノブイリの事故から二世、三世になっていますが遺伝子のトラブルを抱えていて、見た目には問題なくても骨が形成されないとか、成長する段階で想像できないような問題が起きるということが、いま非常に増えてきています。今後、こういう状況で子孫を増やしていくことは難しいと思います。

また、社会的、精神的にも問題があります。私たちが初めてベラルーシを訪れたときには、ロシアの伝統が根付いた古きよき時代の農村といった感じで、牧歌的な雰囲気のなか、子どもたちもみんな温かく育っていたんですよ。ところが被爆から10年くらいたつと、あっという間に社会全体が崩壊したんです。

失業からくる生活苦、そしてアルコール依存症、子どもへの虐待問題、そういう環境で育つ子どもたちの精神不安、放射能の影響と見られるさまざまな病気などの問題が表面化してきて、まるで「世界の終わり」を見ているようでした。

このようなことはチェルノブイリの事故に限定されるものではなく、私たち人類全体が生き方を変えなければ、どこでも起きうることだと思いますよ。

 

微生物の働きで、体も環境も改善されていく

中西 世界には日本にいるだけではわからない事実がたくさんありますけど、チェルノブイリの事故もその一つですね。野呂さんたちが行っている、現地の子どもを日本に転地療養させている期間は一カ月くらいだと聞きました。その間に子どもたちは目に見えて変わっていくのですか?

野呂 日本に来たばかりの頃は、みんな食べたくても食べられないんですよね。毎日汚染されたものを食べているから胃腸障害になって、消化能力が低くなるんです。だから、バナナや生のトマト、キュウリしか、のどを通っていかない。それもほんの少量。それで保養して半月ぐらいすると普通に食べられるようになったんです。

最初は、「どうして日本に来たくらいで子どもたちが元気になるんだ」って言われましたが思いつかなかったんですね。でも、新鮮なビタミンやミネラル、そして酵素には被ばくで錆びついた体を元に戻す力がある。人間の体内に酵素が減少すると生命力も減少する。だから酵素を体内に取り入れることがとても大事なんですね。

被爆で髪の毛が伸びなかったのに髪に艶が出てきて伸びるようになってきた子がいて、せっかく伸びた髪の毛を切りたくないって言っている子もいました。

長岡式酵素玄米のすごいところは、有機ゲルマニウムや酵素源を発生させていることです。釜の中で原子転換させて、あるはずのない物質が生まれているんですよ。これは絶対すごい。娘のアレルギーもそれで良くなったのかと納得し、これはみんなに知ってもらいたいと思いました。

中西 やっぱり酵素玄米が放射能のような毒素を消してくれるんですね。

野呂 そうでしょうね。波動が高いものだと、放射能の負のエネルギーを原子転換させることができるようなんです。EM菌を発見・普及されている比嘉先生は「放射能のような強いエネルギーの中で増殖する微生物がある」とおっしゃっていました。実際、ベラルーシで比嘉先生のEMXを使いましたが、効果があったんですよ。

中西 え!EMで効果があったんですか?

野呂 汚染地でEMX を飲んで、体内の放射能値がゼロになった人もいます。かなり放射能汚染のひどいところにEM菌を撒いて2、3年後に計測したら、蒔いたところだけ放射能反応が感知されませんでした。

中西 本当に!?大地が生き返ったんですね。

野呂 私たちも最初は絶望的だったんですよ。でも、微生物のつくりだす酵素の働きやエネルギーの変化、そういう現実を目の前にして絶望しなくていいんだなって。今の科学では説明できなくても、もうちょっと波動の科学が進んだ未来には・・・って思うようになりました。

中西 なるほどね。希望があるってことですね。

 

援助活動を支えていたのは「母の愛」という強い正のエネルギー

中西 酵素玄米から微生物の働きまで、長い時間をかけてひとつの答えを導きだされたわけですね。でも、ここまでくるのに順風満帆だったわけではなかったのでしょう?

野呂 自分自身も甘かったと思うんですが、はじめはたくさんの人が応援してくれると思っていたんですよ。そしたらものすごいバッシングにあって…(笑)。

現地にはまだ、200万人の人が汚染地域に住んでいて、私たちが募金を集めて日本に連れてこられるのはたったの30、40人なんですね。それが差別だと。他にもいろいろあるんですが、現実の問題として募金を集めなくちゃいけないし、民族の違いによるトラブルもたくさん起きるんですね。そういうのに追われていたら18年たっていて、その活動の原動力が何だったのかを考えたとき、それは「母親の愛情」だったのではないかと気づいたんです。

子どもたちをまた汚染地域に帰すために空港まで見送りにいくんですが、一カ月の滞在で一年ほどしか免疫力が持続しません。たった一年ほどの元気のお土産しか渡すことができなくて、本当に心苦しいんですね。

根本的な解決はまだ闇の中であっても、でもこの活動をやめることはできないのです。これは世界中の人が同じような気持ちで取り組んでいます。そこにはなんのイデオロギーもなく、ただ人間としての自然の感情だと思うんです。まだこちらは汚染されていませんから、チェルノブイリの子どもたちがそれで元気になるなら連れてきてあげたい。自分がもしベラルーシでお母さんをやっていたなら、子どもを安全なところに送りたいと当然思うでしょう。その突き動かす原動力こそずいぶん後になって「愛」なんだと気がついたんです。それを差別だとか、一カ月程度の滞在で何の効果も期待できないとか、薬品を現地に送った方が効果的などと批判する人たちは、しょせん知識でしか理解できていない人たちなんですよね。「全部を救ってあげられないのならもうやめたほうがいい」という考え方は絶対おかしいと思うのですよ。

中西 そのとおりですね。

エネルギッシュな対談で、心も笑顔に

エネルギッシュな対談で、心も笑顔に

野呂 学校の先生とか、お医者さんとか他の土地に移れるのに現地に残って活動している人もたくさんいます。そういう人たちが残っていないと子どもたちの救援もできないし、社会が混乱してしまう。彼らは自分の命と引き換えの覚悟でやっているんですね。

放射能は味も色もないから、多くの人は放射能に対する危機感が低いんです。でもお医者さんなど現地に残っている人たちは、自分のしていることが(放射能から受ける影響の)一線を超えてしまっていることを知っています。知っていて残っているんです。どうして死を覚悟しながら残ることができるのかなって考えると、それはやっぱり「愛」なんですよ。

以前、現地に残っている女医さんに「チェルノブイリの事故から20年。それは、あなたの人生にとってどんな意味がありましたか?」と、聞いてみたことがあるんです。そしたら「逃げようと思えば私はいつでも逃げることができた。けれど小児科医として、私はチェルノブイリに勝ったのです」と答えてくれたんです。

中西 医師としての「愛」ですね。

野呂 そうなんです。結局、放射能も波動の一つだと思うんです。すべてを奪いつくす強力なエネルギー。だから不安とか恐怖とかちょっとでもマイナス思考のところに放射能は入ってきて吸着する。それを包み込む強力なエネルギーが愛の波動なんです。人間の愛の波動だけは放射能に負けないと思いますね。

長い活動の中で、自己犠牲を惜しまず被災者のために働いている人々に出会うと、あれだけ高濃度の放射能の中に20年もいて癌にもならず、やっぱりこの人たちは愛の人たちだから神様も命を奪わないんだな、とじんときます。

中西 私もヒーリングを長い間していますが、何度も奇跡を見てきました。そこで感じる愛の波動について、説明できないんですよね。知識ではなく、体感するしかないんですよ。でもそれが「唯一」のエネルギーというのはわかりますね。

野呂 いま、ベラルーシ政権が変わってこういう援助活動が難しくなってきています。この先の希望の光がひどくか細いものであるように思えます。

中西 それでも我々は未来に期待したいですね。今日は本当にお忙しい中、ありがとうございました。(合掌)

この対談は2010年のものです。東日本大震災後の対談はこちらをご覧下さい

「いやしの村だより」2009年9月号掲載

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