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LOG HORIZON

ログ・ホライズンex竜吼山脈4

「疫鬼《イィグィ》?」
カナミの言葉にヤグドは頷いた。

「それって、何?」
「……判らん。見たのは、今回が初めてだ。商人から話は聞いていたが……」
ヤグドは、重ねて頭を振った。表情は重々しく、村のとりまとめ役、事実上の村長ではあったが、疲労の色が濃かった。

ここはヤグドの家だった。日干し煉瓦で作られたこの家は、開口部や窓が四角くあけられて、風通しが良い。遊牧と定住放牧の中間的な文化を持つこの村では、家屋と呼べるものの半数が日干し煉瓦で作られた簡素なもので、残りの半数は、分厚い布地で作られた天幕だった。
中には木材で補強したり、床を造った家もある。ヤグドの家は、外部から客人を迎える、村全体の応対場所という意味もあるのだろう。周囲の家よりも倍は大きく、中庭にあたる場所を囲む数棟の四角い居室からなっていた。

そのヤグドの家、五メートル四方程の広間で、レオナルド達一行は、ヤグドと先ほどの騒ぎについて話しているのだった。

「どんな話を聞いたのだろうか? ヤグド殿」
相手が誰であろうと、気さくな、それでいて丁寧な印象を与えるエリアスの口調は変らない。その問いかけに答えて、ヤグドは、山羊のような髭を二、三度しごいた後、思い出しながら話し始めた。

「アオルソイの荒野には、最近、奇怪なる化外憑きが現われるそうな。それを疫鬼と呼ぶと聞いた」
「うん」
そろそろ、窓の外はあかね色に染まりつつある。
部屋の中では早くも囲炉裏に火をくべて、湯を沸かすヤグドの老妻の姿も見えた。

「疫鬼は荒野に出ると言う。滅びた村の生き残りだとも、気が触れているのだとも、魔物に憑かれたのだとも言う。放牧をしていると羊を奪われるという話だ。羊をその場で殺して、喰らうのだという。その姿から悪鬼、疫鬼と呼ぶ」
ヤグドの声は低くしわがれて響く。

「しかし、村人は襲われぬのだそうだ。人が見えないかのように、通り過ぎる。だが、暴れぬと言うのではない。時には狂うたかのように、荒野で血に酔っているのを見ることもあると聞く。そして、〈冒険者〉の方を見つけると、襲うとも聞いた」

レオナルドは、かすかに頷く。
ステータス画面で見た表示、〈灰斑犬鬼〉《ノール》が事実であるのならば、説明の付かない事態ではない。
〈灰斑犬鬼〉は確かに邪悪な亜人間だが、〈大地人〉は襲わない。別段善意からではなく、狡猾《こうかつ》で臆病なためだ。〈大地人〉を襲えば集団で防御策を採られることを知っているためである。〈灰斑犬鬼〉は〈大地人〉そのものより、その家畜の方が狙うのだ。
その一方で、〈冒険者〉を見かければ積極的に襲いかかってくる。〈大地人〉は見逃せば逃げ出すと判っているが、〈冒険者〉は自分たちを駆逐するためにやってきた『敵』だと認識しているらしい。

あの少年が〈灰斑犬鬼〉だったとすれば、初めはカナミに、次いで自分たちに襲いかかってきたのも納得がいく。〈大地人〉は〈灰斑犬鬼〉にとって、襲うべき価値もない『虫けら』なのだ。
しかし、それは、レオナルド達を襲った説明にはなっても、人間の姿を持っていた説明にはならなかった。

「ヤグド殿。わたしは、疫鬼と言うのを聞いたことがないのだが、それはこの地方では昔から語り継がれているものなのか?」
「いいや、それは違う。わしらも初めて聞いてから、三ヶ月とは経っていない。急に現われたのだ」
エリアスの言葉に老人は応えた。

「じゃ、あの少年は、その」
「この村の出身者なのですカ?」
カナミとコッペリアの質問の答えは『否』だった。
確かにこの地方に済む〈大地人〉の特徴を備えているが、この村の出身者ではないそうだ。
その少年当人は、同じ広間の一角で毛布に包まれて寝ている。コッペリアの施した呪文治療は、状態異常に続いて、裂けた右腕も回復させていたが、意識が戻るには至っていない。

レオナルドから見れば、少年はもう危険には見えない。
何よりそのステータスは、名前セジン、レベルは二、職業〈開拓民〉と表記が安定している。こうして寝顔を見ていても、そこらを歩いている〈大地人〉の少年と変わらない。バグじみたあの表記の方が、悪い夢だったとしか思えないほどだ。

「……この少年が」
「この少年は正常だとコッペリアは保証しマス」
ヤグドは少年の顔をしげしげと眺めた。
その顔には、嫌悪は見えない。労るような色があるばかりだ。

「どこかの村からさらわれたとか、行方不明と言うことなのでしょうか」
「それは判りませんな。この少年のブーツは相当に傷んでいました。服もすり切れ、ぼろぼろです。かなり長い距離を移動してきたように見受けます。……数ヶ月のあいだ彷徨《さまよ》っていたかと」

ヤグドの言葉にカナミが頷いている。
レオナルドは、そのカナミの態度に、何か情報を知っているのか納得しているのかと訝《いぶか》ったが、肩をすくめたエリアスの表情をみると、そう言うわけでもないらしい。

その後も、幾つかの細かい質問をしたが、ヤグドからそれ以上の情報は得られなかった。
カナミが持ち前の愛嬌で頼み込んだ結果、ヤグドは快く食料を分けてくれる運びとなった。もちろん、多少の金貨と引き替えではあったが、それは〈冒険者〉であるレオナルド達にとって大きな額ではなかったし、このような辺境の村では、食料を分けてもらえると言うだけで有り難いことだった。

しかし、カナミや仲間たちと話し合った結果、レオナルド達一行は、数日の間村へ滞在することに決定した。
村長ヤグドの話では、数日後には交易商人が訪れるとのことだったからだ。なにぶん、セケックは小さな村だ。村人達は、滅多に旅をしない。自ずとその手持ちの情報は限られたものとなる。
消耗品の購入や街道の様子などの情報も、旅商人のほうが豊富に持っているのは明白だった。

カナミの話を聞いた以上、レオナルドとしても日本サーバーを目指したい気持ちが芽生えてきている。〈大災害〉の謎を解明するという話は荒唐無稽すぎてまだぴんと来てはいないが、それでも、新パッチは魅力的な話だ。いまより高い戦闘能力を身につければ、安全度が増す。それは、ビッグアップルに戻ったときにも役に立つはずだ。

だが、このアオルソイの大地は、未開の荒野だ。この間の廃墟のような事例がないとも限らない。なんの情報もなくただひたすらに日の昇る方向に進めば日本に辿り着くなどと言うのも、甘い考えだろう。
交易商人が来るのであれば、数日待ったとしても情報を得ておいたほうが良いというが、レオナルド達一行の判断だった。

この判断をするために一行は馬小屋まで行って相談をした。もちろん、KR《ケイアール》にも話し合いに参加してもらうためだ。
KRは聴力が良いようで、隣接した馬房からも、ヤグドとの話の内容を把握していた。
話を把握しておいてもらうのは、相談をするに当たって都合がよいのだが、そのKR自身は随分と機嫌を害していた。馬房が気に入らないらしい。彼が言うには、同じ房にいる牝馬が色目を使ってくるというのだ。

「KRもてもてじゃないっ」
「もう一言でも喋ってみるんだな。カナミ。手足の関節を一つずつ増やす特殊魔法を披露するぞ」
あっさりと言い返されて、口を尖らせていじけるカナミを放置して相談した結果、やはり村に数日滞在するということで固まった。ヤグドが一行に宿の提供を申し出てくれたことも大きかった。レオナルドとエリアスで一室。カナミとコッペリアで一室だった。
KRは当然馬房と言うことになり、ごねたのだが、レオナルドとエリアスの取りなしでなんとか納得してもらうことが出来た。カナミは「らぶほてる」だとか言いだして、一時はあわやKRの前蹴りを喰らうところだったとしてもだ。

「それにしても、アレはなんなんだろうな」
「……」
レオナルドの言葉に、仲間たちは口をつぐんだ。レオナルドにしたところで、答えが返ってくるとは思っていない。あのようなステータス表示を、レオナルドは見たことがなかった。バグだとしか思えない。

「自分は初見の現象だ」
「妖精族の伝承でも、思い当たるものはありませんね」

――未知のバグ。
レオナルドはその考えにぞっとする。セジンは〈大地人〉だったが、このバグが〈大地人〉意外には発生しないと、誰が保証できるのだろう。確かにこの世界では〈冒険者〉は不死のようだ。例え戦闘で倒れたとしても、神殿へと転送され、蘇生する。
しかし、あの少年のような存在になったとき。
あのようなものになってしまっても、それは『不死』といえるだろうか?

あのようになって、なお死ぬことだけはない存在が居るとしたら。その存在はこの世界における災厄であろうし、その当人にとっては醒めぬ悪夢、生きながらに落ちる煉獄だ。

「あれは、状態異常回復呪文で対処できる種類の『何か』なのか?」
KRの質問に、コッペリアは答える。
「コッペリアは違うと判断しマス。なぜならば、コッペリアが該当する呪文を詠唱した段階で、ステータス表示はすでに通常状態に戻っていたからです」

「では、レオナルドの麻痺攻撃があの症状を除去する役に立ったと」
「その考えも外れていると思うな」
レオナルドは、緑色のすっぽりとしたヘッドスキンに覆われた顎に手をやって考える。

「僕の武器はかなり良いものだが、炎の追加ダメージを与えるだけのものだ。使用した特技も《パラライジング・ブロウ》で、麻痺以外の特殊な付帯効果があるものではない」
「……」
レオナルドの声に、いつもはちょっと口数が多いほどのKRも黙り込む。当たり前だ。誰だってあんな状態にはなりたくない。

対応するだけであれば、話は簡単だ。
確かに亜人間種のモンスターはレベルに幅がある。しかし、いくら幅があるとは言え、〈灰斑犬鬼〉である。そのレベルは高くて五〇が良いところだろう。レオナルド達にとって恐ろしい相手ではない。

だが、あの不気味な症状には、戦闘能力とは違った、心の奥底にある原始的な恐怖を呼び覚ます何かがあった。
見開いて光彩を失った瞳。血液混じりの唾液を止めどなくこぼす、犬歯の伸びた口。いびつに曲がり、人間の身体で無理矢理獣の動きを再現しようとする四肢。いずれもが、不吉な昏いオーラを纏っている。

レオナルドだって相手になどしたくはない。

「ま、ま。でもさ。あんなのがいっぱいいるわけ無いでしょ」
「それはそうだ。この村の人々も初めて見たと言って居た。一定数以上居るのならば、そのような頻度では済まぬだろう」
カナミの取り直すような言葉をKRが引き受けた。

レオナルドはその言葉に頷きながらも、釈然としなさを感じていた。この事件がこのままでは終わらないような、より深く関わらなければならないような予感を感じていたのだ。

そしてそれは正しいのだった。