英誌エコノミストは評価
安倍晋三首相にとってはうれしいニュースだ。国際情勢の分析で世界最高の評価を得ている英誌エコノミストが最新号で、安倍首相の安全保障政策を「Japan’s prime minister is right to start moving the country away from pacifism」と評価した。
「日本の首相が平和主義から脱却しようというのは正しい」という意味だ。英語の「pacifism」は、日本の「侵略戦争の否定」という意味を越え、反戦、不戦、兵役拒否の意味を持つ。
日本さえ何もしなければ地域の平和と安定は守られるという消極的な一国平和主義を改める安保政策の変更は正しいとエコノミスト誌が評価したわけである。これは大きな成果だ。
プロパガンダ戦争の現実
国際都市ロンドンでは、常に熾烈な「プロパガンダ戦争」が繰り広げられている。元ソ連国家保安委員会(KGB)ロンドン支局長のゴルジエフスキー氏に5時間近く「プロパガンダ戦争」の実態についておうかがいしたことがある。メディアは情報源によって報道ぶりが大きく左右される。その情報源には国家の情報機関が関与していることが多い。
中国の外交官、広い意味での情報関係者、中国資本の影響を受けているジャーナリストはいつしか、中国の国益を代弁するようになる。
英紙フィナンシャル・タイムズのフィリップ・スティーブンズ記者が書く記事も公平にアジアの安全保障問題を分析するようになってきた。精力的に欧州を訪問し、英国やフランスと防衛協力の範囲を広げてきた安倍外交は実を結び始めている。
米紙ニューヨーク・タイムズはまだ、安倍政権に手厳しい。日本メディアはどうか。
朝日新聞社説
「集団的自衛権―戦争に必要最小限はない」「日本が攻撃されたわけではないのに、自衛隊の武力行使に道を開く。これはつまり、参戦するということである」
毎日新聞社説
「集団的自衛権 根拠なき憲法の破壊だ」「憲法9条の解釈を変えて集団的自衛権の行使を可能にし、他国を守るために自衛隊が海外で武力行使できるようにする。安倍政権は日本をこんな国に作り替えようとしている」
破綻している安倍批判の論理
こうした主張は破綻している。国連憲章で明文化された集団的自衛権の行使を認めていない国は世界広しといえど日本しかない。集団的自衛権が戦争を抑止し、世界の安全保障に資してきたのは揺るがしようがない事実である。北大西洋条約機構(NATO)も2001年の米中枢同時テロまで集団的自衛権を行使したことはなかったし、日米安保も日本に平和と繁栄をもたらした。
エコノミスト誌は、集団的自衛権の行使を認めていない憲法解釈を改めて、日米同盟を強化することはアジアに安定をもたらすと指摘している。
年内に控える日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の再改定に集団的自衛権の解釈変更がどんな形で反映されるのか――が筆者にとっては最大の関心事だった。
エコノミスト誌は、朝鮮半島有事、尖閣周辺や台湾への侵略行為への対応、サイバー戦争に対する協力強化が解釈変更の最優先課題と分析している。
筆者は、年内の日米ガイドラインから逆算して、米国の要請に基づき、集団的自衛権の憲法解釈変更を急いでいると思い込んでいた。
安倍イニシアチブ
しかし、日米関係に詳しい外交筋の説明では、解釈見直しは安倍首相のイニシアチブだそうだ。これは日本の外交・安保政策にとって大きなターニングポイントになる。日本が自発的に日本とアジア・太平洋地域の安全保障ビジョンを米国に示す足掛かりになる。こうした「戦後レジームからの脱却」なら大歓迎だ。国際社会も批判のしようがない。
中国とベトナム、フィリピンの緊張が高まる南シナ海には世界の海上輸送の約3分の1が集中する。
中国は南シナ海で、南沙、西沙諸島は自国の領土だとする「領海および接続水域法」を制定。自国の「主権、主権的権利および管轄権」が及ぶという「九段線」を主張し、南沙、西沙諸島などを管轄する三沙市を設置するなど、領有を前提とした国内法の措置を進めている。
こうした主張には国際法上の根拠がまったく示されていない。中国にしか通じない独善的な論理を国際社会でふりかざすことが、さまざまなトラブルを引き起こしている。極めて危険な行為である。
祖父・岸信介の「集団的自衛権」解釈
集団的自衛権をめぐる論議は、安倍首相の祖父、岸信介首相による日米安保改定に端を発している。当時の岸答弁を振り返ってみよう。「集団的自衛権という内容が最も典型的なものは、他国に行ってこれを守るということだが、それに尽きるものではないと我々は考えている。そういう意味において一切の集団的自衛権を持たないということは言い過ぎだと考えている」
「いわゆる集団的自衛権というものの本体として考えられている締約国や特別に密接な関係にある国が武力攻撃をされた場合に、その国まで出かけて行ってその国を防衛するという意味における集団的自衛権は、日本の憲法上は持っていないと考えている」
林修三内閣法制局長官
「現在の安保条約において、米国に対し施設区域を提供している。あるいは、米国が他の国の侵略を受けた場合に、これに対して経済的な援助を与えるということ、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、私は日本の憲法は否定しているとは考えない」「外国の領土に、外国を援助するために武力行使を行うということの点だけに絞って集団的自衛権が憲法上認められるかどうかということを言えば、それは今の日本の憲法に認められている自衛権の範囲には入らない」
ルビンの壺
1960年の日米安保改定時に内閣法制局の一員で、後に長官になった高辻正己氏はこう回顧している。「『日本国の施政の下にある』米軍基地が武力攻撃を受ければ、日本としても『共通の危険に対処して行動することを宣言する』と規定している以上、日本国内では米軍を守るため集団的自衛権を行使することになる。実際にやることは個別的自衛権行使と同じなので、政府側は個別的自衛権行使で押し通したが、米国は、米軍基地を防衛するための日本の行動を日本の集団的自衛権行使と理解している」
集団的自衛権の行使容認などを求める報告書を安倍首相に提出した有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」のメンバーである坂元一哉・阪大大学院教授は「国際法上有しているが、行使することは憲法上許されない」という集団的自衛権の憲法解釈を「ルビンの壺(つぼ)」にたとえたことがある。
ルビンの壺
「ルビンの壼」は心理学の実験に使われるだまし絵で、壼かと思ってじっと見ていると人の顔に見えてきて、またじっと見ていると壼に見えてくる。集団的自衛権の憲法解釈は「ルビンの壺」そのものである。
新安保条約の自然承認後、岸首相は退陣し、「所得倍増計画」を掲げる池田勇人首相が登場。「集団的自衛権」論争は沈静化する。
集団的自衛権をめぐる政府公式見解が確定したのは1981年の質問主意書への答弁書によってである。
「国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」
時代とともに変わる憲法解釈
すでにこうした憲法解釈の萌芽は1972年の決算委員会資料にみられるが、憲法解釈が時代の変化に伴って変更されたのは明らかだ。政府公式見解が確定した後も、集団的自衛権をめぐる「だまし絵」は受け継がれた。国際的に見れば「集団的自衛権」なのに、日本国内では国会対策のため「集団的自衛権ではない」と答弁されているケースは少なくない。イラクへの陸上自衛隊派遣、対テロ戦争を支援したインド洋での補給活動、ソマリア沖・アデン湾における海賊対処などがそうだ。
冷徹な「国際政治」の現実と微温的な「国内政治」のギャップを埋めるため、国内外で両用に取れる「だまし絵」を使うことはどこの国でも珍しくない。
しかし、今後の中国の軍備増強を考えると、日本国憲法がその誕生時から抱える「顕教(一国平和主義、非核三原則など)」と「密教(日米安保、米国の核の傘など)」のミゾをごまかすのは難しくなってくる。
憲法解釈は不変ではない。時代とともに変化する。
安倍首相は記者会見で「中国」を名指しするのを避けた。憲法の解釈変更を経て、年内の日米ガイドラインで日米同盟の方向性を明確化するとともに、中国、韓国との関係改善にも取り組まなければならない。
中国の習近平国家主席には最大2期10年の任期が与えられている。安倍首相も「10年政権」を目指さなければ、中国には太刀打ち出来ない。次の総選挙で勝って、憲法改正を目指すのが憲政の王道だ。
(おわり)
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