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第192回会員研修会「事故がなくならない理由~安全対策の落とし穴」

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立教大学現代心理学部教授
芳賀 繁氏が講演
日本自動車会議所は4月19日、東京・港区の日本自動車会館「くるまプラザ」会議室で「事故がなくならない理由~安全対策の落とし穴」をテーマに第192回会員研修会を開催し、立教大学現代心理学部教授の芳賀 繁氏が講演した。氏の専門分野は産業心理学、交通心理学、人間工学であり、大学での教育・研究、学会活動の他、「運輸安全委員会 業務改善有識者会議」委員、JR西日本「安全研究推進委員会」委員、日本航空「安全アドバイザリーグループ」メンバー等も兼任されている。著書では、研修会と同タイトルでPHPより出版他多数。参加者は約150名。

【講演要旨】
1.はじめに(基本スタンス)
これから、「事故は、何故なくならないのか」というテーマでお話しをするが、特に自動車メーカーの方々には、「アクティブセーフティー=事故を未然に防止する技術の開発を一生懸命やっているのに、水をかけるようなことを書いている者がいる」と常々腹立たしくお思いの方がいらしゃるかもしれない。私は、決して安全技術の開発を否定している訳ではなく、安全技術とは、「それを使う人間心理をも併せて考えて、その技術がどういう影響を人間行動に及ぼすのか」まで考えないと必ずしも効果的な対策にならないのではないかと申し上げたいと思っている。

2.リスクとは
人間行動からみて、事故の要因は2つある。①狭義のエラー=意図的では無くおかすミス(うっかりミス)と、②不安全行動=意図的なリスクテイキング(違反を含む)の2つである。どちらもシステム的にはヒューマンエラーだが、心理的メカニズムは異なっている。今日の話は、うっかりミスの話ではなく、意図的なリスクテイキングに的を絞る。人間は何故不安全な行動をそれが解かっているのに意図的にするのか? という話から、事故は何故なくならないのかの話に向かって行きたい。
そもそも、人はリスクを避けたいのか、それとも取りたいのか、どちらだろうか? 「福島原発事故後の放射線不安と風評被害」や「BSEとアメリカ産牛肉の輸入制限」の例をみると、どうも人はリスクを回避して行動するように見える。しかしながら、一方では、「子供を自転車の前後に乗せて走る人」がいたり、「駆け込み乗車が絶えない駅」があったり、「後部座席のシートベルト着用率=49.1%」「遊園地の絶叫マシンに長蛇の列」だったりする。一体リスクとは何なのか? それを定義づけると、次のようになる。
望ましくない(悪い)結果が起きる可能性(確率)である。結果の程度は色々であり、また起きる確率も色々であるが、リスクの大きさは「悪い結果」の損害の程度と「悪い結果」が起きる確率で表現できる。では、リスク=危険なのだろうか? 答えは否である。人は何故株式投資をするのか?[=儲かるから]、失敗の可能性があるのに何故手術を受けるのか?[=身体が良くなるから]、交通事故の可能性があるのに何故車の運転をするのか?[=便利だから]…。それは、リスクの裏には必ず、[ベネフィット]があるからである。
ここで2つのリスクテイキングのプロセスについて述べる。

◆プロセス1:ハザードを知覚して→リスクを評価して→意思決定(リスクをとるか回避するか)
<知覚・評価・意思決定には状況・性別等影響要因が関与>
これにベフィットを加味するとプロセス2となる。
◆プロセス2:ハザードor目標を発見して→リスクvsベネフィットの評価を行い→意思決定(リスクをとるか、回避するか)(中間もありうる)
< >内は同様。

さらにリスクテイキングとしての運転行動には、運転者自身の行動が交通環境を変化させるという要因が加わることになる。つまり、リスクへの対処行動(運転行動)が、交通環境負荷を変える(フィードバックする)ということである。運転行動を速度だけの観点でモデル化すると次のようになる。

▽安全の認知→(早く進みたい)→スピードアップ→危険の認知→(事故は避けたい)→スピードダウン

この流れのちょうどバランスのとれるスピードが自分にとっての最適なスピードとして選ばれる。これをリスク認知と運転行動の「サーボシステム」と私は名づけている。現に私の実験室で簡単なシミュレーターを使って実験したところ「主観的リスク」と「走行速度」は逆比例することが実証できた。つまりリスクが高いと感じる道路では、スピードを抑え、リスクが低いと感じる道路では、スピードを出すという関係である。こういった現象に注目してジェラルド・ワイルドというカナダの交通心理学者は「ターゲット・リスク」という概念を提案した。この概念は以下の通りである。
「人は事故の危険を最大化も最小化もしない。代わりに、ドライブからの期待純益を最大化するために、ちょうど良い速度、およびその他の運転行動を選択する」
つまり、人はゼロリスクを求めるのではなく、最適なリスクを求めるということであり、その最適水準がターゲット・リスクである。最適なリスクはどこなのか? それは、表「最適なリスク水準とは」の通りで、期待される利得から期待される損失を引いた純益が最大になるリスク水準である。これを、「景気と自動車事故の関係」に当てはめると以下の通りとなる。
「景気が良い時は、時間価値が高まるので、より多く、より速い走行から得られるものが大きい。好景気時は人が道路上で受け入れるリスク水準は上昇し、不景気時は低下する。不景気時、人は運転距離を減らし、運転する時は、より慎重に行動する」
つまり、景気と交通事故は正の相関関係にある。

3.リスク・ホメオスタシス理論
ここで、先述のジェラルド・ワイルドが提唱した「リスク・ホメオスタシス理論」(以下RHTと略)を説明したい。この理論は、「人々は健康・安全対策の施行に反応して行動を変えるが、その対策によって人々が自発的に引き受けるリスク量を変えたいと思わせることができない限り、行動の危険性は変化しない」という理論である。具体的にいうと、「道路が広くなったら、人は車の速度を上げるだろう」ということである。このRHTのアイデアは、リスクの量を制御するという意味で「サーモスタット」に似ていると説明される。例えば、エアコンのサーモスタット機能の働きで室内気温の平均値は、長期的には設定値となる。同じことがリスクについても言えるとワイルドは主張した。これを人間の運転行動で説明すると以下の通りとなる。
「危ないと思ったら調節機能が働き慎重になり、安全だと思ったら調節機能により危険な側に行動シフトする。対策によってリスクが減っても、リスクの目標水準が変わらない限り、結果的に事故の水準は元に戻るだろう!」
リスクの補償行動とは、安全になった時に人は、リスクが増える側に行動が変化することをいう。具体的に例を挙げると、「見通しの悪い道路を直線化し、拡幅すればドライバーは速度を上げる」、「建設現場の足場に手摺をつければ速く歩く。手摺を2段にすれば、もっと速く歩く」等々。このように、リスク補償は現に起きているが、先述のRHT理論は、様々な反論もあり、必ずしも交通心理学の定説とはなっていない。私もそんな単純なものではないだろうと思っている。しかしながら、この理論を裏付けるデータもある。「米国の人口あたり交通事故死者数は1923年以来、トレンドとしては増加も減少もしていない。短期的変動は景気の動向で説明できる」、「車線幅30㎝増加毎に走行速度は2Km/h増加(豪州での観察)」等々。「ABS装備車の方が速度が大! 車間距離小!」。これは、ミュンヘンのタクシーを使って3年間に亘って行った実証実験結果であるが、つまり、安全に止まれる車を運転することで、車間距離を縮めたり、強引な割り込みが増えたり、速度を少し上げたりしたことが判明した。

4.安全対策は無駄なのか?!
では、安全対策は無駄なのであろうか? 氏は安全に止まれる車のCMビデオを例にとり、話を続けた。
安全対策が採られると、その分生産性を増やしたり、速度を上げたり、注意を低下させることでリスクは変わらない。なぜならば、あるリスク水準を認めた人間は安全装置が在ることで、減った分のリスクを自分のベネフィットを求めて行動を変化させるからである。しかもリスクが一定ならば未だしも、逆にリスクが増える場合もある。①交差点に信号機を設置したら、事故が増えた(信号機設置で安心してしまい、注意を怠ってしまう)、②横断歩道に路面マーキングをしたら事故が増えたetc。これらは、子守唄効果と呼ばれ、いわゆる「安心が事故を招いた」事例である。RHT理論の予測では、事故は増えも減りもしないはずなのに、このように実際は増えることがある。それは何故なのかというと、いわゆる“油断”といわれる心の働きで起きると思われる。ワイルド曰く「安全は人の心の中にあり、それ以外のどこにも存在しない」のである。このことは、「高名の木登り」(徒然草)を想起させる。
先述のホメオスタシス理論を裏付けるデータとして挙げた事例の他にもう一つ、運転技能訓練の事例を申し上げる。ジョージア州における実験で高校生を次の3群(各群5,500人)に振り分ける。①NHTSA(国家道路交通安全局)の安全パーフォーマンス・カリキュラムを受ける、②運転免許試験に合格する最低限の技能講習を受ける、③訓練なし(親に習う)。4年間の研究の結果、①は②、③より有意に事故件数が多かったという。運転能力が高くなることが、むしろリスクをとって事故が起きる程度が高くなることを示している。
さて、ここで道路を改良したら何が起きるか? について思考実験をしてみたい。仮にA市とB市を結ぶ曲がりくねった道路を直線化し、幅を2倍に、走行距離も1/2になったと仮定しよう。その結果、走行速度は2倍、所要時間は1/4になり、1台当たりの事故率は1/16になったと仮定すると、単位時間当たりの事故率は1/4に、単位時間当たりの事故損失は、1/2となる。時間が短縮され事故の確率も減って、この道路の直線化は良かったように思われる。しかしながら、社会全体で考えるとこういう道路ができると当然車は増える。果たして本当にこの事故リスクは減るのだろうか?(事故は減らないかもしれない!)しかし、A市からB市に移動するのに、便利になったのは事実であり、この道路改良の効果を否定して、事故が減らないのなら無駄な投資だとは、誰も思わないはずである。(ずっと、便利になった!)つまり安全対策の効果=ベネフィットとリスクをまとめて考えると次のようになる。

①同じリスク水準でより高いベネフィットを得られるようになる。
②現在のリスク水準をやむなく受け入れている人が、より低い水準で同じベネフィットを得ることができるようになる。

つまり、人間は上手に安全システムに適応できるのである。大学の研究室で院生が運転支援システムに対する行動適応の実験(交差点を車で渡るシミュレーション。左右からの車の走行の有無等の情報提供を行うと、交差点での確認行動や事故はどうなるかを実験)をしたところ、運転支援として道路環境の情報を提供した方が、しない時より確認回数は減るものの事故の回数は減少した。つまり、人はそれなりにシステムをうまく利用して事故を減らしている。リスク補償が起きても事故が減れば良い訳で、リスク補償があるから安全システムは良くない! のではなく、人間はもっと柔軟に新しいシステムに対応していて“良いとこ取り”をしているということである。
話は少し変わるが、初心者ドライバーの事故について触れたい。運転が下手ならば、下手なりに慎重に運転すれば、事故リスクを下げられるはずだが、実際はそうはならず、初心者の事故率は高い。何故なのか? 周りの交通環境がそれを許さないからである。実際初心者は運転に大きなリスクを感じており、無理して運転している。経験を積みたければ、高水準のリスク受容が避けられず、経験を買うコストの一部が「事故」という形で支払われる、という言い方もできると思う。初心者専用レーンを作ったら? という案もあるが、私はそもそも車の運転が難しすぎるのでは? と思う。技術者の皆さん、期待してます!
ここで、リスクテイキングを冒す人の話をしよう。

*中高齢者より若年者の方がリスクを冒す
→運動能力が優れているので、危険に見える行動のリスクが本当に高いかどうか判定できない
*女性より男性の方がリスクを冒す
(とは限らないデータも……。駅の階段を走る人の割合は、中学生以上では女性の方が高い)
*同じ年齢・性別でも平均より慎重な人とリスキーな人が存在
→神経生理学で説明可能
*若年男性のリスクテイキング傾向は進化心理学からも説明可能
→我々は英雄の遺伝子を受け継いでいる
*外向的な人は、より強い刺激を求める(リスクを冒す)

リスクについて、色々申し上げたが、そうは言っても、リスクはマネジメントしなければならない訳で、現代社会においては、リスクをコントロールし適正な範囲に留めることが大事であり、特に人身に関わる事故はなんとしても避けなければならない。リスクマネジメントで言われていることは次のようなことである。

①リスクがあることを前提にものを考える
→「絶対安全」を言い続けた原発が事故を起こし、その後の対応がその場しのぎに終始した
→「安全になったから再稼働」では危険、「危険だけど必要だから再稼働」が正解(畑村洋太郎)
②墓標安全(人が死んで初めて対策を採る)より予防安全を!
→リスクアセスメントが必要、つまり事故が起きる前に手を打つ
③マニュアル通りにやることを教えるのではなく自分の頭で考える安全教育を
→「想定外」で思考停止しないよう、「柔軟な安全文化」とレジリエンスの高い組織が必要

また、自動車については、取り締まりと罰則の強化の動きがあるが、それにも限界があることにも触れておきたい。「飲酒運転取締りと罰則の強化は、飲酒運転死亡率の低下にはつながるが、交通事故死亡率は低下しなかった」というアメリカの80年代の例がある。また、特定の事故要因を過度に強調すると、その事故そのものは減るが他の事故がむしろ増えるというカナダの例もある。また罰則を強化することは特定の行動を抑制することでしかない。その効果は一時的なものであるのに対して、警察力の行使、裁判、拘禁に莫大な費用がかかってしまう。つまり、違反や不安全行動を抑止しようとすれば、処罰が迅速で確実(すぐ捕まる、必ず捕まる)であることが必要だが、交通違反に対する検挙率は極めて低く限界がある。つまり報酬と罰によって人間の行動をコントロールしようとするともっとたくさんの介入がないと効果がないということである。

5.安全問題全般(結び)
最後に、交通安全のみならず、工場での作業等人間行動の安全対策全般に敷衍してお話しをしたい。
まず、マニュアル主義の弊害についてである。一定水準の安全を担保するにはマニュアルは便利なツールではある。しかしながら、安全はマニュアルだけでは守れない。「マニュアル通りにやりさえすればよい」という考えでは、社員が自分で考えることをしなくなり、仕事の誇りを失い、やる気を失わせ、監視のない所ではマニュアルを守らない、いざという時には何をしたらよいか自分で判断できない社員を生むことになってしまう。
また、最近ヒューマンファクターズの世界では、大きなパラダイムシフトが起きている。つまり安全マネジメントの考え方の大きな変化である。それは、「事故はヒューマンエラーが原因で起きているのだから、その要因を潰していく」から、「システムは本質的に危険なものであり、人と組織の柔軟性がシステムをうまく機能させているのだから、レジリエンス(柔軟性)を高める方策が重要」という考え方へのシフトである。これは、私も重要なアイデアだと思っている。
安全対策についても変化が生じている。従来の安全対策は、悪い結果を避けることだけを目指し、その原因を除去すれば安全が達成されると考え、失敗事例に着目しそれを全部潰すことであったが、今は、稀に起きる失敗事例ではなく、日常の業務遂行の実態に着目し、安全に対する動機づけを高め、人が柔軟に考えることで危険な行動を避けるにはどうしたらいいか? という対策に変化している。それに対するヒントとして期待主義(未来への期待と安全行動には密接な関係がある)という証左がある。

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最後に氏は、将来希望を持てる社会を目指す必要性と「仕事への誇りが安全行動を支える」と結び講演を終えた。

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