大坂城:石垣の石切り場確認 レーザーで三次元測量
毎日新聞 2014年05月17日 05時06分(最終更新 05月17日 05時12分)
「大坂夏の陣」(1615年)で焼失後、徳川幕府が再建した大坂城の石垣の石の産地の一つである兵庫県西宮市内の六甲山系の採石場跡を調べていた同市教委は17日、谷筋沿いの斜面に複数の石切り場跡とみられるくぼみを確認したと発表した。上空から地形の凹凸がわかるレーザー光線で三次元測量して確認。切り出した石を谷底に下ろし、近くの川から船で運んだとみられ、市教委は「築城に用いられた採石技術の解明につながる」と期待する。
採石場跡は同市と同県芦屋市、神戸市にまたがる「徳川大坂城東六甲採石場」。このうち、西宮市甲山町の約1万2000平方メートルを調べた。大坂城再建は徳川二代将軍秀忠が1620年に着手し、外様大名を中心に工事を命じたが、石垣に使われた100万個以上の巨石の3分の1を同採石場で産出したとされる。現場には縦横各約1.5メートル、奥行きは約3メートルある巨石が約40個遺棄されているが、急斜面に樹木が茂り、地上からは詳細が分からなかった。
調査では、ヘリコプターで上空からレーザー光線を照射して地面の起伏を立体的に測量。2カ所の谷筋に沿って直径10〜20メートルのくぼみが約20カ所確認された。遺棄された石が斜面や谷底に残っていることや地形から、露天掘りの石切り場跡とみられる。
市は今後、国の史跡指定を目指す。市教委文化財課の合田茂伸課長補佐は「当時の作業小屋や使った道具を探し、採石の様子を探りたい」と話している。18日に日本大学である日本考古学協会第80回総会で発表される。
城郭や石垣に詳しい石川県金沢城調査研究所の北垣聡一郎名誉所長(土木技術史)は「当時の採石や運搬方法は詳しく分わかっていない。地上での各地点の調査と異なり、レーザー測量で『面』での調査が可能になったことで、研究が進むことを期待したい」と話している。【柳楽未来】