2014年5月16日16時23分
1932年の5・15事件で「話せばわかる」と言いながら青年将校らに暗殺された犬養毅首相が、事件の10日前、自由な議論を封殺しようとする勢力の拡大を懸念する手紙を支援者に送っていたことがわかった。
犬養は岡山市出身。手紙は岡山県倉敷市の木華佐久耶比咩(このはなさくやひめ)神社の宮司宛てで、神社の社務所に保管されていた。山陽学園大学の太田健一名誉教授(日本近代史)が今月、内容を確認した。
手紙では、選挙で犬養が所属する立憲政友会の候補者を応援してくれたことに謝意を述べている。そのうえで、在郷軍人と農民らが結成を計画していた政治結社「皇道会」について、「旧式に偏して自由の研究を妨る傾向」と言及。自分たちの理想の実現のためには自由な議論を封殺する傾向があるとして、「甚だ心配」とつづっている。
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朝日新聞社会部
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