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【スポーツ】

<首都スポ>カズになりたかったラガーマン 君島30歳で海外挑戦

2014年5月17日 紙面から

2011年、東日本大震災チャリティーマッチのトップリーグ選抜でプレーした君島=秩父宮ラグビー場で

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 カズになりたかったラガーマンが、30歳で新天地を目指す。ラグビートップリーグのNTTコムを昨季で戦力外になったSO君島良夫(30)がその人だ。移籍先を探すも、各チームとも今季のチーム編成が終わっていたため、来季のトップリーグ再挑戦とスキルアップを求め、海外挑戦を決意した。中学までは、サッカー元日本代表の三浦知良(47)=横浜FC=にあこがれたサッカー少年。誰もがうらやむ優良企業での安定した将来を捨て、夢を追う男に迫った。 (大友信彦)

 サッカーのブラジルW杯まで1カ月を切った。おそらく、過去になかった数の日本人が一斉に南米へ向かうことだろう。

 「ブラジル行き、懐かしいです。僕は同じ時期にオーストラリアですから、シドニーで日本を応援しますよ」

 君島は柔和な笑みを浮かべた。NTTコムを退団し、オーストラリアへのチャレンジを決めた男は、実は中3まで超のつくサッカー少年だった。

 Jリーグ誕生は9歳のとき。同世代のサッカー少年の多くと同様、夢は「カズになりたい」。だが、この少年は本格的だった。小6のとき水戸市の「チグリーニョFC」でブラジルに遠征。清真学園中2年の夏には3カ月、今度は単身でブラジル留学を敢行した。しかし、中3の秋に受験した鹿島ユースは不合格。そのことが違う未来を開いた。

 情報を聞き付けた清真学園高ラグビー部の渡辺聡監督が、校内放送で呼び出し「ラグビーをやろう」と熱烈勧誘。最初は固辞したが、先輩たちの全国大会での活躍に「熱くなって」、結果的に中3の冬からラグビーを始め、高2、高3で全国大会出場。サッカー仕込みの正確なキックでゴールを次々に決め、U−19日本代表にも選ばれた。

 同志社大からNTTコムに進むと司令塔のSOとしてトップイーストからトップリーグへ昇格させ、キックで新興チームに数々の勝利をもたらした。

 しかし、昨季終了後に突然の戦力外通告。昨季はリーグ戦14試合中13試合に出場、個人得点99もリーグ7位と主力だっただけに、当初は「なぜ」の思いも湧いた。

 「でも、このまま引退することはまったく考えませんでした」

 まだ30歳。トップレベルのラグビーをもっと続けたい。できるはず。そんな思いで他チームと接触したが、すでに各チームは今季の補強を終えていた。君島は1年先をにらみ、NTTを退社。海外挑戦を決意した。

 「1年、何もしなかったら、なまってしまう。それに、前から海外に挑戦したい気持ちがあったけど、なかなか機会がなかったんです」

 友人のネットワークで受け入れチームを探すと、世界のトライ王、元オーストラリア代表のキャンピージ、日本代表のエディー・ジョーンズ・ヘッドコーチ(HC)も在籍した同国の名門クラブ、ランドウィックから声がかかった。アマチュア契約ながら、家を用意してくれるという。

 「将来を考えると英語も勉強したい。幸い30歳なので、ワーキングホリデー(働きながら滞在できるビザ)がギリギリ使えるからバイトもできる。本当、いいタイミングで戦力外にしてもらったと感謝しています」

 現在は、NTTコム時代の恩師・林雅人さんを頼って東京ガスの練習に参加。退社と留学の準備に忙殺される毎日だ。

 「人生は1回。今しかできないことをやるだけです」

 少年のままの笑顔を浮かべ、30歳はまた海外に飛び出す。

   ◇

 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」面がトーチュウに誕生。連日、最終面で展開中

 

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