韓流ブームに翻弄された新大久保の“栄枯盛衰”
2014年05月15日

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 先日、日本一のコリアンタウンといわれる東京・新大久保の韓流グッズショップ「韓流百貨店」が経営破綻したことが判明した。いまや反韓・嫌韓の流れで衰退しつつある新大久保に、私は長年住んでいる。備忘録的に変遷をちょっとまとめておこうと思う。

 2003年ごろからのヨン様とジウ姫の「冬のソナタ」ブーム前までは、悲惨な街だった。夜になると歌舞伎町を出禁になるような飲んだくれが道で寝るか暴れるかし、南米系の金髪立ちんぼが徘徊し、薬物の売人がうろつき、シャブ用の注射針が道に落ちていた。

 タイや中国、韓国の立ちんぼは、金髪立ちんぼが客に買われ“売り切れ”になる夜10時以降から、通りに立っていた。当時、韓国人のニューハーフは「やっぱ、金髪にはかなわないからさ」と言っていた。

 ロッテの工場があるため、韓国人が多く住んでいたものの、韓国料理店は10店くらいしかなかったと思う。「ピョジュバク」「武橋洞」「ハレルヤ」などが、当時はマイナーだった韓国料理マニアを楽しませた。

 ただ、どこの店とは言わないが、日本人用のメニューと韓国人用メニューという2種類があり、日本人からは1・5倍の料金を請求する店もあった。犬肉専門店もあってて「おちんちんがカチコチになるよ」とプライドを持って、犬肉を食べさせてくれた店もあった。

 とにかく怪しい街だったが、冬ソナブームにより、韓国料理店が乱立し始めた。ちょろちょろあった中華料理店、タイ料理店、ビルマ料理店、それに新大久保で有名だったエスニック料理屋台の集合体で、各国の“人間メニュー”が、強引に自慢の料理をすすめてくる百人町屋台村などが閉店し、ことごとく韓国料理店になった。

 ヨン様ほか、ビョン様などの“四天王”が韓流ブームをけん引。おばさまたちが新大久保に殺到した。四天王などの韓国俳優の人気が落ちるとK—POPブームとなり、若い女の子も殺到するようになった。

 また、2004年からは石原慎太郎都知事(当時)による“歌舞伎町浄化作戦”が行われ、立ちんぼと薬物売人が排除された。韓国料理店は24時間営業も珍しくなく、街が一晩中明るいので、治安はますますよくなった。

 韓流ブームと健全な街化が同時に進み、2010年ごろの最盛期には韓国料理店は300店以上。冬ソナ前は在日韓国人たちが店を出していたが、冬ソナ後は韓国から“ニューカマー”たちが出店。本国の最新の韓国料理を出していた。

 料理店の数は飽和状態になり淘汰されていき、ブームが定着し、料理店がつぶれると、そこに化粧品店が入るようになった。それでも、客は減らなかった。

 そして、2012年、李明博韓国前大統領が竹島上陸し、天皇陛下を侮辱する言葉を発した。韓流ブームを支えていたおばさんたちは、韓流ブームと韓国料理店を毎週特集している女性週刊誌が大好き。同時に女性週刊誌のトップ記事は皇室話も多い。つまり、長年、皇室好きで女性週刊誌を読んでいたおばさんは、李前大統領の言動に怒り、愛憎裏表で反韓・嫌韓に転じた。また、韓国語に詳しくなりすぎたおばさんたちが、韓国旅行で悪口を言われているのをヒアリングできてしまったり、ネットの韓国語による日本の悪口をスイスイ読めてしまうのも、嫌韓に転向した理由だという。

 客はパタッと減り、全盛期の4分の1に。いまでは空きテナントもちらほら。空きテナントには韓国の占いが入るようになったが、それも続かなそうだ。

 一方、韓国料理店が撤退したところにはバングラデシュなどのイスラム系の料理店や、ハラルフード店(イスラム教徒が食べられるように、お祈り済みの食材)が増えている。雑居ビルのワンフロアにはモスクも入っている。細い路地には、かなり高齢のタイ人や韓国人の立ちんぼがちらほら復活した。

 朴槿惠大統領は“告げ口外交”を続けているが、K—POP好きな若い人は国際政治に無関心。また、韓国に詳しくなりすぎたおばさんたちは「反日やらないと政権を維持できないからね。ただのポーズで本心じゃないわ」と分析。全盛期の半分くらいまで客は戻っただろうか。今後、新大久保はどのような変化をしていくのだろうか。

(文化部デスク・三浦伸治)



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