労務屋さんの「異論」について
労務屋さんが拙著『日本の雇用と中高年』について5月12日にさらりとした紹介をされた後、
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20140512#p2
こちらはあっさりと消化しました。日本の雇用政策史をおもに中高年齢者雇用政策と年齢差別禁止を中心に解説し、日本的なメンバーシップ型正社員雇用のあり方が中高年齢者の雇用問題を招いていることをわかりやすく解説しています。政策提案も相当程度妥当で現実的なものとなっています。知的熟練に対する評価と前回のホワイトカラー・エグゼンプションの性格に関する理解には誤りもあるように思いますが(別途書きます)、『若者と労働』で感じられたような財界陰謀論的発想も薄く、私はむしろ、彼ら彼女ら自身がいずれ歩む道を見通すという意味で、こちらを若年者に推奨したいように思います。『若者と労働』はいま彼ら彼女らが読んでもどうにもならない話がほとんどなのに対し、彼ら彼女らが中高年になるまでには、世の中のなにかが変わる・なにかを変える可能性があると思うからです。
(『若者と労働』で財界陰謀論は繰り広げていないはずですが・・・)
16日にはかなりたっぷりと分量をとって「異論」を書かれています。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20140516#p1
数日前にhamachan先生から頂戴したご著書『日本の雇用と中高年』をご紹介した際、一部に誤解があるのではないかとコメントしました。まだ議論に耐えるだけの検証はできていないのではありますが、ご関心の向きも多いようですので、疑問点をざっくりと書いておきたいと思います。
私が「リストラ時の企業行動は、中高年の「知的熟練」を幻想だと考えていることを明白に示している」と述べているのに対して、小池さんの本を引用しつつ、知的熟練もポートフォリオであり、何割はレベルいくつであり、何割はレベルいくつ、という具合だろうと言われるのです。数字がつかみですからどうでもいいのですが、そりゃ世の中のものごとの大部分はポートフォリオですし、とりわけ人間の出来具合はポートフォリオです。
でも、少なくとも教科書レベルで定式化されている小池理論は、若干の誤差はあるかもしれないけれども、だいたいこういうものだという感じで知的熟練を説明しているように思います。あるいはむしろ、本書での関心事項に引きつけて言えば、1970年代以降年功的な職能資格制度が普及していくときにそれを正当化する(厳密にアカデミックではないにせよ、何となくアカデミック風の感じを与える理論としての)知的熟練論というのは、中高年になればなるほどどんどんレベルに達しないのが出てくるよね、というのをあらかじめ組み込んだ議論にはなっていなかった、いいかえればそういう冷酷なポートフォリオ理論の顔はあんまり出していなかったのではないでしょうか。
いや、人事担当者の本音はそんな生やさしいものでははじめからなかったと思いますよ。でも、勤続につれていろんなことを経験し、いろんなことが出来るようになっているから、その分知的熟練が高まっているという「理論」は、少なくともその当事者たちにとっては、自分は知的熟練が高まっているんだよな、と思っていられるものだったのではないかと思いますし、不況になっていない限り、わざわざそれを否定してあげる必要もなかったのでしょう。
でも、不況が襲ってきたら、そういう幻想につきあってばかりはいられない。だから「変化や以上に対処する知的熟練という面倒な技能を身につけ」たはずの中高年労働者が真っ先にリストラの矛先になるという事実」が発生するわけです。もちろん、ポートフォリオである以上、労務屋さんが言うように、
つまり、中高年がリストラされると言っても全員がリストラされるわけではなく、レベル4のような人は退職しようとしても企業は引き止めるかもしれませんし、いっぽうでレベル2にとどまっている人(hamachan先生ご指摘のとおり賃金制度が年功的に運営されている場合に割高になってしまうことが多い)には「リストラの矛先」が向かうであろうことも容易に想像できます。レベル3の人であっても、レベル3の割合が適切な水準を超えているとしたら、やはり「リストラの矛先」が向かいやすいであろうことも見やすい理屈です。
いや、それは当然でしょう。というか、それは全然異論になっていないと思いますが。中高年労働者がみんな(等しくとまでは言わなくても)かなりの程度(企業が大事に思ってくれるだけの))「知的熟練」を身につけているという「幻想」が」、そうじゃない人がリストラされるという事実によって裏切られてしまうという話なので、そんな幻想はじめからないと言われればそれまでです。
でも、実はその「幻想」の物質的根拠が、労務屋さんのいう
賃金制度に関しては、hamachan先生も繰り返し指摘されているとおり、この「何より向上した技能を正しく評価し、それに応じて報酬を支払うことが肝要」というのが難しいわけで、職能給制度のもとでは往々にして「技能が向上しているはずだから」と言って年功的な運用になりがちな点は確かに問題だろうと思いますし、それが上記中高年へのリストラ圧力を招いているというのもそのとおりだろうと思います。
なわけであってみれば、企業がその中高年労働者の知的熟練を判定した結果であるはずの賃金水準が、実は過剰評価でした、だからリストラします、というのは、やはり裏切りになるわけです。
という話を読んでこられて、あれ、金子さんとの掛け合い漫才でも似たような話がなかったっけ?と感じた方、ピンポン。そう、ここで問題になっているのは、そもそも人間の能力というのはわからないものであり、何らかの仕組みで近似するしかないものであり、その近似の仕組みは集団の納得という原理の上でしか成り立たず、そして何か危機が生じたときに露呈される(ことによってはじめてわかる)ある基準からする評価とか必ずなにがしかのずれがあるものである、ということなのです。
この話題は、本当はもう一段くらい突っ込んで議論する値打ちがありますが、ここではとりあえずここまで。
なお、その後に書かれているホワエグの話は、もっとずっと表層レベルの建前と本音の話だと思います。
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