×無題

私はアストルティアでお金が減った時とても悲しいです。
なんでお金が減ると悲しいんでしょう。
世の中には私の10分の1もお金を持ってない人がたくさんいます。
でも悲しいんです。お金がいっぱい減ると涙がこぼれます。
私は「お金が減ると悲しい」という自分に悲しみを覚えます。
昔の私はお金なんて一切ありませんでした。
でも毎日悲しんでたなんてことはなく楽しい気持ちでいっぱいでした。
今の私にはないものを持っていたからです。
少し話を変えます。
今の私は欲しいものがあります。
お金が欲しいです。
なんでお金が欲しいんでしょう。
お金が欲しいという気持ちを捨てたいです。
私のフレンドの一人のお話です。
その人は私の欲しいものはなんでも持っています。
上で私はお金が欲しいと言いました。
その人は持ってます。
でも違います。それじゃありません。
私が欲しいものは3つあります。
そのうちの1つはお金です。
でもこれは優先順位でいったら一番下。
100億持ってる人がいても
「へー、そんなにあったら楽しいだろうな」ぐらいにしかおもいません。
あとの2つはなんでしょう?
その人は2つとも持っています。
私がどんなに努力しても手に入らないであろうものです。
私はその人に憧れています。
生まれ変わりたいです。
でもちょっと嫉妬もします。
その人が2つとも持っているからです。
そんな自分がたまらなく嫌いです。
私が嫉妬の心を少しでも持ってるであろう間は一生手に入りません。
汚れているからです。
私が欲しいものの一つは「こころ」でもう一つも「こころ」です。
どういう意味かはそういう意味です。
手に入ったら私はお金なんていりません。
私はご覧の通りの心を持っています。
私は自分の心が嫌いです。
自分が嫌いです。
でもこんな私を否定したりはしませんでした。
私はそれが何よりも嬉しいし何よりも妬ましいし何よりも憧れます。
私はそれが欲しくて欲しくてしょうがないです
それが手に入ればもう一つもきっと手に入るんです
でも私じゃ絶対に手に入れられない
それは私が私である故手に入ったときには私は私でなくなっている
私は苦しくてしょうがない
自分が自分であることに凄まじい苦痛を覚えている
なぜ自分はこんな自分なのか
私は自分を殺したい
死なずに自分を殺せるのならどれだけ幸せなことか
でももしかしたら私の中の自分はもうないのかもしれない
前の記事でもかいたもんね
それだとしたら自分は一体なんなのか?
実態のない何か
亡霊って言葉が似合うよ
優しく言うと輪廻転生したい
それはつまり私の中の自分を殺してやり直すということ
私の中の影を葬るんだ
じゃあ光は?
私の中の自分は真っ黒な影ではない
いいところもある、光が差すから影もできる
でもその光は?
私の中の影が自分の欲求のために作ったものなんじゃないの?
黒い光だ
最初から私は真っ黒だったのか?
生きていく過程の中で真っ黒になったのか?
私は白くなりたかった
だから、ね、真っ白なあなたに憧れるし嫉妬もするんだよ
あなたがもし私の立場にいたら
こういうことする?
しないよね
それはあなたの中の自分が真っ白だから
なんで私がこんな酷い事をするのか
それは私の中の自分が真っ黒だから
そういう自分が、鏡の中に映るたびに、私はもっと黒くなる
自分を向こうの世界の真っ白な存在と比べるたびに
嫉妬を抱いて、その感情が自分をもっともっと黒くする
なんで私がこんな存在として現れたのか
だれか殺してくれよ
本当は受け止めてほしいのかもしれないけど
殺してほしいんだよ
叫ぶんだよ、自分の中で
こんな自分を捨てないでって泣き叫ぶ声と
こんな自分を殺してくれって泣き叫ぶ声が
こころのなかで反響して
それは騒がしい雑音になる
聞きたくない
叫ぶこころを殺せば二度と声は出なくなる
なんで生きてるんだよ
早く殺してよ
助けてよ
怖い?
私はもっと怖い
こんなものが自分の中で生きてるんだ
得体の知れないものを見たあなたは恐怖を覚えるのかもしれない
でも得体の知れないものが自分の中で蠢いてる
それはもっともっと怖い
私が一番怖いんだ
そうやってまた、自分が一番怖い、自分が一番辛いって
自分に言い聞かせるように、周りに聞こえるように叫んでるんだ
そういうところがもう黒いんだよ
他人を思いやる前に、自分が一番辛いと考える甘ったれた思考
そういうところがあの人とは違うんだね?
昔から私はそうだったね?
自戒しなよ
そうやって自分の中の影と光をしゃべらせる
意味ないんだよ
作られた光で自分に話しかけてる
影の一人語りでしかない
私はいつもそうなんだ
一人で話してる
殺せ
私を殺せ
ごめんね
私はこうやって
頭の中をすべて吐き出すことでしか
自分の中のものを表現できないんです
怖いと思います気持ち悪いと思います
ごめんなさい
これが私なんです
本当にありがとう
これからも一緒にいてください
とある人と
私を抱えた「自分」への贈り物です
FC2 Management

×お面

僕はドラクエに限らず、ネット上にいるときは基本的に「はくれい」として話してます。
もちろん「はくれい」を操作している人間というのはいるんですが、
「はくれいの中の人」ではなく「はくれい」としてやってきてるんです。
はくれいをする上で中の人である僕は多少のキャラクター性という物を意識しています。
頭の中ではくれいというキャラクター像を作り上げて、それを演じきろうとしているっていうんでしょうか。
皆さんの中にも、はくれいのことを知っている人であれば、はくれいがどんな人なのかという、
漠然としたイメージがあると思います。人それぞれ違うとしてもあるはずです。
twitterなどでははくれいはとても尖っているように見えます。
言いたいことはすぐに言うし気に入らない相手にはすぐ喧嘩を売ります。
それがはくれいの「表面」だとしましょう。呼び方の問題です。
「表面」というからには、はくれいには「側面」や「裏面」があると思います。
あまり知られてないと思いますがはくれいは悪意の塊でできているわけではありません。
ただ自分が正しいと思ったらそれを少し歪んでいようが貫き通しているだけだと思うんです。
だから、正しいと思ったら、いいことでもします。人助けもします。
でもそんなことは表面に出しません。はくれいはとがったキャラクターだからです。
そんなことを広めたらはくれいのイメージは壊れてしまいます。
はくれいはイメージを大切にしています。
でもふと思うのです。
僕は別に「尖りきったはくれい」を演じているのではなく
「尖ってるけど本当はいいところもあるはくれい」というのを演じているんじゃないかなと。
僕は悪人を演じているのか悪人を演じた善人を演じているのか悪人を演じた善人を演じた悪人を演じているのか
何をしているのかまったくわかりません。
どこまでがはくれいでどこまでがはくれいの中身なのかもうわからないのです。
はくれいはさっきとあるフレンドと少し話をしました。
いろいろ話したのですがまぁその人は優しいフレンドさんで、
はくれいの言うことに一つ一つ丁寧に答えてくれました。
なんで話したのかというと、はくれいはフレンドとけんかしたからです。
はくれいは陰口が嫌いでした。
はくれいはそれが嫌だったので、はっきりと拒絶して、非難しました。
それは理解されませんでした。対立もしました。
はくれいは良かれと思って行動したけどそれが理解されることはありませんでした。
はくれいは悲しみました。
でもはくれいにははくれいを動かしている中身がいます。いわば脳みそです。
はくれいが陰口を嫌っているの?はくれいの中身が陰口を嫌っているの?
はくれいの中身はそんなことどうでもいいけど、はくれいはそういうことをとても気にして、
仮に自分の行動が理解されなかった時、悲しんでいるのははくれいなのか、
はくれいの中身が悲しんでいるのか、それはわかりません。とても苦しいです。
どこからどこまでがはくれいで、どこからどこまでが僕なのかわかりません。
とても息苦しいです。でもなんで息苦しいのかもわかりません。
理解されない悲しみからくる息苦しさなのか、
どこまでがはくれいなのかわからないことによるもどかしさなのか、
それとも「苦しんでるはくれい」を演じてるだけなのか、
そもそも今僕は演じているのか、心の底からこう思っているのか、わかりません。
はくれいは狂っているのかもしれません。
たまによくわからないことを言います。
何を言っているのか、周りはまったくわからないし、はくれいにもわかりません。
それはただ、はくれいの頭の中にわいてきた思考を、
そのまま外に吐き出しているときになります。
それは狂っています。
でもなんでそれが狂っていると見られるんでしょうか?
頭の中のものをすべてはきだすという行為が狂っているのか?
思考そのものが狂っているのか?
はくれいの中身が狂っているのか?
狂ったはくれいを演じているだけなのか?
でも狂人を演じるのはそれすなわち狂人なんですね。
でも、狂ったはくれいを演じているつもりの狂人はくれいを僕が演じているとしたら
それは僕が狂っているということになるんでしょうか。
頭がおかしいのでしょうか。自問自答です。
そもそもなんで私は今頭の中の思考をここに吐き捨てているのか?
ぶろぐにかくということは、誰かに見てほしいのだろうか?
それはすなわち、頭がおかしいということを誰かに知らせたがっているから?
なんで?
それは、たぶんはくれいというキャラクターが、皆に見られることを楽しんでいるからです。
私はぴえろです。
私の行動に誰かが反応を示すことに喜びを感じます。
もしかしたら、こうやって、頭のおかしな文章を書いて、
誰かがおびえたりするのを待っているのかもしれません。
でももうわかりません。
私がピエロなのか、はくれいがピエロなのか、
尖っているけど本当はいいところもあると見せかけた悪人を演じている狂人という役になりきるピエロであるはくれい
違う?
どこからが私なんでしょう?
はくれいはどこまでなんでしょう?
自分らしさってなんだろうとふれのひとにいわれたようなきがします。
自分ってなんなんだろう。
もしかしたら自分なんて自我は存在しないのかもしれない?
私はお面をずっとかぶっています。ずっとです。昔からかぶっています。
それもいっぱい。たくさんのお面をずっとかぶっています。
お面をつけている時間が、本当の顔を見せてる時間より長いなら、
そのお面は、もう本当の顔と入れ替わってるんじゃないかな?
お面をかぶった人間を演じているだけなのかなってここで思い始めました。
人間なんてすべてからっぽなのかもしれません。
からっぽのペットボトルに個性あるラベルをはったのが人間だという考えもできます。
本当は自分らしさなんてみんなないんです。私はそう思います。
みんななりたい理想の像っていうのかな?違うかな?
僕は13歳ぐらいで自分というものはなくなるんじゃないかと考えています。
その時にはられた役をただ演じているだけのような気がしてならないんです。
みんなその役になりきるためにがんばっているんじゃないかな?
悪い人もいい人も、根は全部同じでからっぽなんです。
悪い人は悪い役を演じているだけ、
いい人はいい役を演じてるだけって思えませんか?
ここまでかいて親がかえってきた。おわりにしないと。
狂人ごっこがおわるのかな?
狂人を演じた一般人だけど本当は狂人なのかな?
本当ははくれいに中身なんてないんですよ。はくれいははくれいでからっぽのはくれい。
この文章が狂人に憧れる一般人がかいたものに見えるかもしれない。
でも狂人に憧れる一般人という像を演じてるだけなんだ。
本当に狂っている人間なんかいない。
人間は全部同じ。たぶん。じゃあ思考ってなんだろう。もういいや。
はくれいが普段考えていることってこういうことです。
これがはくれいの頭の中です。
頭の中の考えをすべて吐き出したらこうなるよって記事でした。