ボン兄タイムス

社会、文化、若者論といった批評全般が多めなブログ

「鎖国化する日本人」という厄介さ

  時代のグローバル化やオリンピック開催に絡み、自民党安倍政権が本格的に外国人移民の受け入れに舵を切りつつある。

 

 しかし、そもそも今の日本社会は果たして「外国」と言う概念に寛容だろうか。私が思うに、世の中に一定数「外国そのものを受け入れられない人」が出てきたように思う。鎖国化する日本人の出現である。

 

 彼らにとって拠り所として都合がいいのは、テレビ等のマスメディアが広告会社などと談合して作る紋切型の世論空間や匿名インターネットの紋切型の世論空間であると思う。

 

 たとえばテレビの地上波ではこの10年で外国と同期した概念が消失して久しい。

 日本のテレビ放送が始まって以来、バラエティ番組やニュース番組、ドラマはアメリカやイギリスの先端的な番組を手本に作っていて、グローバルスタンダードの新しい手法が開発されるたびにそれを番組作りに取り入れていたのだが、10年前にそうした流れが自然消滅しまっている。「サバイバー」や「クイズ$ミリオネア」のような海外由来番組の日本フォーマット版も放送されなくなったし、アメリカドラマもやらなくなった。いま日本で放送されているテレビ番組どの局もどの曜日も同じような情報バラエティ番組ばかりであるが、この概念は海外には存在していない。雛壇タレントもいなければ、テロップで笑わす技法も海外には存在していない。

 木曜洋画劇場は数年前に終わってしまったが、最終回は日本映画だったらしい。日曜洋画劇場もほとんどが日本映画だ。

 年々外国的な番組が減っている一方で、スカパーやJ:comを見れば、海外の放送局がそのまま運営されているのだ。MTVでは新旧の洋楽をいくらでも流すし、ディスカバリーチャンネルやヒストリーやナショナルジオグラフィックでは本国と同じ教養バラエティ番組やドキュメンタリーを放送している。カートゥーンが見たければカートゥーンネットワークディズニーチャンネルがある。ニュースならCNNやBBCワールドがあるし、ドラマやスポーツなどのあらゆるジャンルの海外チャンネルが字幕や吹き替え付きで放送し、エアラインやブランド物などの海外企業のCMもそのまま流れているのだ。(そういえば地上波からはいつの間にか「外車のCM」すら減って久しくなっている)

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 いまどき地上波テレビしか見ていない日本人が居たとしたら情報鎖国状態だといっていい。そしてそういう人たちは、インターネットが世界とつながった情報ツールであることに気づかず、はてなや掲示板やニコ動で形成される偏狭で画一的な情報空間を過信し、その空間にだけ埋没し続けるのである。

 これはあまりにも危険なことではないだろうか。テレビのバラエティ番組の雛壇の馴れ合いは同じようなタレントが同じような無難な会話をするのみだし、ワイドショーの報じるニュースの話題なんて限られていて、そのくせどのチャンネルも同じ話題を同じ切り口で報じているばかりだ。ましてや匿名インターネットなんて、初期の2chのような玉石混交さはとうに消え果て、いまや見ず知らずの他人同士が根拠もなしに空気を読んで否定と同調を繰り返すだけの全体主義の極みである。そこにはヘイトスピーチに抵抗感がなくなってしまうヤバさだってある。

 しかし、異文化や異なる情報流入を徹底的に拒絶した鎖国化する日本人は、偏屈な老人に限らず若い世代にも一定数いるのだ。

 

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 たとえばインターネット上では「スタバを敬遠する声」が蔓延しやすい空気がある。これは典型的な外国恐怖症である。

 スターバックスは1996年に海外初出店事例として東京・銀座に1号店を構えて以来、20年間のうちに日本全国に店舗があるファストフードチェーンになっている。まともな都市なら駅前や商業施設にスタバは併設されて当たり前で、病院や高速道路に出来るケースもある。

 スタバを敬遠する人間たちの特徴は「注文の仕方が分からない」とか「雰囲気が嫌だ」と言う声だ。注文の仕方が分からなければ店員に聞けばいいだけのことだが、それすらせずに否定をするほどに外国的な概念を敵視する人は多い。

 湘南のスタバに行けば、買い物帰りの主婦や老人がおいしそうに食事をしている風景がある。小学生同志でダベっているシーンもある。私も小学生の時から時々利用するが、当たり前のただのファストフード店なのだ。しかし、それを嫌悪する人は存在しているのである。

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 さらに言うと、スタバを敬遠する人たちは、もれなく「サブウェイ恐怖症」であり「バーガーキング恐怖症」でもある。しかし、どういうわけかサブウェイ批判やバーガーキング批判の声はネットには少ない。そもそも彼らの身近に店舗がないのだろうか?

 なお、このファストフード店御三家の共通点は注文のまどろっこしさ以上に「日本市場に同化していない」ことにあるだろう。というより、世界全体で同じプラットフォームを使っているのである。注文方式やメニューも、店内の内装もほとんど同じである。

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 なお、上から順にスタバ、サブウェイ、バーガーキングの世界進出状況だが、日本をふくむ先進諸国はもちろん、アジアや南半球や東欧の途上国にも進出している。そうした国々でも、日本と同じように空港や繁華街や商業施設に店舗があるのだ。もし慣れない途上国に行くような機会があったら、現地でこうした店舗が存在することはとてもありがたいことではないだろうか。それは、海外から日本に来た人たちも同じありがたみを感じるはずである。だからこそ、スタバ恐怖症は外国恐怖症そのものなのだ。

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 なお、鎖国化する日本人たちは必ずしも外資系ファストフード自体を否定するわけではない。マクドナルドは彼らも認めるのである。

 マクドナルド日本法人は本国法人が日本に上がり込んだものではない。貿易会社を営んでいた日本人の故藤田田氏がフランチャイズ権を獲得して引っ張ってきたものだ。正式な発音は「マクダーナルズ」だが、これでは日本人に発音しづらいということで「マクドナルド」と定めたのも藤田氏だ。その影響からか、マクドナルドはとりわけ日本化に積極的な外資系チェーンで、「てりやきマックバーガー」のように日本の食文化に根差したレギュラーメニューもあれば、上の画像のような和風要素を盛り込んだ期間限定メニューも多い。イメージキャラクターの名前が「ロナルド」ではなく「ドナルド」だったり、フレンチフライを「マックフライポテト」と名付けてケチャップを付けないで提供したりなどの日本限定の要素がやたら多い

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 東京ディズニーリゾートも、この10年は日本市場に特化したガラパゴス要素を取り入れるなどしているのだが、要するに鎖国化する日本人は必ずしも外国文化そのものを否定するのではなく、日本的な常識に適合できた都合のいい外国文化ならば受け入れられるのである。

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 若者層において鎖国化する日本人の典型がロキノンだろう。

 ロキノン厨とは、ロッキンオンジャパンという雑誌が取り上げるようなロックバンドに迎合する人間のことで、一般大衆と逸脱した音楽センスを持つことに自惚れしている人々を揶揄する若者スラングだ。レガシーメディアとなった紙の雑誌の作る流行に迎合する昭和のような若者が彼らである。

 ロキノン厨の特徴は概して洋楽に疎く、無関心だということだ。もっと言うと、彼らは洋楽を敵視している。当たり前だがロックは西洋発祥の音楽だし、ロッキンオンジャパンの母体となるロッキンオン自体が1972年に創刊した老舗洋楽雑誌であることを考えるとロキノン厨の鎖国性がトンチンカンすぎることがよくわかる。しかし、若者には一定数存在しているのだ。http://www.ryukyujima.net/images/photo_shop_big/028001photo_top.jpg

 そして彼らはCDショップの「タワーレコード」を好む癖もある。わけもなくカバン代わりにタワレコの袋を持ち歩きたがるのだ。タワーレコードも1979年に日本にやってきたアメリカ発祥のCDチェーンであり、もともとは洋楽の品ぞろえの豊富さがバブルの若者にウケていた背景を考えると、やはりメチャクチャなのだが、彼らは浅い歴史を知らないのである。

 タワーレコードの本国法人はCDのレガシーメディア化に伴い業績が悪化し、約10年前になくなっている。その際に日本のタワレコは米国法人から独立し、現在にかけて独自の経営路線をとっている。ロキノン厨の友人にやたら連れていかれるのだが、店の内外にロキノン系のポスターばかり貼ってあり、外資らしさは完全に薄れていることがよくわかる。

 これは完全に個人的な話なのだが、ロキノン厨の友人たちは親がなぜか演歌と昭和歌謡しか聴かないパターンが多く、彼らは独自で音楽ジャンルの開拓をいそしんだ結果がロキノン厨だったそうだ。自分の両親はじめ、普通若者の親(4~50代)というと、洋楽全盛世代のはずなのだが、鎖国性も親譲りということだろうか。

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 戦後68年である。

 日本人は「鬼畜米帝」を敵視し、敵性文化や適正言語を排除するなど鎖国状態に陥って、戦略性を見失った結果が、アメリカへの敗北だった。

 マッカーサー提督が厚木飛行場に降り立ってからは一転して、日本を打ち破った戦勝国であるアメリカ文化を追い続けた。GIがジープからばら撒く輸入物のチョコをねだった子どもたちは、やがてFENから流れる英語を聴いたり、ハリウッド映画を見るなどし、ロックバンドを編成した。そうした大人たちがやがてマクドナルドを誘致し、ディズニーランドを誘致した。日本の豊かな発展とアメリカ文化の受け入れの拡大は紙一重だったはずだ。私が小学生だった2000年代初頭ごろまではまだそれが続いていたし、ふるさと湘南に広がる豊かな文化はアメリカを受け入れた日本人たちが築き上げたものだ。横須賀の文化だって米軍基地がもたらしたものである。

 

 しかし、気づけば、「鎖国化する日本人」がじわじわと広まりつつあるのだ。彼らは日本人であることを誇りにするわけでもなく、髪を茶髪に染め、洋服を着てスニーカーを履き、朝食でトーストを食べて昼はマクドナルドに行き、アップル社の再生デバイスで日本人による日本語ロック音楽を聴くのに、異文化に無関心で疎むというというシュールな文化特性がある。とても田舎っぽいことだと思う。

 

 そして、そういう排斥的な精神を極端に振り切れた例がヘイトスピーチなのではないだろうか。すぐ近くの隣国、それもかつては自国の支配下にあった植民地である韓国は「日本人にとって最も身近な異国」である。行けばわかるが、文化的な共通点はいくらでもあり、まるで日本国内の地方のようなものだ。

 あまつさえGDPなどではまだ大きなハンデを抱えているというのに、この韓国を脅威的な敵国であるように考える人間は、ロキノン厨の知人にもいた。

 ヘイトスピーチは異文化の拒絶の究極である。隣国を理解できない人間はより遠くの文化圏など分かりようもない、事実、韓国にこだわり続けていたヘイトスピーチデモの排斥扇動の矛先はインドやアメリカなどの他国にも広がりつつある。彼らはナチス主義に共鳴しているのだ。

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 政治的な国と国のぶつかり合いは確かに存在する。私も領土や歴史認識をめぐっては韓国にはかなり厳しい立場だ。左側からは歴史修正主義者だと罵られてしまいそうだ。もちろん、移民制度をめぐっても、外国人受け入れによって生じるトラブルやリスクはいくらでもある。

 

 だが、異文化そのものを拒絶する「鎖国化する日本人」というのはそれ自体が日本社会を不寛容に染め、閉塞感を助長させるおそれのあるような厄介な存在であると私は思う。彼らが少なからず居るから、ミリオネアが打ち切られたり、ディズニーランドやタワレコガラパゴス化してしまうのである。ナチュラルな外国文化だろうと良いものは寛容に受け入れられる人と彼らとの隔たりは知らないうちに、しかし確実に生じており、この10年でじわじわ広がり続けているのだ。

 

 

 「鎖国化する日本人」という厄介さを克服する必要がある、と改めて思うのだが、みなさんはいかがだろうか?