ふと日本語の本が読みたくなって、青空文庫をのぞいてみた。無料で読めるから。
そこで、聞いたことある作家の作品を適当にダウンロードしてみた。新潮文庫100冊とかにありそうなの。
で、何の前知識もなく、有島武郎の「生まれいずる悩み」を読んだんだけど、ぼろぼろ泣いてしまった(笑)。
やっぱり作家ってすごいなぁと。文章力がすごい。当たり前なんだろうけども。
画家を諦めて家業の漁師をついだ”君”の生活を有島武郎が想像で語ってるんだけども、”君”は父や兄と漁師をしながらも絵を描く未練を諦めきれてない。自分に画家としての才能があるとは思えないんだけども、多くの人がそうしてるような、家業を受け入れ、ささやかな幸せに生きる人生にたいして完全に没入することもできていない。そういったささやかな幸せこそが本当の幸せなのだと思っていても、どこかひっかかっていて、そのひっかかりが自分の傲慢さからじゃないか、こういう中途半端な考えで生きていて家族に申し訳ない、とか、そういう葛藤が描かれている。
この”君”の考えは、きっとこの小説を書いてるときの有島武郎自身の考えなんだろうなと思いつつ、僕も完璧に感情移入できてしまって参った。
中途半端に研究という職業を続けて、自分に研究者としての才能がない(二流研究者)、といいつつ未練がある。
多くの人が覚悟をもって研究から離れて、幸せというものを得ているだろうに、そしてその幸せを素晴らしいといいながらも、それを追うことをしていない。。。自分の傲慢さ、諦めの悪さ、情けなさ、、いろいろな気持ちが”君”と重なって渦巻いた。
強引に感情移入してるだけなのかもしれないけど、、、感情移入したかっただけなのかもしれないけど、はいりこんでしまった。とくにこの場面はグッときてしまって、ボロボロ泣いた。
有島武郎 生まれいずる悩み
北海道には竹がないので、竹の皮の代わりにへぎで包んだ大きな握り飯はすっかり凍ててしまっている。春立った時節とは言いながら一日寒空に、切り株の上にさらされていたので、飯粒は一粒一粒ぼろぼろに固くなって、持った手の中からこぼれ落ちる。試みに口に持って行ってみると米の持つうまみはすっかり奪われていて、無味な繊維のかたまりのような触覚だけが冷たく舌に伝わって来る。
君の目からは突然、君自身にも思いもかけなかった熱い涙がほろほろとあふれ出た。じっとすわったままではいられないような寂寥の念がまっ暗に胸中に広がった。
これは漁が休みのある初春の日に久しぶりにスケッチブックをもって1人山にこもり、無我夢中に描いた日のこと。
その帰りに無二の親友K(Kは文筆家を諦めて家業をついで調剤師になってる)のところによって話をしたあと、Kが夕飯を家族で食べると席を外したときの描写だ。
君の目から突然、、という言葉を読む前に僕は泣き始めてた。わかるんだよ。このときの”君”の気持ちが。
ウジウジした情けない男なんだろうけども。だから僕にはわかるんだろう。
しかし作品全体にわたってポジティブな力強さも感じられる。漁船が遭難したときも強い生への意志が感じられたし。ひょっとするとこの作品を書いたときの有島武郎が悩みながらもポジティブな何かを掴んでいたのかもしれないなとも思った。だから、読んだ後にどんよりした気持ちになるわけでもなく、むしろ覚悟を決めたような、妙にスッキリした気持ちになった。
「生れいづる悩み」なんて10代が読むものだと思ってたんだけど、もし僕が10代にこれを読んでたら何も感じなかっただろうと思う。むしろこれは30代から40代のミドルエイジ・クライシスまっただ中の人にフィットするんじゃないかなと思う。
一方で、
物語に純粋に感動したんだけども、同時に日本語をこれだけスラスラ感情込めて読みきれるのに、英文はそこまでになれないという事実も僕にはキツかった。普段ほとんど日本語を読まないからこそ、有島武郎が書く日本語のうまさが際立ってよくわかった。そういったうまい英語というのがわかるか?といえば、わからないだろう。なんとなくわかったとしても日本語ほどではない。しょうがないわけだけども、でも、なんか、うーん、それでいいのかな?とも思うし、それでいいのかな。とも思う。
- 関連記事