露領沿海洲「秘密の山奥」
露國二等大尉アルセニエフ著、松本高太郎譯、今井昌雄編
二十二、タヅウシウ河
ウラヂミル灣からタヅウシウ河に至るに二路あり、一はウルウハイ河の上流に行き、後タポウザ河とリサゴウ河（タヅウシウ河の支流）に沿うもの、他は（海に近き道）タポウザ河に行き、山を越えてタヅウシウ河の河口に出るものである。
予は人に多く知られてゐない後者を選んだ。
タポウザなる名稱は支那語のダパオヅイ（大泡子）の轉訛(てんか)で、この名稱のある所以は河が直接に海に注がず、數十露里の周廻(しゅうかい)を有する海岸の大湖水に落つるからである。
土人の言ふに、以前此處の湖水に鹿が多數居り、ターザ人は犬と協力して鹿を湖水に追ひこみ、弩(おおゆみ)*にて射殺し或は槍で刺し殺したと。
タポウザ河は延長二十五露里[(二十七��)]でフウルウハイ河と並行して流れる。
ウラヂミル灣とタヅウシウ河間の道はフウルウハイ河に起り、山を越えてタポウザ河に下り、後再び山を越えてタヅウシウ河へ下る。
この日一行の歩いた里程は二十七露里[(二十九��)]で、一般の道筋は海岸と並行した。
途中、鹿の趾跡(あしあと)を度々見たが、軈て鹿自身をも見た。
兵士等撃つたが中(あた)らなかつた。
併し、之は却て喜ばしかつた。
糧食充分であるから鹿を殺せば、却て荷(に)厄介(やっかい)である。
嗚呼(ああ)タヅウシウ河！是ぞウエニコフ氏が先頭第一に通過した河である。
氏は河口に一千八百五十七年此處に來ると記した大十字架を建てたが、目下此十字架は何處にも見當らぬ。
多分支那人が之を徹し去つたのであらう。
タヅウシウ河は何故か地圖にリフウレと記され、或る地圖にはレイフンヘと記されてある。
支那人は此河をダゾシウと呼ぶ。
滿子(まんざ)の古老の言ふに、シホタアリン附近の河の上流に槲(かしわ)の大木があり、其空洞(うろ)は八人を容るゝに足り。
人參掘が其空洞内へ祠を建て、通行者は皆之か拜したが、或時砂金採りが此處へ來て、祠を外へ持ち出し、空洞内で賭博を仕たので祠神(ししん)忿(ふん)り雷を降(くだ)して、此大木を碎(くだ)き賭博して居た者悉く死し。
此時からレイフンヘ（雷忿河）及ダゾシウ（大座樹）の二名稱起り、ダゾシウ轉じてタヅウシウとなつたのであると。
烏蘇里(ウスリー)極地の山河は種々の名稱を有つて居る。
之は土人、支那人、露國人が各々自分等の附けた名稱で呼ぶからである。
故に混雜を避けんとするならば、支那人の住む處では支那人の名稱を用ゐ、土人の住む處では土人の名稱を用ゐるを要する。
露語の名稱は唯地圖上のもので、土地の住民には通じない。
支那人に道筋を聞いて、予は左の如く旅行計畫を立てた。
其計畫はタヅウシウ河の上流に行き、シホタアリンの支脈を越えてリフウジン河に出で、其處からノト河に行き、ノト河に沿ふて再びシホタアリンを越えてチユテヘ河に出で、若しチユテヘ河に出ることが出來なかつたら、タヅウシウ河に引返してグラナトマンとメルヅリヤコフ氏の來着を待つのである。
タヅウシウ河の下流は廣い濕地をなし、以前此處は大きな灣であつて、當時の河口は現時ノオタヅウシンスカヤ村の在る場處の少しく上方に在つたのである。
海岸に高い崖があり山の斜面に懸崖あるは、海岸線の後退したを示す。
現時、濕地の中に在る湖水は灣が干潟となつた時代の最も深い場處の遺物である。
河の全延長六十八露里[(七十三��)]廣い盆地を流れ、崖が兩側に連り殆ど水源地にまで及んで居る。
河に沿ふて上流に行けば左方に支流のドンゴウ（東溝）カンヘーザ（乾河子）チムヘ（七孟河）リバゴウザ（籠罷溝子）チタゴウザ（地楊溝子）あり右方にクワンダゴウ（光大溝）シユアンラザ（游拉子）シヤオリシヤゴウ（小李下溝）ダリシヤゴウ（太李下溝）ユシヤンゴウ（右上溝）シベゴウ（西北溝）がある。
シベゴウ河は延長三十露里[(三十二��)]で、ヒシヤザゴウ（ヘイシヤヅイゴウの轉訛(てんか)で黒下子溝）チメンサンゴウザ（七門所溝子）の二小河の合したものである。
我々の進んだ道は河の左岸で、其昔河口の在つた場處から道は山への登りとなり、此處から觀望すれば東に海見え、西に河の上流見え、左方に山聳(そび)え景色が甚だ美しい。
殊に莊觀であるは、支那人がヂタシヤン（地塔山）と呼ぶ粗面岩の禿山である。
土人の言ふに、以前此山に鹿が多く居たが今は殆ど捕盡(とりつく)されたと。
此處の山麓に褐炭が露出して居る。
タゾウシウ河の右方支流中著名なるはリシヤゴウである。
此河は延長十二露里[(十三��)]で、比河に沿ふて道がアルザマソフカ河に通じて居る。
リシヤゴフカ河がタヅウシウ河へ落つる河口付近に鞍形をなした山があり、此山麗に古い黒楊に圍(かこ)まれた富裕の支那人部落があり、最早黄昏となり足元暗くなつたから支那人の房子(ファンザ)に急いだ、我々が房子近づいたから、房子の主人が戸口に出て來た。
長痩體(そうたい)で背が少しく屈み長い白髯あり、人品賤(いや)しからざる老人で、其衣服の整つて居るは生活の富裕であるを示して居る。
我々は招かれて房子に入り見たら、支那人の房子としては珍しく清楚である。
晩食後、予は彼にタヅウシウ河のことリフウジンに至る道筋のことを問ふたら最初彼は好んで語らなかつたが、後談話に興を起し、昔のことを追想して種々興味ある談話をした。
其語る所に依れば、彼は滿洲人で名はキンチウ、郷里は[寧古搭(にんぐた)]*。
タヅウシウ河に六十年間住し、既に老體となつたから郷里に歸り骨を埋むる心算(つもり)であると。
次に彼は此地に渡つた當時のことを話したが、この話しは予が始めて聞いた昔話であつた。
その昔話とは蘇城王グアンユンと寧古搭の領主チヤンタイヅイとの戰爭談である。
尚ほ、彼はダウビヘ河の戰爭とコウチエデンザ山（オリガ哨所附近にある）の戰爭のことを話した。
老人は詳細に雄辨に話し、予は我を忘れてこの話に聞き惚れ、予一人のみならず房子(ファンザ)中の支那人も靜まり返つて老人の物語りを聞いた。
尚老人は恐ろしい疫病流行し、戰爭に生き殘つた者は悉く死滅し、その時烏蘇里(ウスリー)極地は無人の地になつたと話し、烏蘇里のタイガーヘ始めて來た支那人は人參掘のもので、自分も人參掘の目的で此處へ來て、タヅウシウで病氣に罹り、土人の家に止まり、後土人の女を娶(めと)りターザ人と共にこの老年まで住んだと物語つた。
翌日、老人に別れを告げ一行は河に沿ふて前進した。
空には雲があつたが天氣は好かつた。
タヅウシウ河の上流は下流と少しく趣を異にし、下流では盆地を流るるが、上流では其直ぐの谷の中を流れる。
タヅウシウ河畔には支那人多數住し居り、予が數へたら彼等の房子は九十七戸あつた。
此處の支那人は烏蘇里極地の他の支那人に比して富裕の生活をなし、各房子はハンシン（支那燒酎）を釀造して居る。
彼等は服裝清楚、營養足りて、他の支那人に異なる。
房子の周圍には菜園、麥畑、阿片を取る廣い罌粟(けし)畑がある。
河の上流にはターザ人が住み、其の衣服身體の不潔は有らゆる疾病の本源となつて居る。
支那人は獨身で烏蘇里(ウスリー)極地に來り。
暴力でターザの婦女を奪ひ、この結婚から支那人と土人の混血兒が生れる。
故に烏蘇里極地の土人の大部分は純粹のターザではない。
彼等の多數、殊に婦人は阿片を愛喫し、これは彼等を貧困ならしめた原因の一である。
煙草は皆喫し、小兒さへも喫煙する。
タヅウシウ河谷は頗る[肥饒(ひじょう)]で、河水の氾濫がない。
比較的大きな三河（デンザヘ、シベゴウ、ユシヤゴウ）が一時にこの河へ注ぐ場所でさへも、水は少しく岸から溢れるのみで、而もその滿水は久しく續かぬ。
タヅウシウ河谷はオリガ地方における植民の好適地である。
弩《おおゆみ》横倒しにした弓で矢を発射する弓
寧古搭《にんぐた》清が満州を統治するにあたり重要な役割を果たした場所。現在の黒竜江省牡丹江市寧安に相当
一九〇六年旅行記