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オウム真理教事件の真の犯人は「思想」だった - 大田俊寛

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麻原彰晃は事件の真相を理解していない

一連のオウム事件の主犯が誰であったかについては、一時期、「麻原彰晃の独断」説と「弟子たちの暴走」説のあいだで論争が行われていました。

最近『文藝春秋』(2014年2月号)で公表された井上嘉浩氏の手記に見られるように、オウムにおいては、たとえ上層の幹部であっても、「麻原の意志に背けば殺される」ということが陰に陽にほのめかされていましたので、どちらかといえば前者の方が事実に近かったと思いますが、オウム問題を広い視野から捉えようとする場合、そのことは実は、さして重要ではありません。

事件のすべては麻原の独断によるものであり、また同時に、その「真相」のすべてを麻原が了解していたかといえば、とてもそうは考えられない。麻原の裁判は一審で打ち切られ、二審と三審が行われませんでした。言わば、「デュー・プロセス・オブ・ロー(法の適正手続)」が堅持されなかったわけで、そのことはやはり批判されなければなりません。

しかし、一審の経緯を見る限り、麻原はそもそも、現在の法制度によって自分が裁かれるということ自体を拒絶しており、審理の途中から妄想の世界に逃げ込んでしまった。もし裁判が継続されたとしても、その状況はおそらく変わらなかったでしょう。

また何より、オウム真理教とは何だったのか、教団の活動が何故あのようなお粗末な悲喜劇に終わってしまったのかということを、世界のなかで誰よりも理解していないのが、麻原彰晃という人間なのではないかと私は思います。彼の思考は濃密な幻想によって覆われており、ある意味で彼は、そうした幻想に突き動かされて行動した人間の一人にすぎなかったのです。

オウムの思想の根幹は「霊性進化論」

それでは、麻原彰晃やオウム真理教を動かしていた幻想とは、一体何だったのか。オウムの思想に対しては、私はすでに『オウム真理教の精神史』『現代オカルトの根源』という二著によって一通りの分析を終えていますので、ここではもう詳しくはお話ししませんが、現在の私は、オウムとは、「霊性進化論」という思想潮流から生まれた宗教団体の一つであったと考えています。

霊性進化論の源流を作り上げたのは、一九世紀後半に活躍したロシアの霊媒、ブラヴァツキー夫人という人物です。当時の世界では、ダーウィンの進化論が広範に普及し、その影響から、旧来のキリスト教信仰が大きな打撃を受けていました。こういう状況のなかでブラヴァツキーは、スピリチュアリズムと進化論を融合させることにより、「神智学」と呼ばれる新たな宗教運動を創始したのです。

それによれば、本当の意味での人間の進化とは、肉体のレベルではなく、霊性のレベルにおいて生じる。人間は地球において、七段階の進化を遂げることが予定されており、現在は物質的進化の極点に達しているが、今後は霊的進化への反転が生じることになる。簡単に言えば、「物質文明から精神文明への大転換」が起こることが予言されたのです。神智学の教えはその後、ニューエイジやポストモダンの諸思想に幅広い影響を与えていきました。

オウム真理教の最終目的もまさに、「物質文明から精神文明への大転換」を起こすことに置かれていました。オウムの内部でそれは、「種の入れ替え」という言葉によって表現されていた。現在の人間は物質的欲望に縛られて動物化しているため、これを粛清し、その後に霊性のレベルの高い神的人類から成るユートピアを建設する──それこそがオウムの目指していたことでした。オウムが起こしたあらゆる事件は、このような最終目的を実現するための布石として行われたのです。

なぜ裁判はオウム問題の本質に触れることができないのか

オウム真理教の本質を理解すれば、それによって引き起こされた数々の事件が、「思想犯」と呼ぶべきものであったことが分かります。ゆえに、オウム事件に対して裁定を下そうとすれば、本当は、その主要な原因となったオウムの思想自体の理非を問わなければならない。

ところがここで、大きな問題が現れます。それは、現行の日本の法制度においては、思想そのものの罪を問うことができない、ということです。

そんなことは当然だ、と思われるかもしれませんが、歴史を振り返ってみれば、思想の罪を問わないというのは、むしろ例外的な事態であることが分かります。人類の長い歴史のなかでは、社会を脅かす恐れのある「危険思想」に対しては、何らかの仕方で制裁が加えられるというのが普通でした。

ナザレのイエスが処刑されたのは、彼の説く「神の国」の思想がローマ帝国の統治にとって障害となると考えられたからでしょうし、中世のキリスト教社会では、「異端審問」がたびたび行われました。戦前の日本でも、治安警察法や治安維持法といった「治安立法」が存在していた。それらの法に基づき、「国体の変革」につながる恐れがあるという理由から、共産主義の他、数々の新興宗教団体に対する弾圧が行われてきたのです。

しかしながら、近代の社会が成熟するにつれ、「治安立法による思想犯の取り締まり」は、次第に行われなくなりました。それは、国家の安全よりもむしろ、信教の自由や思想・表現の自由を優先すべきだという見解が、大勢を占めるようになったからでしょう。

とはいえ、成熟した近代社会において、思想犯がまったく現れなくなったというわけではありません。戦後の日本の例で言えば、連合赤軍事件とオウム事件が、思想犯の典型であったと見ることができます。

連合赤軍やオウムは、それぞれの思想に基づき、現在の世界の体制を根本的に変革することを目指していた。ゆえに、これらの事件を裁こうとすれば、先ほど述べたように本当は、その思想の理非をまず問わなければならない。

しかし現行の法制度では、思想の罪を問うことはできず、法廷での議論はどうしても、武器をどうやって調達したか、犯行計画を事前にどこまで知っていたか等、あくまで即物的な内容に限定されてしまう。そのため、裁判に長い時間を費やしているにもかかわらず、いつまで経っても本質的な問題に話が及ばない、という不全感が残り続けることになるのです。

くれぐれも誤解しないでいただきたいのですが、だからといって私は、あらためて思想の罪を法廷で裁くべきだ、「異端審問」や「治安立法」を復活させるべきだ、と考えているわけではまったくありません。思想の罪を問わないということは、これまでの人類が長い試行錯誤を重ねた末にようやく獲得した原理であり、安易にこれを手放すことが、社会の改善につながるとは到底考えられないからです。

しかしながら、再び話を戻せば、法廷で裁かれないからといって、思想の罪自体が消えるわけではない。私たちはむしろ、思想の罪を法廷では裁かず、信教の自由や思想・表現の自由を最大限尊重するということに決めているのだから、そういった罪や責任は、国家権力が介在しない仕方で、市民社会の側からの自発的意志や見識に基づいて問うていく必要があります。私たちはそのことを、もっと明確に自覚しなければなりません。

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