岡橋毅
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今回はイベントを取り仕切る「ファシリテーター」の存在について考えたいと思います。ファシリテーターは司会者とも訳されたりしますが、対話イベントでは、専門家であるスピーカーと参加者をつなぐ仕事をするという意味で使っています。もしかしたらファシリテーターを「科学コミュニケーター」と呼ぶこともできるかもしれません(しかしこの呼称はイギリスではあまり使われていないようです)。
●ファシリテーターもいろいろ
科学カフェの場合、ファシリテーターの基本的な仕事は、イベントの進行やゲスト・スピーカーの紹介などです。人によっては、スピーカーとの交渉から会場の確保、音響機器のセッティングまでを1人でやっている方もいます。ファシリテーターの見せ場は、イベントの質疑応答の場面だと思いますが、介入具合はそれぞれの科学カフェで大きく異なってきます。特にこの連載で紹介したカフェ・シアンティフィークとダィナ・センターの違いは大きいかもしれません。
ロンドンのダィナ・センター(DC)では、センターのスタッフとファシリテーターの分業体制ができています。スタッフは準備やセッティングをし、イベントが始まると、ゲスト・スピーカーの紹介や当日の進行予定を確認した後は、進行をプロのファシリテーターに任せます。「プロ」と言うのは、その日のトピックに関して詳しい知識を持っているジャーナリストやNGOの代表、テレビ番組の司会者等がファシリテーターをつとめるからです。ダィナ・センターのファシリテーターがプロであるのは、彼らを雇える資金があることのみならず、ゲスト・スピーカーが常に2、3人であることや明確な時間制限があることなど、ファシリテーターに一定レベルの技術が必要とされるという事情があるからだと思われます。実際に彼らの仕事を見ていると、時間配分や話題の転換の仕方、質疑応答のさばき方など、まさにプロだと感心させられることが多いのです。
それに比べ、カフェ・シアンティフィーク(CS)は草の根的に運営されていることが多いので、ファシリテーターの特性や介入の仕方はそれぞれのCSによって違います。例えば、英国のCSの創始者とされるリーズのダラス氏は、退職後の余暇としてCSを運営しているため、1人で準備から司会まですべてをこなします。バーミンガムのCSを取り仕切るトスク氏も、ほぼ1人で運営しています。彼は現役の科学者であり、CSを始めた動機は「科学が文化とかけ離れてしまっている実情をどうにか変えていきたい」という思いからだそうです。また他のCSでは、数人の科学者(オックスフォード)や大学院生(レスター)、大学関係者(マンチェスター)など様々な人たちによって運営されており、その動機もファシリテーターとしての意識も違います。そして、質疑応答でのファシリテーションでは、DCに比べると物足りなく感じることもあります。
しかし、ニューキャッスルのCSは、Policy, Ethics and life Sciences Research Institute(政策・倫理・生命科学研究所:PEALS)という機関のプログラムの一つであり、意識の高いファシリテーターの役割の大きさを感じたところでした。ここのCSでは、PEALSのアウトリーチ(社会への普及・啓蒙活動)のディレクターである社会学博士のトム・シェークスピア氏がファシリテーターをつとめています。シェークスピア氏は、話の途中でも内容の確認や補足をしたり、質疑応答の際には自らも質問をしたりと、積極的にゲスト・スピーカーと聴衆とのコミュニケーションを活発にしようとしていました。彼の教職歴や専門知識も、ファシリテーションに良い影響を与えているのだと思います。
こうしてみると、DCのファシリテーターはある意味でコミュニケーションの専門家と言えるのですが、CSに限って言えば、ファシリテーターとしての専門性(というものがあればですが)はほぼ無いに等しいです。ファシリテーターが専門性を持つべきだというわけではありませんが、個人的な意見としては、聴衆の質問や意見をうまく引き出せるファシリテーターがいた方がイベントはおもしろくなり、「対話度」も高くなると思っています。もちろん、スピーカーが同時に優れたファシリテーターであれば、より充実した対話が望めます(注1)。
●ファシリテーターの仕事
私が一番重要かもしれないと思っているファシリテーターの仕事は、イベントの冒頭の、スピーカーの紹介とともに科学カフェのコンセプトや形式について簡単に説明する部分です。例えばマンチェスターのCSとDCのイベントでは、イベントを始めるにあたってファシリテーターが以下のようなことをアナウンスします。
【CSマンチェスター】
今夜のCSにようこそ。……科学カフェの形式は、20分から30分の話のあとに、10分の休憩があります。このときにワインやコーヒー、食べ物を新しくオーダーできますね。休憩の後は、質疑応答のセッションになります。もし質問をするのが恥ずかしいという場合は、テーブルの上にある質問票に書き、休憩中に私に渡してください。
【DC:ネイキッド・サイエンス】
みなさん、こんばんは。今夜はお越しくださりありがとうございます。……今夜のイベントは(今日のテーマについて)もう少し多く知り、パネル・スピーカー達とあなたの意見を共有し、質問をし、議論し、等々をする、あなたのための機会です……
その他にも「CSでは、ばかな質問というものはありません(CSオックスフォード)」とか、「今日のイベントは対話と討論のためのものです(DC)」など、イベントの初めに対話を歓迎していることをしっかり伝えています。こうした導入をすることで、質問や意見を言いやすい雰囲気が作り出されているのだと思います。
しかし、いくら「質問してください」と言われても、専門家を前にして質問や意見を述べるには、それなりの覚悟もいります。私が参加したいくつかのイベントでは、質問が途切れがちになってしまうこともありました。そのときのスピーカーの話が質問も疑問も呼び起こさないような(つまらない?)ものであった可能性も否定できませんが、そういうときにファシリテーターの力量が問われるのだと思います。聴衆の反応を引き出すため、時には自らが質問を投げかけたり、問題点を挙げた上でその点についての質問がないか呼びかけたりする、といったテクニックは、知っていればすぐに使えそうです。おもしろいことに、問題点や重要だと思われる話題が参加者で共有されると、次々と発言や質問が出てきます。
参加者同士の問題点の共有という意味では、質疑応答の前の休憩時間が、聴衆間で疑問や意見を共有したり、質問を練ったりするために貴重な時間となっていると前出のダラス氏は言います(前回の連載でも触れました)。私も休憩時間に周りの参加者と話をすることがありましたが、必ずしも質問につながるわけではなくとも、聴衆同士が話すことで会場の雰囲気が良くなり,それが質問しやすい雰囲気を生むという印象を持ちました。こうした「雰囲気づくり」や「場づくり」も、ファシリテーターの重要な仕事だと思われます。
●ファシリテーターの哲学
最後に、CSニューキャッスルのシェークスピア氏とCSリーズのダラス氏へのインタビューから、彼らのCSへの姿勢を表していると思われる部分を紹介します。これまで見てきたように、ファシリテーターといってもいろいろな人がおり、多様なアプローチがあります。しかし、以下のような言葉に表れる彼らのちょっとした「思い」が、対話イベントの大きな原動力になっている気がします。実際、この二人はイギリスのCSの仕掛け人です。
【CSニューキャッスルのシェークスピア氏】
私たちは、いままで36のCSを行ってきた。おそらく延べ3000人ぐらいが参加したと思う。この数はそんなに多いとはいえないかもしれない。テレビ番組のドキュメンタリーならば数百万の人たちにとどけられるだろう。しかし、それはいつでも受身の関係である。CSで起きているのは、質の高い関わりあい(engagement)であり、お互いの顔が見える関係であり、それはとても参加型(participative)のものだ。CSは学術的な場ではないし、スライドやパワーポイントをつかった講義でもない。これはおしゃべりであって、関わりあいなんだよ。(注2)
【CSリーズのダラス氏】
人々は(自分の意見を)聞いてほしいのだ。講義を聴きたいわけではなく、参加者たちは自分の見方や質問や批評を表明したいのだと私は思う。……(参加している)人たちは話し合っているでしょう。あなたも他の参加者としゃべったでしょう? これは社会変革(social change)なんだよ。■
注1:実際、科学者(専門家)のコミュニケーション能力を磨く試みもなされて始めています(例:サイエンス・メディア・センターなど)。というのも、科学者の意識調査によれば「コミュニケーションの必要性と責任」を強く感じているものの、その方法がわからなかったり、コミュニケーション能力に自信がなかったりすることが明らかになっているからです。
(参考)MORI. 2000. The Role of Scientists in Public Debate: Full Report.
注2:DCや多くのCSでは大型スクリーンを使っているが、シェークスピア氏のニューキャッスルのCSやダラス氏のリーズのCSなどでは、よほどの理由がない限りパワーポイントも補助機器も使用させないことにしています。パワーポイントがコミュニケーションを助けているのか、それとも妨げているのかという問題は、パワーポイント等が主流となった今日、ひょっとすると深刻な問いかもしれません。