某ワードの記事に挿入しようとしてすっかり忘れてしまったことがひとつ。これで某ワード言及はしばらくしないと思います。例の風評被害も一連の騒動が終わるまで何も言わない。
で、「地方から出ない若者」をモチーフにしているとしたらコレじゃないですか。
アキの友達のユイはアイドルを目指していて東京に行きたいけど、いろんな出来事が積み重なって結局最終回まで東京に来ることはできなかった。特にアキが東京に行ってしまってから地元に残されたユイはいじけてしまう。物語では外的要因も重なっていたけれど、心的要因の具現として書かれていたのではないかと思う。この作品の「地元を大切にしよう」というメッセージは強烈で、親の顔を見に地元に帰りたくなること間違いなしだ。
某ワードの若者をある意味賛美しているのが「あまちゃん」だけど、もっと徹底的に表現しているのがこっち。
余命宣告をされた主人公のぶっさんは一度も東京に行ったことがない、というか木更津から出たことがないと言う設定。友達は学生時代からつるんでいる奴らばかりで、いつもの仲間と草野球をしてビールを飲んで過ごしている。その中でローカルに起きる騒動を描いているのがこのドラマ。このドラマ自体が「内輪ネタばかりで面白くない」という評価がまさしく「木更津に篭っている」ぶっさんそのものなんだって最近気が付きました。キャッツアイの仕掛けについてはこの本に結構書いてあります。
あと、クドカンじゃないけど結構似た路線で最近のドラマっていうとコレかな。
かまぼこ工場の正社員としてパートのおばさん相手に強く出られない越前さんは言いたいことが言えない代わりに、お気に入りの漫画のキャラクターを使って愚痴漫画を描いている。ところが毎回愚痴ばかりのキャラクターとしてはたまったものではない。直接作者に交渉して漫画の世界を楽しくしてほしいということでノートの外にキャラクターが出てくるというぶっ飛んだ設定だけど、越前さんの煮え切らない態度とか三崎港あたりの郊外でやりたいこともできずに悶々としているところなどは某ワードに該当する人のために作られたのでないかと思っている。
選択肢って、品物じゃないんだよね。考え方に触れる機会とか、様々な人間に遭遇しているかってこと。田舎あるあるを披露すると、「医者の子供が医者にならなくてはいけないと思い込んで一生懸命勉強するけど、地頭がなくて無理に医学部に入るけど落ちこぼれて地元に戻ってきてヒッキー」みたいな感じ。そこで子供自身が「僕医者は無理そうだけど違う職業についたら行けるかも」と一瞬でも思えないのが「選択肢のなさ」です。おそらく周囲も「お前はお父さんに似て賢いから医者になれるな」とか「これで跡取りは心配ないですね」とか逃げ場を奪うというか、おだてて上に登らせてはしごを外しているという感じ。それを地域ぐるみで暗にやられている。
こうやって見ると「毒親問題」に似ていますね。「こうでなければならない」を過剰に押し付けられた子供は家を出ていくしかない。外から親子の関係を客観的に分析できない人は「親を捨てるなんてひどい」とか「血は繋がっているんだから許してあげな」とか無責任なことを言いがちなのも似ているかもしれない。うーん、根っこはどこまでも深い。