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2014-05-14

[][]N.R.ハンソン『科学的発見のパターン』

ハンソンというと、観察の理論負荷性であり、この本でもそれについて扱っているわけだが、逆に言うとそれしか知らなかった。

科学哲学入門書とか教科書とかを読めば、必ず名前が出てくるけれど、クワインデュエムテーゼとクーンのパラダイム転換との間に置かれていて、ちょっと影が薄いというか

で、実際に本を読んでみたら、ウィトゲンシュタインパース科学史の人であった。


序論

第一章 観察

第二章 事実

第三章 因果律

第四章 理論

第五章 古典質点物理学

第六章 素粒子物理学


第一章が、観察の理論負荷性の話

「〜を見る」「〜として見る」「〜であることを見る」とはどういうことか

見るっていうのは、単に網膜に像が結んでいるってことじゃないんだよ、と

ネッカー立方体とか、貴婦人と老婆の錯視図形とかの例から始まって、網膜に映っている像は同じ線かもしれないけど、老婆を見るのと貴婦人を見るのとでは、別のものを見てるでしょ、と

同じものを見ているけど違う解釈をしている、のではなくて、文字通り別のものを見ているんだ、と

X線管を見て、科学者は「X線管」を見るけど、子どもはガラスの器具しか見えない。

そこには、X線管とは何かという知識、理論が背景にある。

「見る」ことには、視覚的な面と知識的な面があって、それは絵と言葉の違いでもあってみたいな話もしてる。

知覚の哲学とか、ちょっと描写の哲学っぽいようなところも触れているんじゃないかなっていう感じの章

そういえば、「型-誤謬」って言葉出てきたけど。文脈的に、カテゴリーミステイクのことか。


第二章は、第一章の続きみたいな話と思わせて、ガリレオの話

ガリレオは何を発見したか

速度が距離の関数ではなく、時間の関数であることを発見したこと

幾何学的に考えるのが普通だったので、初期のガリレオデカルトは、距離で考えてて、時間というものを使うという発想がなかった。


第三章の因果の話では、因果を、ビリヤードの球をついたらそれに当たって別の球が転がって式の因果連鎖型の理解はあんまりよろしくない、と。

因果というのは、説明の中にあるんだ、と

観察の話も因果の話も、こういうのを実用論的というのか何なのか分からないけど、後期ウィトゲンシュタインっぽいっていうか、「因果とは何か」と考えるよりも、「我々は普段因果という概念をどのように使っているのか」的に考えているような感じがした


第四章では、ケプラーがどのように楕円軌道の説にいたったという話を通じて、「科学的発見」について論じている。

科学哲学者は、帰納だったり、仮説演繹系だったりの話するけど、実際の科学者はそんなことしてないからっていう話で、じゃあ実際に何やっているかというと、リトロダクティブなことをやっているという

正当化の過程と発見の過程は別であり、そして発見の過程が今まで科学哲学では論じられてきてなかったけど、そっちみないと科学のことはわからないでしょ、みたいな話だと思う。

リトロダクティブって何かっていうと、アブダクションとか仮説形成とか呼ばれるパースの奴。この本では、「パースはこれを、アブダクションまたはリトロダクションと」言っているとして、リトロダクションって言葉の方を使っている。


で、この章で定式化されているのを見て、あ、これって尤度の奴って今更ながらに気付いた

ローゼンバーグ『科学哲学』読んで尤度が分かって、さらにこの本読んで、それとアブダクションと繋がって、まあ何というかわりと初歩的な話だとは思うけど、自分の中で「おお、そうだったのかー」と思えて、読んでよかった

ちなみに、『系統樹思考の世界』見たら、アブダクション=最尤ってのは書かれてた。


第五章では、ニュートン万有引力の法則から、法則って一体何なのかという話

これまた、法則が科学者の間で実際にどう使われてきたかを見ることで、法則とはこういうものと1つに定まるわけではないことを論じている。

経験的な主張なのか、アプリオリなものとして扱われているのかとか、実際にはその時々に応じて、使われ方が違う。ニュートンの頃はまだ経験的なものとして扱われていたけど、19世紀頃には次第に反証しえないようなものとして扱われるようになった、みたいな。

まあ、何にせよ、この法則が導かれたのも、リトロダクティブなのであって、この法則を受け入れると諸々のことが当然のこととして体系的に説明できるようになるのだ、と。

ガリレオの時間しかり、ケプラーの楕円しかり、と。


第六章は、量子力学

ちょっとこの章は、むずいのであんまり読めてない。

素粒子同一性について。つまり、ある電子とある電子が全く同じとはどういうことか。観測精度のせいじゃなくて、量子的だから

不確定性原理。これも観測上の問題じゃなくて、という話だけど、最初はそう解釈されていたこともあったみたい(ボーア=ハイゼンベルクの超顕微鏡アナロジー

あと、古典力学量子力学の特殊解であるという対応原理について、それは類似であって同一になるわけではないんだみたいなことを言っていて、訳者あとがきで「共約不可能性」という言葉を使わずに共約不可能性について書いてるんだってのはこのへんかな、と

科学的発見のパターン (講談社学術文庫)

科学的発見のパターン (講談社学術文庫)

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