東京で必要な言葉と、私が人生で最も感動した言葉について

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このブログでは、川上弘美吉本ばななの小説のように、“日曜の午後、私はキッチンで緑茶をすすり、幼い頃よく母に読んでもらった絵本をながめながら、彼が来るのを待っていた(そうして無事に、その晩私たちはセックスをした)”みたいな文章を書きたかったのに、失敗してしまったのでちょっと悲しいです。自業自得だけど。

 

過労死上等!”と思っていた頃に、遺書代わりにするかwと立ちあげたブログだったけれど、母が私を産んだ年齢をとっくに過ぎた今、自分の心配だけしているのも寂しい今日この頃なので、こんな風になっちゃあかんよとブログで誰かに伝えられたらと思う。(ごめん、いい子ぶっちゃった…///)

 

 

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今日は水曜日。
水曜日は、ノー残業デーを設定している企業が多いと思う。

 

弊社は、外国人が「この会社、ノー残業デー、ナイヨー!!(怒)」と叫ぶような、東京によくあるブラック企業です☆

日本で生まれ育った日本語ペラペラの外国人とか、外国で生まれ育った日本がカタコトの日本人とか、なんだかもうわけのわからない人がいっぱいいるので、そういうところは楽しい。

ちなみに、「海外は、残業文化がないから外国人はさっさと帰っても仕方ない」「海外は、自分の仕事以外はいい加減なスタイルだから日本人がフォローしてやれ」という自論を展開する経営陣なので、外国人にはとっても働きやすい職場です☆

あ、日本人の場合は、時間外労働79時間まではイケる体力がないと怒られちゃうけどね!(ちゃんと法律は意識してるからグレー企業かな?)

 

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外国人はドアを開けてくれたり、重い荷物をひょいと持ってくれたりするので助かっている。


(日本人が食事の際「いただきます」「ごちそうさま」を言うように、彼らにとってはごく自然なことで、特定の個人に対する好意でないところもまた良い。)


それまでの私は、業務上、重い荷物を運ぶ必要があれば、女性でもとりあえずやってみなきゃ!という価値観だったし、日本人男性は(あ、あの人重い荷物を運ぼうとしてる…大変そう…でもごめん、俺、今忙しいねんー!)って表情を見せてくれるので、外国人の「Oh~! ワタシが運ぶヨー!ダイジョブダイジョブー!」に初めて遭遇した時は感動のあまり唖然とした。

スポーツジムでトレーニングすれば重い荷物をひょいっと運べるようになるかもしれないし、脚立を使えば電球の取り換えだって出来るだろうが、すぐそばに、それを努力せずとも出来る人がいるのなら、頼めばいいのである。時間は有限なのだし。


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このあいだ、日本企業である弊社に英語で電話がかかってきた。
(海外の企業と取引してるのでおかしなことではない)

その日は、英語を聞きとる気力も、カタコトで話す気力もなかったので、

「ごめん、英語分からないから聞き取れないっす」と伝えたら、「私は英語しか分からないから英語で喋ってください」と言われて泣いた。

取次ぐべき人は御手洗いに行ってたのだが、英語でどう言えば良いかとっさに分からなかったので、「彼は長期休暇中です。バケイション、バケイション!」って答えておいたら、残念そうに電話を切ってくれた。
(怒られると思ったが、むしろ“英語しか分からないやつが日本に電話してくるのがおかしい”と同僚になぐさめられた。)


そういうこともあって、このところ地元の言葉で喋っていたら、「は?」「ごめん、本当に意味が分からない」と日本人に言われ、想定の範囲内とはいえ悲しくなったものである。

東京で働くには、日本語(東京弁もしくは関西弁)と、少しの英語が必要なようだ。

 

地元の言葉は東京では何の役にも立たないが、
英語より難解な言葉を話しても、私は日本人であるようだ。

 

 

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以前、お付き合いしていた人に言われたことを、最近よく思い出すようになった。

彼とは、一緒にいないあいだの出来事やそれにまつわる自分の感情をほとんど毎日報告していた。

今日はこういうことがあって、私はこう思って、でもこういうことを言われて、それでさらに私はこう思ったんだ、と。

自分の中のどす黒い部分も、ほとんどすべてを開けっぴろげにして。

もともと私が彼を好きになったのに、彼に嫌われちゃったらどうしよう、なんて思ったことは無かったように思う。

今思えば、幼稚園児が大好きなママに「あのね、あのね…」とおしゃべりをするようだった。

(一方、彼は無口な人で、出身は違うけれど“九州男児”的なところがあり、なんだか今日は落ち込んでいるねと訊ねても、なかなか話をしてくれなかった)


私は彼にずっと恋をしていたが、彼は私に恋をしていなかった。愛してすらいなかったかもしれない。その代わり、深い深い情があった。


まだ私が典型的な日本企業で働いていた頃。仕事で揉めた先輩に「お前は普通じゃない」「頭がおかしい」と言われ傷ついていた私の手を握り、彼は言った。


「大丈夫、大丈夫。東京で暮らす人は、みんなどこかおかしいんだ。狂っていないとやっていられない場所だから。君は少しだけ、おかしさの方向が違うのかもしれない。だから、そういう風に言われることもあると思う。僕もね、時々言われるよ、変わっているねって。だったら、“変わり者”同士、二人で支え合って生きて行こうよ。いつか二人で東京じゃないところで暮らせたらいいね」

それを言われた当初は、変人呼ばわりされてイラッとたが、彼と別れた後、この言葉に何度救われたか分からない。


彼と一緒にいた時、私は東京のごく限られた企業にしかない職種で働いていたが、今は日本全国にある職種でお賃金をもらっている。もし英語が話せたら、きっと海外にもこの仕事はあるだろう。

 

一緒についていく相手なんていなくなっても、それを思うと少しだけ心に光が射す。

 

 

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