「頑張るよりしょうがねえ」。
南相馬に暮らすある老人の口癖。
老人の名は…今人生の全てを懸けた最後の大仕事に挑もうとしている。
津波で流された自宅の再建だ。
一人で歩けなくなった妻を在宅で介護するためだ。
南相馬では長引く避難生活で介護を必要とするお年寄りが急増。
重い負担が家族にのしかかっている。
せ〜のはい!頼みの綱の介護施設も窮地に立つ。
今年住民の期待を背負ってリニューアルしたこの施設。
原発事故のあと町を離れる人が相次ぎ働き手が見つからない。
頼れる先がなく過酷な生活が続いている。
ここさ上げる気になれ。
何やってんだ!原発事故がもたらした福島の介護現場の危機。
逆境の中それでも老人は諦めない。
口癖はいつも…。
その北に位置する…沿岸部は震災から3年が過ぎた今も甚大な被害の爪痕が残されたままだ。
7万1,000だった人口はおよそ5万にまで落ち込んでいる。
震災から3度目の冬。
私たちは借り上げ住宅で1人暮らしを続ける老人に出会った。
86歳の桑折馨さん。
津波で自宅を失った。
(取材者)ご飯にかけるんですか?これ熱いからな。
震災の9か月後空き家だったこの家に妻と二人で入居。
しかし去年暮れ妻はケガで入院。
以来1人暮らしだ。
年越しも正月も一人で迎えた。
寂しさを紛らわすのは一本のビデオテープ。
元気だった頃の妻タキ子さんの晴れ姿だ。
日本舞踊の先生だったタキ子さん。
人望があり80人の弟子を抱えていた。
自慢の妻を一人きりにはしておけない。
馨さんは一日も欠かさずタキ子さんのもとへ通っている。
朝昼晩毎日3往復。
食事の介助をするため軽トラを飛ばす。
ぬくい?慣れない借り上げ住宅で転倒し持病の腰痛が悪化。
おっおお〜。
夜眠っていられないほど痛みが激しくなり入院せざるをえなくなった。
(取材者)お父さんが1日3回来てくれるのはうれしいですか?
(取材者)馨さんは優しいですか?タキ子さんを苦しめているのは腰痛だけではない。
震災後うつ病を発症したのだ。
その原因は年老いた二人が頼りにしていた息子の死。
忠夫さんは両親の待つ避難場所へ向かう途中で津波にのまれた。
入院して2か月。
タキ子さんが繰り返し訴える。
「もう一度夫婦二人で暮らしたい」。
馨さんが答える。
「もう少し待ってくれ」。
借り上げ住宅では十分な介護ができない。
妻の願いをかなえてやれないもどかしさを馨さんは抱えていた。
途方に暮れていた桑折さん夫婦にうれしい知らせが舞い込んだ。
近所にある介護施設厚寿苑が規模を拡張してリニューアルしたのだ。
新しい所だよ。
58床だったベッドが一気に100床に増えた。
しかし新たな入所者を受け入れる事はできないという。
拡張に伴い必要となった15人の介護スタッフを確保できなかったのだ。
南相馬にはおよそ30の高齢者施設がある。
原発事故のあとそのほとんどが深刻な人手不足に悩まされている。
原発事故で町の状況は一変した。
働き手となる若い世代がごっそり抜けてしまったのだ。
介護の必要なお年寄りたちが取り残される形となった。
介護職の…市内の介護施設全体で…妻を入所させる事はできないか?馨さんが見学にやって来た。
いいでしょう?いやぁ立派だ。
既に…施設に一時入所させれば妻の体力が回復するに違いない。
そう考えていた馨さんだったが願いはかなわなかった。
介護の人材不足に加えもう一つ深刻な事態が起こっていた。
認知症の増加だ。
おはようございます。
仮設住宅に夫と2人暮らし。
夫の俊雄さんは震災後認知症と診断された。
深い喪失感と狭い仮設暮らしでのストレスが引き金になったと見られている。
震災前は息子夫婦と孫に囲まれにぎやかな生活だった。
自宅は原発から14km。
戻れる見込みは立っていない。
最近俊雄さんは徘徊を繰り返すようになった。
常に監視されるのを嫌うため放射線量を計る線量計だと偽りGPSを身につけさせている。
片ときも気が休まらない圭子さん。
頼みの綱は…朝9時から夕方4時まで俊雄さんを預かってもらう。
俊雄さんは他の利用者の輪には入らず何度も外へ出ようと試みる。
引き止めようとすると激しく抵抗する。
(俊雄)よし!施設の職員は本人が納得するまで付きっきりで寄り添う。
開くんですけど…。
この施設も人手不足に悩んでいた。
十分なケアを行うにはギリギリの状態。
そんな中恐れていた事が起こった。
こちらが大和田さんがその当時ご利用頂いていたお部屋になります。
どうぞ。
二重の鍵を自ら開け俊雄さんは施設を抜け出した。
その日外の気温は0℃。
部屋着のまま飛び出していった。
職員総出で捜し回り2km先でようやく見つけ出した。
事態が深刻化する中南相馬市は対策に乗り出した。
新たな介護の人材を育てる事にしたのだ。
受講料無料の介護職養成講座を開催。
通常およそ15万円かかる研修費用を全額市が負担するという苦肉の策だ。
昨年度は51人が受講したが高齢者施設へ就職したのは僅か8人だった。
夫婦に残された時間は少ない。
桑折馨さんは妻タキ子さんを在宅で一人で介護していく覚悟を決めた。
整骨院に通い痛んだ体を整える事が日課となった。
家族を養うため漁業と農業で長年酷使してきた体はボロボロだ。
(先生)起きる時大丈夫かな?起きる時大丈夫?妻を見てやれるのは自分しかいない。
馨さんは思い切った決断に踏み切った。
自宅を再建する事にしたのだ。
俺のとこはここ。
そのU字溝からここの区切り。
そうなれば現地さ合うんだ。
今ここに立ってるんだから。
今な。
ここにいるんだ。
ここが俺で…。
借り上げ住宅にいては十分な介護はできない。
馨さんはコツコツとためた農協の積立金を全て解約し240坪の土地を購入した。
ここにタキ子さんのための完全バリアフリー平屋一戸建てを建てる。
図面は自ら引いた。
車椅子でも自由に動ける広い廊下。
工夫を凝らした。
無謀な決断だとは百も承知だ。
それでも老夫婦が福島で生きていくためには新しい希望が必要だった。
タキ子さんは退院に備えリハビリに取り組み始めていた。
依然腰に痛みは残っていたが医師からは症状が安定してきたため在宅療養を勧められた。
「頑張るよりしょうがねえ」。
夫馨さんの口癖を思い出しリハビリに励む。
(スタッフ)じゃ行きましょう。
いっせ〜の。
しかし心の傷は癒えていなかった。
新居での暮らしが始まれば妻は必ず元気になる。
馨さんはそう信じてタキ子さんのもとに通い続けていた。
息子の事を思い出してはふさぎ込んでしまうタキ子さん。
馨さんが励まし続ける。
「頑張るよりしょうがねえ」。
雪が解けたら新居の建築が始まる。
震災から3年がたとうとしていた。
津波を生き抜いた二人は原発事故の影響に翻弄されながらも懸命に生きようとしていた。
タキ子さんが退院し借り上げ住宅に帰ってきた。
リハビリを続けたものの自力で歩けるまでには回復しなかった。
新居が完成するのは半年先。
それまではこの仮住まいで老々介護の生活となる。
(女性)重いんだなおっかさん。
(タキ子)線香あげんのさ。
失礼いたします。
こんにちは。
失礼します。
はじめまして農協のヘルパーです。
今日からお世話になります。
この日のために馨さんはホームヘルパーを頼んでいた。
頑張ってね。
はいどうかな〜。
ゆっくりね。
移動や食事の介助など1日3回の訪問を申し込んだ。
しかしヘルパーも深刻な人手不足で来てもらえるのは朝昼2回だけとなった。
今言うとおり…
(取材者)これは桑折さんが炊いたんですか?
(桑折)んだ。
ちょっと硬かったな。
あっ大丈夫か。
おかずはほとんどが缶詰。
在宅介護が始まれば買い物に出る暇はない。
タキ子さんの入院中にたくさん買い込んでおいた。
缶詰と一緒に必ず買いだめしておくのが焼きしそ巻き。
タキ子さんの好物だ。
炊きたてのご飯にのせてやると食が進む。
(桑折)はいどうぞ。
しかしなかなか食べ始める事ができない。
首の痛みを訴えるタキ子さん。
一人で座っているのが難しいようだ。
食べてご飯。
ちょっと硬かったか?大丈夫だな。
食べづらい?じゃどうすればいいの?起きればいい。
また起こせばいいの?
(桑折)ほらこのぐらいならどうだ?ずっと起きろ。
あんまりほっちゃ引っこまっていったんだな。
高くて?どっち高いの?どいつ下がってるの?人間。
こいつ上げろって?まだ。
うん。
これじゃ難しい話だな。
体を引っ張り上げてほしいと訴えるタキ子さん。
しかし馨さんも思うように力が入らない。
行き過ぎだ。
今このぐらいにしてろ。
向こうからあてがうから。
体を支えるために取り出したのは買い置きのおむつ。
何度試しても姿勢が定まらない。
こっちゃ曲がれこっちゃ。
体曲がってんだから。
起きる気になれ。
何でこっちゃばかり曲がってくるんだ?なんぼやったって限りねえな。
何なんだ。
悪戦苦闘する事40分。
炊きたてのご飯はすっかり冷めてしまった。
いただきます。
新しい我が家が完成するまで妻は元気でいてくれるのだろうか?「頑張るよりしょうがねえ」。
この日いつもの口癖は出てこなかった。
死ぬほかねえのはいいんだけど死ぬまで大変だべ。
震災から3年目の3月11日がやって来た。
馨さんは津波で押し流された自宅の跡を訪れた。
これが…玄関そっちだった。
堤防を突き破った津波は一瞬にして集落をのみ込んでいった。
馨さんは亡き息子に語りかける。
「忠夫母さんを守ってくれ」。
本日より私たちの仲間になって頂きます方々の紹介をしたいと思います。
4月。
厚寿苑に7人の新しいスタッフがやって来た。
窮状を見かねた県内のグループ施設が臨時の応援要員を出してくれる事になったのだ。
これで新たな入所者を受け入れるめどがついた。
よろしくお願いします。
(拍手)桑折さん夫婦のもとに朗報が届いた。
タキ子さんが厚寿苑に入所できる事になったのだ。
申し込んでから2か月。
夫婦にとっては長い時間だった。
おばあさん目覚ましたかい?タキ子さんはほとんど寝たきりになっていた。
(桑折)なんねえ?食いたくねえの?新居の建築は間もなく始まる。
馨さんは妻の回復を信じている。
4月18日地鎮祭を迎えた。
できる事なら妻と二人でこの日を祝いたかった。
しかしタキ子さんはまだ外出できない。
夫婦で暮らす我が家。
お供えする鯛も2匹用意した。
たとえひとつきでも1週間でもいい。
同じ屋根の下で二人で暮らしたい。
「これ鹿島区は烏崎の里に住めりしが桑折の馨これ東日本大震災による大津波により家木を失いければ家族の諸人相計りに計りて」。
もう後には引けない。
決意と覚悟の鍬入れ。
えいえいえい!地鎮祭を終えたその足でタキ子さんのもとへ。
新居は9月に完成する予定だ。
南相馬に生きる86歳桑折馨さん。
口癖はいつも「頑張るよりしょうがねえ」。
「頑張るよりしょうがねえ」。
介護に携わる人たちが足りない状況が深刻化して今も過酷な生活を強いられているお年寄りたち。
こうした現実は震災から月日がたつにつれて見えにくくなってきています。
復興に向けてまずはこの現実を直視して具体的な支援の方策を考えていかなければいけないというふうに思いました。
さて東日本大地震の発生から3年そして2か月たちました。
いまだ大切な人を亡くして心の痛みを癒やす事ができない方も少なくありません。
その思いをお伝えしている…震災で亡くなった方や行方不明の方の写真と家族などからのメッセージが届けられています。
いくつか紹介しましょう。
案内役は仙台市出身の鈴木京香さんです。
千葉県旭市の野フクさんは津波に巻き込まれたと見られ今も行方が分かりません。
長男の敏男さんからのメッセージです。
福島県新地町の寺島佳祐さんは仙台の大学に通いデザインの勉強をしていました。
父親の浩文さんからのメッセージです。
宮城県石巻市の佐藤悟さんと博子さんは津波に巻き込まれ亡くなりました。
孫の千葉颯丸さんからのメッセージです。
この「こころフォト」は放送だけでなくてホームページでも紹介しています。
写真とメッセージの提供も引き続きお願いしています。
詳しくはホームページを是非ご覧下さい。
番組最後には被災地で暮らしている方々の今の思いをお伝えしています。
今日は岩手県山田町で暮らしている皆さんの今の思いです。
ホタテ河童とはこいつです。
山田町で工芸品を作っております。
工房は津波で全滅になりました。
津波後に来たら河童が残ってたのでこれならもう一度できるんでないかなと思ってやる気になりました。
仮設のお店で洋服店をやっています。
ここは周りにお店も少なくて人通りもまばらです。
全国の皆様に多大なご支援を頂いた事を感謝いたします。
私事ですが父の介護がありますので漁業の再開が思うように進んでいませんけれども…。
時間はかかりますが自分のペースでやっていきます。
2014/05/11(日) 10:05〜10:55
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう−「頑張るよりしょうがねえ〜南相馬市・瀬戸際の介護現場で〜」[字]
原発事故後、福島で高齢者たちが命の危機に直面している。若年層の転居が相次ぎ介護の人材不足が深刻化しているのだ。2組の老夫婦の3年間を追い、現状と解決策を考える。
詳細情報
番組内容
原発事故の影響で、福島の多くの高齢者たちが命の危機に直面している。南相馬市では、事故後、若年層の多くが市外に避難。その結果、介護の人材が圧倒的に不足するという事態が続いている。避難生活が長期化する中、体調が悪化する高齢者は続出しているが、打開策は見い出せていない。番組では要介護の伴侶と共に暮らす二組の老夫婦を、3年間に渡って継続取材。追いつめられる介護現場の実情と、手探りで始まった解決策を伝える。
出演者
【キャスター】畠山智之,【語り】國村隼
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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