歴史酒場「知恵泉」。
今宵も先人たちの知恵にたっぷり酔いしれて下さい。
心の声一体どうしたらいいんだ?宮崎さんふるさとから届いた野菜をおいしく料理してほしいと言う。
しかし何だこのにんじんは?長すぎるだろう。
もしも口に合わなかったらネットでボロクソに書かれて評判はがた落ち。
しかも隣は有名な会社の会長じゃないか!大変だ。
そういえば…戻りたいけど戻ってる途中で…大変!大変ですもう。
今日はちょっとねもう閉めさせて頂きますので。
申し訳ございませんね。
ほんとに大変な事が起きましたので。
どうしたんですか?骨折しちゃったとか何とかって。
聞こえちゃいました?聞こえてましたよ。
あんなに大きな独り言。
いや実はね今日お出ししようと思っている方お薦めの方が実に心配性な方なんですよね。
それでちょっとうつっちゃったというところあるんですけれど。
まあ気を取り直して今日はその心配性の方その知恵を味わって頂こうと思います。
そんな心配そうな顔しないで。
だって不安になりますよ。
虎退治そして数々の戦場で武功をあげた猛将として知られる加藤清正。
清正は肥後の大名として熊本城築城や城下町の整備など多くの難事業を成し遂げました。
これまで清正は豪快なイメージとともに伝えられてきました。
しかし史料を丁寧に読み解くともう一つの顔がある事が分かってきました。
それは絶対的な主君豊臣秀吉と一筋縄ではいかない領民や家臣たちとの板挟みになった悩める中間管理職。
上も下も満足させる領国経営をしなければ死を覚悟しなければならないという恐怖のポジションでした。
清正はどのようにその難題を乗り切り統治を成功へと導いたのでしょうか?そのキーワードは…今回清正の知恵を読み解くのは松井忠三さんです。
52歳の時に全国に展開する小売りチェーンの社長に就任。
当時会社は38億円という赤字を抱えていました。
しかし松井さんは業績をV字回復させ4年後には過去最高益を達成する手腕を発揮します。
今宵は戦国の中間管理職加藤清正の知恵を手がかりに逆境を乗り越え成功をつかみ取るマネジメント術に迫ります。
今晩は加藤清正を味わって頂こうと思うんですが宮崎さんどんなイメージをお持ちでした?とにかく強いんですよ。
武将ですよ。
あの勇猛果敢なりりしいお姿。
「清正公さん」という言い方でちっちゃな子供からも親しまれている方で。
でもそれでいて強いっていう…。
そんな「板挟み」なんていうよりも何でも切って捨てちゃうようなそんなようなイメージをね持ってますけれども。
大名ですからね。
ですよね。
松井さんは上司と部下の板挟みというご経験ってあります?もうそれはサラリーマンやってるとしょっちゅうですね。
日常茶飯事いくらでもあると。
そういう感じですね。
私人事部いたので人事部長の指示がありますね。
意識改革をやれと言うので結構ハードな研修をやるわけですね。
そうすると研修生の中に例えば常務なんかいる。
この人はやっぱり気に入らないわけですよね。
呼びつけられてですね一杯飲みながら…そういう局面は結構経験してますね。
実は今日は加藤清正に詳しい方をお招きしてるんですよ。
いらっしゃいましたよ。
いらっしゃいませ!熊本からですねわざわざお越しになりました山田さんでいらっしゃいます。
山田さんは史料を丁寧に読み解き清正の実像に迫る研究に取り組んでいます。
勇猛なイメージの強い人物であるのは間違いないんですけど最近の研究では随分細かい人柄であるとか随分まさに板挟みにあって苦労苦悩した今のサラリーマンにも共有できるようなそういう人物像が実は明らかになってきています。
肖像画改めて見てみましょうか?これ違うでしょう?違う人ですよねだって…。
いかにもちょっと何か…心配性だっておっしゃいましたが何かそんなような…。
そうなんですね。
いろんな表情を持つ加藤清正。
でも戦国の中間管理職と呼んでもいいかもしれないような立場だったというんですよね。
一体清正はどんな経緯でこのポジションについたのか。
今日はねこの一品で味わって頂こうと思っております。
はい。
板わさでございます。
おいしそうですね。
板わさ?これをやるのも相当心配したんですけど。
「イタタタタタタ!」って感じですね。
ちょっとわさびがすごく多くないですか?ちょっと食べてみましょうか?うん…ん〜!ハハハ!でしょう?これ…自分で作っておいて。
ごめんなさい作り直しますので。
豊臣秀吉の遠縁にあたり若くして20歳以上年上の秀吉に仕えます。
清正が頭角を現したのは天正11年22歳の時。
信長死後の権力を巡り秀吉と柴田勝家が衝突した賤ヶ岳の戦いが勃発。
清正は敵方の武将を討ち取り「賤ヶ岳の七本槍」と評される活躍を見せます。
秀吉の信頼を勝ち取り3,000石を与えられた清正。
それまで一介の武士にすぎなかった清正は150人の兵を持てるようになりました。
その後秀吉は四国九州と次々に勢力を拡大していきます。
手に入れた新しい領地そこをどう統治していくのかが秀吉政権の課題でした。
肥後半国19万5,000石の大名への大抜擢です。
率いる兵は1万人へと大幅にアップ。
27歳とまだ若い清正にとって思いがけない知らせでした。
しかし当時の肥後は秀吉に反発する豪族がひしめき度々一揆が起きていました。
ここは熊本県北部にある田中城跡。
清正が着任する前秀吉に反発した一揆勢が最後まで抗戦を続けた場所です。
立て籠もる一揆勢に対して秀吉側は10倍以上もの兵力をつぎ込んだと言われるほど制圧に手を焼きました。
前任者だったベテラン武将の…その後任に命じられたのが清正だったのです。
肥後に着任した頃に秀吉から清正のもとへ送られた書状が残っています。
清正への励ましを込めた内容。
しかしそのあとに驚がくの一文が。
「そういえば佐々成政は切腹したぞ」。
統治に失敗すれば死。
脅しとも取れるひと言でした。
更に秀吉は人事についても清正に注文をつけます。
それは切腹した佐々成政の家臣たちを受け入れる事。
その中には自分よりも年配の成政の重臣もいました。
年上の部下を動かし絶対的な上司秀吉の期待に応える。
更に一揆を起こした領民も鎮めなくてはいけない。
清正は戦国の中間管理職として困難な舵取りを求められたのです。
ご褒美として肥後国を与えるぞとちょっと喜んだのもつかの間私だったら行きたくない断りたいですね。
清正は秀吉との関係というのはどう捉えていたんでしょうか?清正にとって秀吉というのは自分を引き取って世に出してくれた育ての親という存在でありしかも自分に大名として武士として必要な知識とかノウハウを教えてくれた師匠でもあるんですね。
当然尊敬の対象なんですけど随分難しい宿題を与えられたというところだったと思います。
松井さんは逆境というと一番の逆境はどんな時でしたか?逆境ねたくさんありましたけどやっぱり一番の逆境は社長になった時でしょうね。
社長になった時はですね初めて減益になりましたから。
それまでは絶好調できましたね。
ですから株価はになりますね。
時価総額は4,000億ぐらいなくなっていくわけですね。
従ってこれを…。
加藤清正と一緒でしょうね。
やっぱり社長という立場は言い訳は許されませんものね。
何か言うとね全部天に唾するのと一緒ですね。
最後は全部自分のとこに返ってきます。
部下がやってくれなかったと。
だけどそれはもう社長の責任なんですよね。
しかしまあよく38億円でしたっけ?赤字のある会社の社長引き受けましたね。
選択肢はないんですよ。
受ける以外に方法がなかったですね。
逆境はね私は結構役に立つと思ってますよ。
逆境は僕は希望だというふうに思ってるんですね。
やっぱり逆境がないと人間って成長しないんですよ。
一生懸命やるじゃないですか逆境の時には。
もう必死ですよ。
この人はこう考えてるとかライバルはこう動いてるとか商品開発をこうやったんだけどうまくいかないから取引先どうしようとかね。
結局必死に考えるんですね。
そこを真っ正面から対峙をして切り抜けていけば結構いい将来も…。
で逆境というのはですねもうそれ以上悪くなる事はあんまりないんですよ。
あんまりないんですよね。
松井さんは上司や仕事のプレッシャーとはどういうふうに向き合おうというふうに決めてますか?基本的には…基本的には正面突破する以外に方法がないんですよ。
私はちょっとこう逃げ癖があるのでなかなかこう…立ち向かえないというところもあるんですが。
板挟みに置かれた清正なんですけれどもさあ清正はどんな知恵を持って領国経営を進めていくのか。
これは隅々まで行き届いた知恵になりますよ。
おいしそうですね。
ありがとうございます。
お〜これですよね。
豪華ですね。
難しい土地を与えられた清正。
民の反発を招いて再度一揆が起きようものなら切腹した佐々成政の二の舞です。
清正は正式な辞令が出る前から指示を出します。
清正が第一の方針に掲げたのは一揆で荒れ果てた農民の生活の安定でした。
更に肥後の人々の信仰を集めていた藤崎八旛宮に100石の寄進を行い人々に受け入れられるように心を砕きました。
…とまぁここまでは序の口。
実は清正は心配性とも言えるこまやかさの持ち主でした。
まずはそんな清正のエピソードをご紹介しましょう。
すぐさま秀吉に「銀を三十枚送る」と報告します。
しかし報告してから不安になったのか清正が家臣に出した指示がこちら。
またある時…自分がいない間にトラブルが起きたらさあ大変。
そこで出した指示がこちら。
更に家臣に刀の注文を命じた時にもこの細かさ。
清正は家臣たちに非常に具体的で細部にこだわった命令を出す事で物事を進めていったのです。
肥後統治の中で人心を安定させるために重要なカギとなったのが城下町を流れる白川の治水です。
白川は城下町を蛇行し幾度も氾濫を起こしては人々の生活を脅かしていました。
「暴れ川」の異名を持った白川。
一体清正はどのような治水を行ったのでしょうか?城下町で合流していた白川と坪井川。
それを別々の川に仕立てるという大がかりな工事を清正は考えました。
細部に心を配る清正の性格が遺憾なく発揮されたのがこの治水工事です。
清正自ら舟に乗り水の流れや勢いを何度も自分の目で確かめて工事計画を練りました。
家臣には事細かく作った治水の掟を伝えました。
また清正は水位の変化と風の影響にも注意を促します。
更にこんな事まで。
清正の掟に沿って用心深く進められた治水工事はやがて完了。
水害を防ぐだけではなく多くの効果をもたらしました。
坪井川がお堀の役目をするようになる。
物資を運ぶ運河の役目をする。
当然の事ながら城下の人たちの生活用水にもなるし防火用水にもなる。
この坪井川に舟を浮かべて舟遊びをするなんて娯楽の場にもなるんですね。
治水工事によって氾濫は抑えられその後の…清正の手腕は土木工事だけにとどまりませんでした。
天正17年肥後の大名になってから1年もたたないうちに清正を大きな試練が襲います。
清正と共に肥後半国を統治していた小西行長の領地で秀吉に反発する一揆が新たに起こったのです。
鎮圧にあたり秀吉からは「清正と行長の二人で協力して解決せよ」との厳命が下りました。
清正にとって初めて数千人規模の兵を率いる戦です。
清正軍の中には佐々成政の下にいたベテラン家臣たちもいました。
うまく統率できず一揆鎮圧に手間取っただけでも切腹させられるかもしれない。
清正に大きなプレッシャーがかかります。
清正はここでも早速事細かな指示を出します。
家臣の勝手な行動による混乱を防止。
更には兵の身だしなみまで。
内部規律を徹底させる事で清正は大軍を統率。
瞬く間に一揆を鎮圧し秀吉の期待に応えたのです。
細かすぎる清正どうでしょう?宮崎さん。
治水だってそれぞれの専門家はいたでしょうにそこまで細かい事を指示するんだなってちょっとビックリしました。
これだけ細かいといかにも強権を振るう専制君主的なイメージもあるんですが逆に言うとそれぐらい言わないと従わない人も実はやっぱりたくさんいたんだろうなと。
あれ見てますとやっぱり基本的に経営で言うとねもう現場主義なんですよ。
やっぱりトップが実際の現場に入って具体的に指示をしないと直っていかないんですね。
だから治水の現場は専門家もいるんでしょうけど任せてしまうというのが一番駄目なんですよ。
駄目ですか?駄目なんです。
やっぱり細かくやらないと行動が一本になっていかないんですよ。
組織って結構バラバラになりますから戦う時は負けるんですね。
会社経営も全く一緒ですから。
それは彼が指示をしてるのは……という事をちゃんとやってるんですよね。
それがだから成功してる秘けつでしょうね。
そうですね。
何でしょう?仕組みって。
そうすると仕組みになるんですね。
これが強さを発揮するんですね。
え?2,000ページって…。
今日ねそう思って仕入れてきたんです。
よいしょ。
こちらが松井さんの会社の各店舗にあるマニュアル。
全部で13冊あります。
何が書かれているかというと例えば「商品を整然と並べる」という場合「整然」の捉え方は人によってさまざまですが…。
我が社で言う「整然」というのはこういう事ですという事をちゃんと書いておくんですよ。
写真も撮ってとっておく。
それと角はちゃんとそろえて下さいとかね折り畳みの時は取りやすいように正面に襟が見えて値札もちょっとすぐ見えるというふうにして整理のしかたを具体的に書くんですね。
そうすると…こちらは挨拶のしかた。
相手や状況に合わせて細かく定めました。
このように業務にまつわるありとあらゆる事がマニュアル化されています。
じゃあこのマニュアルが出来る前と後ではもう全然違った?組織的にはものすごく強くなりましたね。
今までバラバラにやってるから力にならない。
今度は統一してますでしょう。
変わるでしょう。
そうすると全社のレベルが上がってそして組織はものすごく風土が良くなっていきますね。
へえ〜。
これがあると結構自信を持ってみんな動きますから。
でもね宮崎さんよくマニュアル主義っていうマイナスの意味でも取られがちですよね。
「マニュアル人間になるな」みたいな言い方する方もいますよね。
独創性と相反するところというのはないんですか?それはありませんね。
基本的に…ですから能でも型破りというのはベテランの役者さんがずっと積み重ねていって最後に創意工夫をする。
そのちょっと変わったところが型破り。
これが新しい型になっていく。
そうやって歴史は積み重なっていくんですね。
我々のマニュアルも全部そうですね。
反発はなかったですか?まあ反発はありますよ。
従って反発をする人間は比較的優秀なやつなんですね。
この人たちをこのMUJIGRAMの開発メンバーに入れたんです。
そうするとねちゃんとやってくれるんですよ。
反発する人間を自分のプロジェクトの真ん中に置く。
そうです。
そうしないとうまくいきませんね。
そして…これ結構ね大事な事なんですよ。
すごいですね〜。
松井さん清正のような先手先手を打つような心配性のリーダーというのはどうご覧になりますか?基本的に…だけど心配性の次の行為は決断なんですよね。
それがないと心配性は役に立たない。
よく石橋をたたいて渡らないという人もいますよね。
だから一番いいのは…慎重にたたいて大丈夫だ。
そしたら一番先に渡る。
これが大事なんですよね。
かっこいいな〜。
一揆の鎮圧そして水害対策を行った清正。
領国経営の滑り出しは上々でした。
しかし更に大きな課題があったのです。
肥後入りしてから10年。
清正には肥後統治以外の仕事も秀吉から多く課せられていました。
その一つが肥前名護屋城築城です。
名護屋城は秀吉が大陸や朝鮮に出兵する際の拠点となる大規模な城でした。
更に自らの居城…こうした大規模な工事には多額の資金が必要でした。
一体清正はどのように資金を調達したのか?清正はある事で資金を生み出します。
それを知る手がかりが熊本城築城の時から歌い継がれてきたという「永棟節」にあります。
家を新築する時の地つき歌として熊本では昭和30年代まで歌われていました。
許可を得て行った朱印船貿易の記録も残されています。
清正は一体どんな取り引きをしていたのでしょうか?清正は肥後の大名になる前日本の海外貿易の中心だった大坂・堺の近隣で代官をしていました。
その時に培われた人脈からある情報を入手したと言われています。
それはフィリピンのルソン島がスペイン領になったという情報でした。
それだけでは単に遠い国の話。
しかし肥後の土地柄とつながると清正に大きなビジネスチャンスが生まれるのです。
肥後は国内では高値で取り引きされない雑穀類の生産が盛ん。
その中には麦がありました。
一見無関係に見える情報が結び付くと…そうパン!清正は小麦をパンの材料として売り込む事にしたのです。
清正は年貢の一部を麦で納めさせる指示を出し徹底的に小麦を集めました。
ルソン島に運ばれた小麦は鉄砲の弾の材料となる鉛そして金に交換され清正の懐を大いに助けたのです。
清正は情報を生かした海外貿易をバックに熊本城築城をはじめ数々の難事業を成し遂げたのでした。
え〜知らなかった。
殿自ら最先端の情報をキャッチしてのトップセールス。
しかも海外とそんな…えっ小麦をルソン島に?そうですね。
知らなかった。
どうでしょう?心配性という事で見てきたんですが海外貿易心配じゃなかったんですかね。
当然心配だったと思います。
当時の技術ですから東南アジアまで船で行くにはやっぱりちゃんと行けるのかと。
清正の場合は3つの貿易手法を使ってそのリスクをコントロールしようとしてます。
一つはこれは一番我々もすぐ考えつくやり方でチャーター船で直接船を送って貿易をするというやり方です。
それだと一番儲けは大きいんですが当然リスクが大きい。
そればっかりっていうわけにはいかないので2番目としてやってるのが商人に委託して貿易をする。
もう一つ3番目のやり方これが一番リスクがないんですが海外から日本に来た貿易船と貿易をすると。
これは長崎辺りに貿易船が海外から来るわけです。
これだと渡航しなくて済むので。
ただこの場合一番やっぱり儲けとしては少なくなります。
この3つをうまく組み合わせて商品のコントロールとリスク回避をしようとしてる。
分散してるんですねそのリスクを。
それはすごいですね。
今のマージンミックスで稼いでる株屋さんよりもっと上手にやってるよね。
大変な知恵ですね。
松井さん流の情報にピンと来るコツはどういうところに?基本的には自分が持ってる問題意識です。
この問題意識が鮮明になってないかぎりは情報に反応しないんですよ。
例えば私どもはやっぱりいろんな異業種の人と交流しないと会社って外向きにいかないとうまくいかないので個別に20社ぐらいの人たちを課長さんを集めて交流するんです。
飲み会をやってるじゃないですか。
そうするとある時「うちの会社の役員はほとんど全部台湾に行ってる」と。
それをポッと聞くとすごいですよね。
この会社の海外のグローバルにオペレーションをする時に取締役がほとんど行くという事は何の調整もしなくて…これすごい知恵ですね。
その時に今度私どもも全員海外に出そうと。
5年ぐらいするとこの中核になる人たちが全員海外で経験をする。
そうすると何か起こった時にビビッドに向こうの状況を把握をしてくれるんですね。
こういうふうにすると実務的にグローバルな体制に変えられるんです。
ほんとに何でもない異業種交流の飲み会の中でポッと聞いたヒントを回り回ってくると我々のグローバル化にものすごく役に立つとかそういう事はやっぱりありますね。
管理職としての清正悩んで心配はするんですが自分で素早く決断してるという感じがするんですよね。
そして自分で動いてる感じがするんです。
日本企業は結構苦手なんです。
海外の人はみんな自分で電話して交渉は全部自分で行きますよ。
日本人はやっぱりぞろぞろって行ってそしてまず財務部長が話をして営業の話をしてとかこういう事があるんですね。
これえらくフットワークが悪いですよ。
やっぱり自分で動かないと物事って成就しませんしスピード感もないですね。
この心配性ゆえ隙のない管理職になった清正ですが実は熊本城にも清正の心配性が表れているんです。
主人公ゆかりの地から「知恵泉」の特命店員が取って置きのネタをお届けする…いや〜何度見ても大きいですね熊本城。
今日もよく晴れて青空に映えています。
(新井)
今日私を案内してくれるのはこの方々!
熱き思いをこの胸に!我ら…
加藤清正とその家臣団の皆さん。
その名のとおり熊本城を訪れる人々にその魅力を伝える活動をしています
清正公が心配性なために熊本城をどれぐらい鉄壁の守りにしたのか教えて下さい。
どうしました?心配じゃ!昨日の雨で城下の川が様子が心配である。
わし自ら見に行ってくるわ。
覚兵衛後は頼んだ。
(新井)えっ行っちゃうんですか?
(家臣団)清正様!
という事で築城に多大な貢献をした飯田覚兵衛さんに熊本城を案内してもらいます
是非ともご覧頂きたいのがドン!こちらじゃな。
高さはおよそ20m。
緩やかな傾斜が上に行くほどきつくなり敵の武者をひっくり返すほどの石垣。
「清正流石垣」と呼ばれ全国にその名をとどろかせてきました
熊本城の守りはそれだけではありません
天守閣への通路は直角の曲がり角をいくつも用いた枡形と呼ばれる構造になっています。
曲がり角を多く作る事で敵の侵入速度を遅くし方向感覚を奪います
更に通路の石段は人も馬も歩きにくくなるようにあえていびつな石を積み重ねました。
そうする事で攻め上がるスピードが落ちた敵兵を待ち伏せし…
(銃声)
(新井)うっ…。
鉄砲で迎え撃つという守りを清正は敷いたのです
わしの客人に何を!
なぜ清正がここまで防御にこだわったのか。
その理由は清正最大のピンチと言われる戦いにありました。
秀吉の命で朝鮮に攻め込み蔚山城の守りを固めていた清正。
朝鮮と明の大軍が城を取り囲みます。
その数なんと5万。
片や清正軍は1万。
兵糧の備えは少なく兵が次々と倒れていく過酷な籠城戦でした
極度の飢餓状態を経験した清正は熊本城内にあるものを用意しました
(新井)井戸?大きいですね。
(覚兵衛)そうじゃな。
なんと深さは40mあるというわけでちゃんと石造りにもなっておる。
(新井)ほんとだ!でも覚兵衛さん。
城に井戸って普通じゃないですか?熊本城は違うんじゃな。
なんとこういった井戸が120400年前はあったわけじゃ。
更に清正は城内の西出丸という敷地に数千俵もの米俵を備蓄できる米蔵まで用意。
清正は…
覚兵衛さん熊本城がいかに鉄壁なのかよく分かりました。
さようか。
皆も難攻不落の熊本城遊びに参られよ。
以上「産地直送知恵泉紀行」でした
今日は清正のさまざまな知恵を見てまいりました。
最近マイナスの意味で「心配性」使われますけれども…。
そうじゃないですよ。
だって心配性というか用心深く準備してそしてやる時は自分が先頭になって進んでいくわけですから。
心配性だけで終わってしまえばそれはもう駄目なんですがそこを実行したというところはやっぱりすごいですよね。
ただ残念なのは清正の息子の代で加藤家はお取り潰しになってしまって清正の積み上げてきた細かい指示とかそういうのがマニュアル化されたりあるいは組織の力になる事なく伝えられずにいったのかなというところがちょっと残念だなと思いましたけれども清正のすごさというのを改めて今日は見ました。
そして松井さん流の中間管理職管理職の極意というとどういうところが挙げられますでしょうか?まあ板挟みになるんですね。
この板挟みを上手に乗り切っていかなきゃいけないですね。
最後のキーワードはやっぱり「実行」だと思いますね。
最後が…私自身は多分そうやって来たのが一番よかったんだと思いますね。
覚悟!覚悟なんですね。
さまざまな心配を乗り越えて私もこの長にんじんを使った特製のメニューを考案いたしましたよ。
こちらなんですが。
おいしそうですね。
「長にんじんと馬刺しのリボンサラダ」というものを作ってみました。
どうぞお召し上がり下さい。
いただきます。
いただきます。
どうでしょう?リボンのように長く…お〜長い!麺みたい。
麺みたいですね。
うん。
歯応えがいいし香りが…。
ですね!うん長にんじんだ。
おいしいですね。
馬刺しもおいしいですね。
喜んで頂けて本当にありがとうございます。
2014/05/13(火) 23:00〜23:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)戦国の中間管理職▽加藤清正のマネジメント術[解][字]
勇猛さで知られる加藤清正。しかし実は上司・秀吉と、部下や領民との間の板挟みに悩む、戦国の中間管理職の一面があった。領国経営を見事に成功させたマネジメント術に迫る
詳細情報
番組内容
豊臣秀吉子飼いの武将で、虎狩りの猛将として知られる加藤清正。しかし史料を丁寧に読み解くと、これまで伝えられてきた豪快なイメージとは異なる、もうひとつの顔が見えてくる。それは、絶対的な権力をふるう主君・秀吉と、前任者から引き継いだ年上の部下、そして何かあれば一揆を起こす領民との間の板挟みに悩む、いわば戦国の中間管理職としての顔だ。逆境を乗り切り、領国経営を見事に成功させた清正のマネジメント術に迫る。
出演者
【出演】良品計画会長…松井忠三,宮崎美子,熊本県立美術館主任学芸員…山田貴司,【司会】井上二郎
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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