あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「宮城県名取市 丹野祐子さん」 2014.05.14

宮城県名取市閖上に住んでいた…津波で息子を失いました。
あの日丹野さんは町の公民館で中学校を卒業した娘の謝恩会に出席していました。
謝恩会のあと片づけをしている時に激しい揺れに襲われます。
その後建物を出てグラウンドに避難します。
丹野さんと娘は同じ場所に。
中学1年の息子の公太君は少し離れた所で友達と遊んでいたといいます。
しばらくすると大津波警報が出ているという話を耳にします。
「2階建ての公民館では危ない。
歩いて5分ほどの所にある4階建ての中学校に移動しよう」という声が上がりました。
しかし丹野さんは移動しませんでした。
そして地震発生から1時間後津波が公民館に迫ってきます。
公民館の2階の床で水は止まり丹野さんと娘は助かりました。
息子の公太君は友達と共に中学校に向かって走ったといわれています。
津波はその中学校にも押し寄せていました。
2週間後公太君は閖上中学校近くのがれきの中から発見されました。
中学校に建てられた慰霊碑。
亡くなった14人の生徒の名前が刻まれています。
震災から1年後丹野さんは閖上を訪れる人たちに震災を語る語り部の活動を始めました。
2014/05/14(水) 10:50〜10:55
NHK総合1・神戸
あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「宮城県名取市 丹野祐子さん」[字]

名取市閖上に住んでいた丹野さん。公民館で地震に襲われグラウンドに避難した。その後、津波が迫り2階に避難して丹野さんと娘は助かった。しかし、息子を津波で失った。

詳細情報
番組内容
東日本大震災に遭遇した方々の「あの日」の証言。宮城県名取市閖上に住んでいた丹野さん。公民館で激しい揺れに襲われ、グラウンドに避難した。息子は少し離れた場所で友だちと遊んでいた。地震発生から1時間後、津波が公民館に迫り、あわてて2階に避難した。丹野さんと娘は助かったが、津波で息子を失った。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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