■若手社会学者 古市憲寿氏
若手社会学者の古市憲寿氏の新刊(新書)、『だから日本はズレている』*1が面白いという話を聞いたので、早速、読んでみた。
古市氏のことは、私のブログでも、すでに何度か言及してきているし、気鋭の若手(当時26歳)社会学者の注目作として、非常に大きな話題になった『絶望の国の幸福な若者たち』*2については、早々に書評を書かせていただいた。当時はまだ氏に関する情報も少なく、歯に衣着せぬ率直な発言で場を煽る『炎上マーケター』の一人か? とまで思ったものだが、著書を読み込んでみると、着眼点がユニークで、語り口は淡々としているものの、論旨は意外にわかりやすい。そして、氏が切り取ってみせた問題は実に印象的で、その後ずっと私の頭から離れずにいる。
■恐るべき近未来像
今回の新刊では、そんな古市氏の当時の問題意識はそのままに、より一層、古市氏が相対する問題の全体像がわかりやすく提示されている、という印象を受けた。特に、「このままでは『2040年の日本』はこうなる」と銘打った最終章は、恐るべき未来像なのだが、古市流リアリズムの集大成ともいえる内容で、非常に興味深い。ご紹介方々、いくつかのキーワードをピックアップしてみる。
相対的貧困率4割
2030年で日本の人口は一億人割れ
2019年 合計特殊出生率は1.0を割り込む
毎月一定の電子マネーを配布するベーシックインカム制度が導入される
プロザック抗うつ剤配布
2020年代からは中流層の海外脱出が目立つようになる
工場はほとんど海外に分散
世界中が都市の時代に移行
日本では東京と福岡がアジア地域の『中心都市』として
世界各国から優秀な人材を集める地域になって持ちこたえる
地方はコンパクトシティ化して生き残りをはかる
限界集落は消滅
東京の繁華街はほとんどが老人
専門性のない中高年がつける仕事は、移民相当職くらい。
驚くほど賃金は安い
救急車や消防車はお金をはらわないと来ない
公立学校からは体育や音楽などの実技系の授業が姿を消す
(多額な教育費用がかかるわりに成果が見えにくい)
福島第一原発は技術者不足で一向に処理がすすまない。
海外の会社が原発の跡地を買い上げ、世界中の核廃棄物を集める
最終処分場をつくる計画がある。
2020年の東京オリンピックの時に新設されたスタジアムや競技場の
いくつかは廃墟へ
まさに、『絶望の国』だが、意外にも多くの人が満足して生きる幸福な階級社会になるという。
こんな絶望の国なのに、多くの人が満足? そう、古市氏の『絶望の国の幸福な若者たち』の主題はそこにあったのだった。
■生活満足度が高い理由は『コンサマトリー』
増える一方の非正規雇用、低賃金のワーキングプア、格差の拡大と固定化、クレージーなほど厳しい就活戦線・・、古市氏が『絶望の国の幸福な若者たち』を書いた当時も、アベノミクスで好景気と言われる現在に至っても、この国の若者の置かれた環境が改善する兆しはまったく見られない。それどころか、厳しさはどんどん増している。今厳しいだけではなく、将来に夢を抱くこと自体がまた絶望的に激しい。古市氏が一貫して仮想敵とみなす、『おじさん』ならずとも、今の若者は『不幸』なのでは、と言いたくもなってくるだろう。ところが、古市氏は、内閣府の『国民生活に関する世論調査』のデータを参照して、20代の生活満足度が、バブル以降の日本の経済指標が悪くなって行くのに反比例して、どんどん高くなって来ていることを指摘する。(そして、なんとそれは78.4%にも達する!)
その理由の説明として、『絶望の国の幸福な若者たち』では、親と同居していてあまり貧しさを感じていないこと、インターネットを利用するお手軽なコミュニティは花盛りで手軽に承認欲求を満たせるようになったこと、自己実現欲求や上昇志向から降りることで小さなコミュニティの比較しかしなくなり不満が減ったこと(相対的剥奪)等もあがっていたが、今回は「その謎を解く鍵は『コンサマトリー』という概念にある」とズバリ指摘する。
社会学では、『今、ここ』にある身近な幸せを大切にする感性のことを『コンサマトリー(自己充足的)』と呼ぶ。何らかの目的達成のために邁進するのではなくて、仲間たちとのんびりと自分の生活を楽しむ生き方のことだ。
若者たちの生活満足度の高さは、このコンサマトリーという概念によって説明することができる。高度成長期のように、産業化が途中の社会では、人は手段的に行動することが多い。「車を買うために、今は節約しよう」とか「家を買うために、がむしゃらに頑張ろう」とか。
だけど、衣食住という物質的な欲求が広く満たされた社会では、人々は「今、ここ」の生活を大切にするようになっていく。特に1990年代以降、「中流の夢」が壊れ、企業社会の正式メンバーにならない人が増えていく中で、若者のコンサマトリー化は進んでいった。 『だから日本はズレている』より
すなわち、生活満足度は国内総生産等の数値の上下より、基本的なマインドセットによるところが大きく、客観的な経済指標がどうあれ、コンサマトリー(自己充足的)なマインドを持つ人が増えるほど満足度はあがる、というわけだ。
もう少しだけ、定義にこだわってこの用語の解説を別のところからも引用してみる。
(コンサマトリー(化)とは)アメリカの社会学者タルコット・パーソンズの造語であり、道具やシステムが本来の目的から解放され、地道な努力をせずに自己目的的、自己完結的(ときに刹那的)にその自由を享受する姿勢もしくはそれを積極的に促す状況のこと。対義語はインスツルメンタル(化)。非経済的な享楽的消費の概念を「消尽(consumation)」と呼び、非生産的な消費を生の直接的な充溢と歓喜をもたらすもの(蕩尽)として称揚したフランスの思想家・作家ジョルジュ・バタイユの考え方とも相通ずる現象解釈といえる。
■インスツルメンタル(化)
コンサマトリー(化)の対義語はインスツルメンタル(化)とあるが、このインスツルメンタル(化)こそ、明治期から高度成長期くらいまでの日本人の主要なメンタリティーであり、『空気』であった。そして、社会も中間共同体(会社等)もこのメンタリティーを一種の道徳として、同調圧力をもって強要した。『車を買うために、家を買うために、子どもをいい大学に入れるために、老後の蓄えをつくるために、会社が大きくなって安定するために・・・』皆のマインドはどこまで行っても手段、また手段だ。
その結果、日本人の貯蓄率は他国を圧倒して高くなった。老後に備えて蓄え、老後にも節約し、死ぬ時に、たしか平均2千万円くらい(正確な数値ではなく多少曖昧な記憶ではあるが)を残して死ぬ。(イタリアではほぼゼロ、すなわち、老後を楽しむために使い切るという話を聞いた記憶がある。)こんなメンタリティが骨の髄までしみているのが『おじさん』たちだ。
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