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チェルノブイリ視察で実感した里山汚染の深刻さ~再開できぬ原木シイタケ農家の怒りと哀しみ(鈴木博喜)

2014年05月13日

福島の山-2

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 原木シイタケの露地栽培農家も、福島第一原発の爆発事故で甚大な損害を被った。汚された里山、叶わぬ生産再開…。「福島県原木椎茸被害者の会」メンバーで、仲間とともにチェルノブイリ視察を行った宗像幹一郎さん(63)=田村市=が胸の内を明かした。安全・安心ばかりが喧伝されるなか、「再開の目途が立たない原木シイタケ農家のことを忘れないで欲しい」と訴える。

【風評被害以前の問題だ】
 「風評被害以前の問題なんですよ。栽培が再開できていないんですから。再開の目途すら立っていないのですから…」
 宗像さんの視線の先には、2011年5月4日に撮影された写真があった。キャプションは「〝山アワビ〟と称された厚肉シイタケ4トンの廃棄場所」。
 山の斜面に木を組んで植菌。商品として出荷できるまでに、早くても2年を要する。夏の暑さも冬の寒さも乗り越えたシイタケは「アンパンくらいの大きさになる」(宗像さん)。それが福島第一原発の爆発事故から1カ月後には出荷停止処分が下り、全量を里山の一角に埋めた。36年間、田村市でシイタケの露地栽培にこだわり続けてきた宗像さんの哀しみはいかばかりだったか。
 「今はハウス栽培も多くなってきて、震災の時点で福島県内の原木シイタケの栽培者は500人くらいだったかな。でもね、味が全然違う。やっぱり自然の中で育つのと人工的に刺激を与えるのとはね。だから露地栽培にはこだわりがあるんだ。僕のシイタケは2000円/kgと決して安くは無いけれど、その分、味の付加価値をつけて届けていたんだよ」
 かつて、日本でも有数の原木産地だった福島県。宗像さんも全国にファンができた。原発事故後、「汚染されていても良いから売って欲しい」という声さえ届いた。販売したくてもできない苦しい胸の内を、写真とともに「シイタケ君の独り言」という便りを添えて届けた。
(原発事故で、シイタケも原木も全てを失った宗像さん。「もう一度おいしいシイタケを届けたいが再開できる環境ではないことを分かって欲しい」と話す=郡山市桑野の「和cafe ろっきい茶庵」)

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