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「足尾」の再生から今、学ぶことは

5月14日 14時35分

「公害の原点」といわれる足尾鉱毒問題が、改めて注目されています。
環境の再生に向けて大型連休中に栃木県の足尾銅山周辺で行われた荒れた山への植樹活動には約1600人が参加し、足尾鉱毒問題を追及した田中正造を伝える群馬県で開かれた市民集会にも多くの市民が訪れました。
100年以上前に発生した公害の現場や正造の行動に、参加者は何を学び、感じ取ったのでしょうか。
ネット報道部の山田博史記者が取材しました。

足尾に緑を 1600人が植樹

先月26日と27日の2日間、栃木県日光市足尾町の足尾銅山周辺は1600人もの人でにぎわいました。

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地元のNPO「足尾に緑を育てる会」が荒れた山に緑を戻そうと、1996年から毎年続けている植樹イベント。
これまでに植えられた苗木は計約16万本にも達し、長期的には次の世代に受け継いで100万本の植樹を目標に掲げています。
植樹場所の標高は年々高くなり、ことしの参加者は道路わきから斜面を200メートルも上ってクヌギやコナラなどの苗木を植えました。

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8歳の娘と参加した宇都宮市の安納康栄さん(44)は「思ったより大変な作業でした。はげ山になるのはあっという間でも復元するのがいかに大変か実感しました。娘にも伝わればと思います」と話しました。

荒廃した山 再生はまだ道半ば

足尾銅山の採掘は江戸時代から行われていましたが、飛躍的に産銅量が増えたのは明治になってからで、1880年代には全国の約3割を占めたとされています。
しかし、川に流れ出た鉱毒のため下流の渡良瀬川流域の農作物への被害など、深刻な環境破壊を引き起こしました。
また、上流にある松木村は銅の精錬で出る亜硫酸ガスによる煙害で住民は村を追われ、廃村になりました。
足尾銅山の操業停止などを求める声は高まりましたが、当時、銅は外貨獲得の主要な輸出品であり、富国強兵を進める政府は積極的な対策を取りませんでした。

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足尾銅山周辺は、亜硫酸ガスなどのため2500ヘクタールもの山々が、いわゆるはげ山になってしまいました。
国は100年以上前から緑化事業を始めて戦後本格化し、荒れた山の半分以上は緑化が進んだといいますが、現場に立っても緑が戻っているという実感は湧きません。
植樹イベントに積極的に取り組んだ作家の故・立松和平氏は、かつて「汗をかきかき3000本の木を植えても谷の反対側から眺めると象の背中のバンソウコウを貼ったみたいな小さな印がついているばかり」と表現しました。

高まる関心 過去2番目の参加者数に

こうしたなかで地道に続けられているNPOによる植樹活動。ことし過去2番目に多い参加者数となりました。
NPOによると、約半分はリピーターですが、環境問題への関心の高まりから汗をかきながらの植樹作業を「プチエコ体験」として学校や会社単位で参加するケースも目立つといいます。

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家族4人で参加した宇都宮市の男性(41)は「小学校で習った足尾で家族でボランティアするのもいいかなと思った。自然との共存が必要だと感じますね」と話しました。

原発事故の被災者が感じたこと

植樹作業の集合場所のわきに足尾の自然や歴史を伝える施設があります。
そこで足尾鉱毒問題で廃村となった松木村の歴史を伝える展示を食い入るように見つめる親子がいました。
福島第一原発事故で宇都宮に自主避難している母親と娘でした。
100年以上前に故郷を追われた松木村の住民に自分たちの姿を重ねていました。
「足尾の松木村の人は結局、国の富国強兵の陰で村を追われたんですね。原発事故と元は同じだと思いました。今も荒れたままの足尾を見ると、福島に帰ることが信じられなくなります」。

鉱毒問題に奔走の田中正造にも注目

足尾鉱毒問題で活躍した田中正造も改めて注目されています。

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田中正造は、今の栃木県佐野市で生まれ、衆議院議員として鉱毒問題に直面すると、被害者の救済と銅山の操業停止を求めて活動し、天皇への直訴にまで踏み切りました。
田中正造は水俣病などが社会問題となったときに公害闘争の先駆者として再評価されましたが、佐野市の市民団体「田中正造大学」の坂原辰男事務局長によりますと、原発事故のあと、脱原発に取り組む団体から足尾鉱毒問題の現場の案内を頼まれるケースが増えたといいます。
去年は正造の没後100年に当たり、佐野市が正造を顕彰するさまざまな事業を進めたこともあって、県内外からのべ1万5000人以上が佐野市を訪れました。

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坂原さんが講演に招かれたり現地を案内したりしたグループだけでも約20団体に上ったといい、坂原さんは「100年以上前に徹底して住民に寄り添って闘い続けた正造の姿が原発事故をきっかけに注目されていると感じます。受け入れる側として正造の思想や行動を分かりやすく発信し続けることが大切だと感じています」と話しています。

「足尾の歴史から今の問題を考えて」

大型連休中、足尾鉱毒問題で被害を受けた渡良瀬川流域の群馬県館林市では、田中正造ゆかりの地を訪ねる集いが開かれました。
参加者は、主催者の予想を大きく上回る約200人。

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鉱毒問題で正造が奔走した館林市には、正造の支援者の家の跡など正造や足尾鉱毒問題にゆかりの深い場所も多く、参加者は田中正造の研究者の案内で市内を歩きました。 一行が立ち寄った見学場所の1つが「足尾鉱毒事件田中正造記念館」。

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地元の市民などで作ったNPOが運営し、去年、リニューアルオープンしたばかりです。
教師のOBなどが来館者に付き添って足尾鉱毒問題を解説する独自の運営を続け、毎月約300人が訪れています。
栃木県足利市から参加した室田一憲さん(26)は「市役所で生涯学習を担当しているので仕事にも役立つと思って参加しました。鉱毒の被害と国の原子力政策が重なって100年たっても状況は変わっていないと感じました」と話しました。
主催した渡良瀬川研究会の代表幹事で、国学院大学教授の菅井益郎さんは「足尾の問題と福島の原発事故は共通性がたくさんある。足尾鉱毒問題の歴史を学ぶ中で福島の被害など今の問題についても考えてほしい」と話しています。