学校を「感動生産工場」にした校長が考えたこと
『女の子の学力の伸ばし方 心の育て方』(長野雅弘著、あさ出版)の著者は、聖徳大学附属取手聖徳女子中学校・高等学校長として、入学当初は伸び悩んでいた多くの生徒たちを難関国公立・私立大学合格へ導いてきた人物。本書では、そんな経験に基づき、「絶対に落ちこぼれをつくらない」ための教育についての考え方を明かしています。
女子校の先生ですから焦点は女の子に向けられていますが、注目すべきは全編に通じる教育に対する真摯な姿勢。性別ではなく、ひとりひとりの生徒の可能性を伸ばすことに徹しているのです。その考え方からは、教育以外のあらゆるビジネスに応用できるポイントを見つけ出せます。
考え方がわかりやすくまとめられている、「エピローグ お子さんが毎日笑顔で過ごすために」からいくつかを紹介してみましょう。
学校は「感動生産工場」であるべき
学校は勉強を強いられる「苦役の場」であってはならず、「感動製造工場」であるべき。なぜなら著者が一番の目標にとしているのは、生徒の幸せな将来だからです。
学校が生徒に与えられる感動とは、第一には「わかった!」という思い。そして著者は、授業の内容がわからない生徒がいることを恥だと感じているのだそうです。なぜなら生徒が「わからない」のは、生徒が悪いのではなく自分の教え方が悪いのだと彼は考えているのです。
逆にいえば、教え方がうまければ、どんな子も「わかった!」と喜びを得ることができ、確実に伸びるもの。このことを実感させてくれる先生ばかりだからこそ、取手聖徳女子の生徒たちは学ぶ感動を体感できるというわけです。(200ページより)
「いい教師」は生徒に限界を定めない
著者が考える「いい教師」とは、「善意を持った、おせっかいな人」。善意を持って生徒に教え、生徒が間違ったことをしたら善意を持って叱る。著者にとっての「いい教師」は、すべての行動が善意に基づいている人物のこと。ただし善意だけでは前に進めないことも多く、そんなときに必要となるのが「おせっかい」。そもそも、熱心に授業をして学力を伸ばしてやろうとすることも、ある意味ではおせっかいかもしれないとさえ言います。
自分の生徒には、全員に例外なく幸せになってほしい。そのような善意からさまざまな世話を焼き、おせっかいをし、生徒の能力を伸ばせるだけ伸ばしてあげたいと考える。それが、いい教師の条件であるということです。(203ページより)
先に将来のビジョンを見せ、やる気を引き出す
毎日コツコツ勉強し、成果を積み上げることは、ときに先の見えない不安を伴うもの。だからこそ、まず明るい将来像を見せ、その力で生徒を引っ張り上げるようにした方が、やる気を引き出しやすいというのが著者の考え方。「勉強するのは、将来の選択肢を広げるためなのだ」という具体例を先に見せたり、あるいは可能な限り体験させればいいわけです。
著者はこの項を「高校を卒業してからも、生徒たちの人生は続いていく。だから勉強だけを教え、あとは大学に丸投げということでは無責任に思えてならない」としめくくっていますが、その言葉こそが教育の本質であるように思えます。(206ページより)
まず先生が変わり、生徒が変わっていった
さまざまな学校の再建にかかわってきた結果として著者が言えるのは、「先生が変われば生徒が変わり、学校が変わる」ということ。つまり、学校をよくするのも悪くするのも先生次第。
そこで取手聖徳女子に赴任してすぐに著者が行なったのは、先生たちとの話し合い。先生たちの努力が空回りし、自信と約機が失われつつあったことがわかったからこそ、まず先生たちをやる気にさせる必要があったのだといいます。
その結果、話し合いを重ねるごとに先生たちの目つきが変わっていき、自身をやる気を取り戻したのだとか。「心が変われば行動が変わる」のは先生たちも同じで、いまでは予想以上の成果が得られているのだそうです。(210ページより)
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入学時はズバ抜けた秀才が通う学校ではなかったところを、「自分は勉強ができない」と思い込み、自信がない生徒も多い。そんな生徒たちを、入学後しばらくすると見違えるように輝き出すように変えてきた。それは、著者の教育に対する考え方が生徒たちに伝わっているからといえそうです。本書で緻密に説明されている「女の子の育て方」は、だからこそ説得力を持つのでしょう。
また、これらの記述にある「先生と生徒」を、「上司と部下」に置き換えたとしても、充分に話が成り立つことがわかるはず。特に女の子を対象としているからこそ、女子の部下とのコミュニケーションに悩む人には、少なからずヒントにもなるかもしれません。
(印南敦史)
- 女の子の学力の伸ばし方 心の育て方
- 長野 雅弘|あさ出版