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【社会】

沖縄戦の遺骨 父だった 出征73年 印鑑手がかり

2014年5月14日 07時07分

遺骨鑑定の手がかりとなった遺品の印鑑。下は軍隊認識票(左)とお守りの木札(右)=13日、東京都町田市で(小平哲章撮影)

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 「お父さん、お帰りなさい」−。昨夏に見つかった沖縄戦戦没者の遺骨が、東京都町田市に住む田畑一夫さん(76)の父と分かった。遺骨のそばに埋もれた印鑑を手がかりに国のDNA鑑定で身元を特定。先月、出征から七十三年を経て引き渡された。「一日も忘れたことはなかった」。命日の今月末、都内に立つ父の墓に納骨する。(栗原淳)

 「毎日線香をたいて手を合わせていた。よくぞ見つかってくれた」。父・耕三さんの遺骨を収めた箱に目をやり、一夫さんは声を詰まらせた。

 現在、市シルバー人材センターで働く。幼少のころは、両親や弟妹と樺太で暮らした。耕三さんは電器店を経営していたが、一九四一年九月に陸軍に召集され、満州(現中国東北部)から後に沖縄に派遣された。沖縄戦のまっただ中の四五年五月二十九日に本島で戦死したとする通知書が、終戦の二年後に届いた。三十二年の生涯だった。

 遺骨は昨年七月、沖縄県浦添市の建設現場で発見された。そばの土中から「田畑」と彫られた印鑑も見つかった。地元紙の報道を知った親族から連絡が入り「父に違いない」と名乗り出た。厚生労働省のDNA鑑定で父と裏付けられた遺骨が自宅に届いたのは先月七日。「あきらめていた。まるで奇跡だ」。一夫さんは泣き崩れた。

 召集時、長男の一夫さんは三歳だったが父の記憶はある。店の電球を持って転び、左手首を切った。心配した父はすぐに病院で手当てを受けさせた。レコードを聴かせるために蓄音機もつくってくれた。「子煩悩でやさしいおやじだった」。天気予報図で樺太を見るたびに思い出す。「戦争さえなければ」。悔しさを抱えて暮らした戦後だった。

 先月末、一夫さんは埼玉県内の介護施設にいる母の雪子さん(99)を訪れた。ベッドに腰かけ、膝にのせた骨箱をいとおしそうになでた。「耕三さんはやさしい人だったよ」。再婚はせず女手一つで家庭を支えた。戦中の記憶は薄れつつも「見つかってありがたい、ありがたい」と繰り返し、幸せそうにほほえんでいたという。

(東京新聞)

 

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