【美味しんぼ】井戸川氏を喜々として反原発の見本扱いする反反原発達の間抜けさ【鼻血】
※今回の記事は後半に面白いものも載せているので是非読んで欲しい。
『美味しんぼ』騒動が喧しい。石井孝明氏が「リンチ」待望発言をしてJ-cast記事になり、そのコメント欄はTwitterと異なり批判一色である。以前、私は「高木仁三郎が生きていたら推進派はやっぱりボコボコにしたと思うよ」という記事にて、この世にいない高木仁三郎氏にのみ敬意を払う石井氏の姿勢を疑問視したが、当の石井氏自身が「文化大革命の軽い奴」を煽動することになった。
今回の騒動は10数年前の『国が燃える』連載中止を思い起こさせる。結局南京事件はあり、無かったと言い張るのはbuberyのような「メルトダウンじゃないだす」に同調した右派位のもので(証拠、ちなみに彼のナチに対する姿勢も疑問な材料もある)、議論の対象は大分前から犠牲者数に移行している筈である。東中野修道は訴訟で改ざんを指摘され、日本南京学会は私的団体の域を超えられず瓦解した。それが現実である。
さて『美味しんぼ』騒動である。ネットユーザーには騒ぎを起こす体質は以前からあった。主にTwitterでブームとなっている反反原発派が良い見本である。まとめには相手をすぐに「獲物」呼ばわりし、面白けりゃそれでいいという態度が垣間見える。数名のTLを追うと一日中そういう行為に明け暮れている。軍事クラスタとかな。
私は、連載の続きがあることが分かっている時点で雁屋氏を難詰したり、擁護するのは時期尚早だと思った。批判が時期尚早だと思ったのは、最初に騒ぎになった回では医者が鼻血の効果を否定しているシーンがあるからである。また、擁護に関しては、雁屋氏の過去の言行を見る限り、放射能原因説を支持する可能性も予測出来たので、「雁屋氏は放射能の原因ではないと思ってるかも知れない」といった、余りに都合の良い忖度はどうかと考えていた。だから、「まぁ次の回次第だな」程度が私には妥当な線だったのだ。
ちなみに、私も震災後福島には何度も行っており、飯館村で舞い上がった埃を浴びたりしてるのだが、鼻血は出ていない。だが、井戸川氏は発災時から現地で避難を指揮していた。受けた放射線量は桁のレベルで異なるだろうし、ストレスも一般の避難民以上であると推測出来る。
しかし、最近の井戸川元町長への批判は度を越しているように思う。例えば、事故後体調がおかしくなったといった話はアーニーガンダーセン『福島原発事故 真相と展望』(2012年)にも書かれている(ガンダーセン氏の本には鼻血の件は出てこないが)。同書は新書だが、内閣のお偉方まで参戦する程のバッシングは受けていない。偶々別の理由で再読していたのでこの本を例示したが、多分、そういう話を書いているのはガンダーセン氏だけではないだろう。
また、その手の批判Tweetは後日時間があれば代表例をアップするが、電波電波と連呼する割に、井戸川氏がどのような人物であったかは全く知らないようだ。
井戸川氏は、震災前原発増設を歓迎していた。その証拠が下記の記事である。
「福島原発増設を信じた「双葉町」が陥った落とし穴」『エネルギーフォーラム』2009年4月号
さて、この件は何を教えてくれるだろうか。次の可能性が考えられる
- 反反原発派は双葉町が抗議した事実に便乗したいので、津波対策等々に無関心なまま増設話に傾斜していたかつての町の姿や大熊町議会が安定ヨウ素剤の戸別保管を議論したのに不採用のままにした事実など無かったことにしたい
- 反反原発派は基本的に原発推進=科学的と思っているので、彼等から見て「放射脳」である井戸川氏が「科学の粋を集めた安全性の高いABWR」推進派であった事実を無かったことにしたい
- 反反原発派はそもそもネットで面白おかしく騒げれば満足なので原発が無ければ食べていけない事実上消滅した町に興味が無い。どうせゴミ置き場にする予定だし爽快感さえ得られれば大満足
3辺りは「死の町」と述べた反対派を吊し上げにしていることからも伺い知れよう。放射線の影響を軽く見積もったとしても、無人で荒れるがままに放置されたゴーストタウンは「死の町」以外の何物でもなく、経済的な価値も全て毀損されている。下らない揚げ足取りで吐き気がする。私も反対派にしばしば過剰な放射線リスクを煽る風潮があるのは知っているが、「死の町でないならお前が双葉町の高線量地帯に住んでみろ」という反感を覚えた。
そもそも、記事中にあるように、為政者としての井戸川氏は極めてまともで優秀だったのだ。増設は歓迎していたが、井戸川氏の前の代の町長、岩本忠夫氏時代に見られた増設目当ての大型事業などは次々に見直しし、赤字自治体からの脱却を図っていたのである。電源三法交付金さえ貰えれば安泰であるかのような景気の良い発言を良く聞くが、与えられた財源と機会に対してどのように対峙していくかは、その町村の政策も大きく影響する。要は、岩本時代はお金を使い過ぎたのだ。また、インタビューにあるように、仮に増設が実現しても過去のパターンの繰り返しを避けようと原発依存脱却への努力も重ねていた。そういった努力については『世界』2011年1月号の葉上太郎の記事に詳しい。なお、事実関係の描写において、業界誌の『エネルギーフォーラム』と『世界』の記事で差異は殆ど無かった。双葉町の赤字から震災前の両派が何を読み取っていたかを考える上でこの相似性は興味深い。
以前も書いたことだが、増設話の挫折に関してTwitterの反反原発派は徹底して避ける傾向にある。そもそも知ろうともしていないのかも知れないが。これは浪江小高原発の建設中止に至る経緯と並んで非常に都合の悪いエピソードなのだ。元々は、岩本時代の1991年に「誘致」決議をしたことから始まる。
なお、岩本氏も元々は社会党系の反対運動家として名を売っていたが、1985年の町長選では原発容認派に転じて初当選を果たした。反対派時代には真偽のはっきりしない噂話を信じ込み、県議を辞任する騒ぎも起こしている。いわば「放射脳」的なエピソードにも事欠かない。少し調べればこんなことはすぐに分かる。田原総一朗が70年代に出版した『原子力戦争』にも描かれるくらい、原発と社会の歴史では有名な話なのだ。その調べ物を徹底してしないのが反反原発。情報弱者振りを露呈しているとも言える。
岩本氏については震災前の『政経東北』バックナンバーほぼ全てや新聞各紙記事をELDBで調査、DBに登録の無い福島民報は縮刷版で調べもしたが、擁立するに当たって、双葉町民が彼の「放射脳振り」を「科学的に転向」させたという話はついぞ聞いたことが無い。当選後は地元マスコミ・業界誌にしばしば登場するようになった岩本氏は、過去の姿勢について
「あのころの第一原発一号機はトラブルが多かった。立地町民そして県民の生命、財産を守る立場から数多く質問したのは事実だが、それを反原発とみるか安全重視とみるかは勝手ですが…。十年以上の歳月が流れ、原発立地町も増え、安全性もグンと高まっていると思う」
記者の目「「反原発」返上した岩本・双葉町長」『エネルギーフォーラム』1986年9月
と述べるにとどまっている。残念ながらこの言葉は科学的とは言えない。彼は津波について質問したという話を聞かないし、放射線の位取りを間違えた質問も行っている。安全性向上は改造を繰り返した事実を見れば確かにあったろうが、本来必要なレベル、方向性(防災対策)で抜けがあったのは明らかだ。大体彼が元々居た団体名は「双葉郡原発反対同盟」なのだから「安全重視」は、反対運動の存在が結果として電力にそのような軌道修正を選択させることはあっても、字義通り読めば一種の詭弁である。
そういう過去を現実政治としてなあなあで容認したのが双葉町民である。結局は科学ではないのだが、反反原発の頭の中にはそういう黒歴史はこれっぽっちも無い。これっぽっちも無いということは、反反原発の建前論やしたり顔で反対派に投げつける「もっと勉強しろ」といった発言の数々が、実は表面的なものでしかないことを示している。
井戸川氏は『政経東北』2008年3月号で中越沖地震に関して次のように答えている。
当時は手を差し伸べる側であり全体として余裕も感じられるが、特にこの部分に注目したい。
原発を稼働していくうえで、最も優先すべきなのは『安全・安心』のはずです。安全より経済性を優先するというのは、決してあってはならないと思います。電力会社と信頼関係を築いていくためには、まず電力会社が原発を安全に運営できるという実績をつくる必要があり、その実績を見て、われわれも信頼できる会社だと判断することが出来ます。
鼻血の件を鬼の首を取ったように暴れている面々の中には東電の責任をひたすら免責しようと論陣を張っていた者がいたのを思い出す。しかし「経済性」のために僅かな対策費を理屈をつけてケチるという、正にマンガ的な行動が白日に晒されてしまったのが現実だろう。今はただ、ため息しか出ない。
※5/12夜追記
【福島県が自信を持って地元町村に薦めた「科学マンガ」】他
朝にブログ記事をアップした後、遂に福島県も過剰反応し『美味しんぼ』批判を始めたようだ。よろしい。そういうことなら、福島県があの描写にそのような非難をする資格があるかどうか、次の3つのエピソードを踏まえて読者の方にも考えていただきたい。
まずは、かつて地元住民向けの広報誌に掲載していたマンガを見てみよう。
※出典:「原子力発電所はなぜ海岸にあるの?」『アトムふくしま』1990年11月号P10-11
これが福島県の望む公平で科学的なマンガであった。福島県はこうしたマンガやポンチ絵を数多く配布したが、そのことについて検証したという話を寡聞にして聞かない。
2番目に取り上げたいのは、事故発生時に起こった、ある醜悪な事件である。県立医大が医療従事者に認められている安定ヨウ素剤服用の権利を濫用し、こっそり学生と近親者にまで配って庇いたてた上、長期間沈黙していたのだ。地元住民には服用を指示せず、与えられたのは安全だと信じさせるための情報ばかりだった。本当に健康に問題ないレベルだったとしても、シビアアクシデントでは事態がどう進展するかは予断を許さない。予防服用が常識である。
あれ以来私は、県の関係者を軽蔑している。石井孝明氏のような反反原発派は『プロメテウスの罠』を単なる電波本だと中傷しているが、プロメテウスの罠はこの問題をきちんと報じ、当時招聘された山下氏がいい加減な予想を立てて外した姿を含め、その欺瞞も衆目に晒している。マスメディアとして一応すべきことはやっていると言えるだろう。
最後に取り上げたいのは『原子力と冷戦』に載っていた話で、県の職員が内部メールであっさりバイアスに沿った答弁を準備しようとしていた件である。
筆者はビキニ米核実験等の調査研究でストロンチウム90が、とりわけ成長の激しい子どもたちに蓄積されやすいことを分析した報告を見ており、証拠を残すために(中略)福島県議会議員が県議会にて乳歯の保存を訴えた。ところが、『毎日新聞』2012年12月19日付の報道によると、福島県庁の「県民健康管理調査」検討委員会担当者が、筆者のことをさして「反原発命の方の主張だからこの質問には乗る気にならない」という以下のメールを「県民健康管理調査」検討委員会あてに送って情報収集していた。
各委員様 健康管理調査室〇〇
明日から開会の9月議会の質問で、自民党柳沼淳子議員から「将来的な、ストロンチウム90の内部被ばくの分析のため、乳歯の保存を県民に呼びかけてはどうか?」という質問があがってきています。このままだと、「専門家の意見も聞きながら検討してまいりたい。」といった答弁になりそうですが、現在の状況を踏まえると、あまり意味はないといった知見・情報はないでしょうか?質問議員ではないですが、反原発命の方の主張でもあるようで、あまり乗る気になれない質問です。情報があれば至急お願いいたします。
高橋博子「封印されたビキニ水爆被災」『原子力と冷戦』P138-139
著者の論文はビキニ実験の被害者を追った内容であるが、こういったあらかじめ結論を決めてからその結論に沿った権威を探す方法は半世紀前にも見られたとのことだ。科学を扱う者には不向きな態度であると言える。というか、呆れて物が言えない。その福島県がどの口で両論併記を行った漫画家を非難できるのだろうか。
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