さてさて、伊東豊雄さんが国立競技場の建替えに異を唱えて、改修案を自ら作成したことが、一部で話題になっています。
伊東豊雄氏の代替案「国立競技場は、新しく建て替えないで維持改修しよう」 : ギズモード・ジャパン
建築家の伊東豊雄さん、国立競技場の改修案発表:朝日新聞デジタル
伊東さんの案はよく見ておりませんが、国立競技場を建替えではなく改修して供用年数を延ばそうという考え方自体は、当然検討に値するものであって、現にその検討が行われたことを示す資料をインターネット上で見ることができます。
久米設計が2011年に制作していた国立競技場の改修案とその費用についての資料 | architecturephoto.net | ひと月の訪問者数21万の建築・デザイン・アートの新しいメディア。アーキテクチャーフォト・ネット
リンク先PDFをざっと読むと、なるほど潮を見る方面の某設計事務所では、既存の構造体の評価を行い、それが軽微の補修によって有効に活用できることを確認した上で、いくつかの方針のもとに改修を行う案を立てているのだな、と見ることができます。
ところが、ところがですよ。よくよく読んでみると、この改修案にはおかしな点があることに気づきます。
「1章 現況調査」9ページ左上、個別所見として、「中性化深さ測定の結果、既存部の平均値はコンクリート打放し+吹付けタイル仕上げ箇所0~74.2mm」「コンクリート打放し箇所で2.9~65.6mm」「岸谷式から導き出される中性化深さの推定値(26.9mm:既存部、25.6mm:増築部)と比較すると、(中略)中性化の進行は早い傾向でした」というような記載が見られます。
鉄筋コンクリートは、その名の通り鉄筋とコンクリートから成り、主に鉄筋が引っ張る力に、コンクリートが圧縮する力に抵抗しており、これらが一体となることで相互補完的に強靭な構造体を形成します。鉄筋は水、酸素、空気がある環境では腐食してしまうのですが、コンクリート、特にセメントのアルカリ性によって腐食から守られており、この点でも相互補完が成立しています。中性化は、大気中の二酸化炭素などが水に溶解し、酸性によりコンクリートのアルカリ性が失われる現象で、これが進んで鉄筋を包むコンクリートが中性化してしまうと、当然ながら鉄筋は腐食する可能性があり、表面に浮いた錆びによりコンクリートと鉄筋は一体性を失って、ひどい場合だと表面のコンクリートが剥落します。
5ページの左側写真-04、右側写真-05では、コンクリートをはつり(削り)取ったところにフェノールフタレイン溶液を吹きかけ、アルカリ性を保持している部分(赤紫色を呈します。中学校で習ったよね?)を確認していますが、鉄筋の奥まで白い=中性化しているように見え、これが74mmの箇所を示しているのかはわかりませんが、極めて中性化が深刻な部位が存在すると言えるのではないかと思います。
国立競技場には高炉セメントが使用されたことがわかっていますが、いくら高炉セメントとはいえ、たかだか50年で74mmという中性化深さは大きすぎると感じます。強度については問題がなかったと記載されていますが、適切な施工であったか、加水などされてなかったかなど、疑念は生じてきます。このままだと、鉄筋はすぐにも腐食の度合いを深めていくと考えられますので、構造体の評価としては、一般的に極めて低いものとならざるを得ません。なお、中性化したコンクリートを再アルカリ化するような工事は非常に困難(=金がかかるってことですよ)で、ダムのように気軽にぶっ壊すことのできない構造物でこそ検討に値しますが、建築物でそれを行うことは非現実的であり、鉄筋位置まで中性化してる=オシマイと見るのが一般的な見方です。
既存構造体を再利用しようと思ったら、抜き取り調査(多数の中からいくつかピックアップして調査)の結果はオールグリーンであることが求められるのが通常です。中に不合格サンプルが混じっていたとしたら、それをもってしてもロット全体で合格とみなすことができるという合理的な理由を述べる必要があると考えますが、そのような記載は検討書の中にはありません。
ところが、8ページ左上、総合所見には、「いずれも経年の劣化と考えられ、部分修繕処置で対応可能と判断いたします」という見解が堂々と記載されており、論理のウルトラスーパーミラクル大飛躍が見られるわけで、おやおやこの検討書はなんだんだろうという心持ちにならざるを得ないところであるわけです。
さて、この検討書が正式に公表することを目的として作成されたものであるならば、この所見について「改修ありきの検討ではないか」といった批判をすることもできましょうが、これはそういうものではないと、私は予想します。
私がこの検討書を発見したのは、上のサイトです。これを運営している人たちが、どこでこの検討書を手に入れたのかはわかりませんが、結論として建替えることが決定されている以上、改修案というものは「ゴミ箱から拾ってきた」という位置づけであると考えてよいと思います。
このような検討書の作成を依頼されたとしたら、普通は改修設計案の作成と、既存構造体の調査を同時に進めると思いますが、いくら改修設計が順調に進んでいたとしても、既存構造体の調査で芳しい結果が得られなければ、そこでゴミ箱行きは決定です。もちろん、結果がどうあれ検討書の作成に対する報酬はもらわなければならず、その対価としてなんらかの書類を提出する必要があったとすれば・・・まあ、こういう書類になるんじゃないかなあ、と。その辺、このブログの運営者にはひどい妄想癖があることは、過去記事を見ていただければわかるとおりですので、まあ話半分に。
いずれにしても、改修というのは既存部分の劣化した部分を撤去し、健全な部分を活用しつつ、全体として要求性能を満たす構造物を完成させる仕事となります。劣化した部分と健全な部分をしっかりと分別し、評価してこそ、改修案を設計できるという、新築よりもむしろ高い技術力と技術者倫理が求められる仕事だと、私は考えております。資材やエネルギー、環境負荷については、大いにこれを削減できるものと思いますが、お金や時間、人的資源までもが節約できるかというと、ケースバイケースで、むしろ節約にならない場合というのも多くあるのではないかと思います。
国立競技場の場合は、お金と時間の面でかなり厳しい条件が課せられていると聞いておりますが、そうした状況下においては、ゴミ箱の中を漁っている暇はないのではないのかな、というのが、私の感想です。