たっぷり佐渡島3日間
たっぷり佐渡ヶ島3日間
2011年7月28日(木)~30日(土)
第一日目(7月28日)
東京駅発→新潟駅→新潟港→両津港
○トキの森公園 ○妙宣寺 ○加茂湖温泉 ○夕食後:佐渡おけさ見学
宿泊:佐渡加茂湖温泉「湖畔の宿“吉田屋”」
第二日目(7月29日)
○小木・たらい舟 ○宿根木 ○沢崎鼻 ○佐渡歴史伝説館 ○佐渡金山
○尖閣湾揚島遊園
宿泊:「ホテル万長」
第三日目(7月30日)
○夫婦岩 ○真野宮 ○尾畑酒造 ○かもこ観光センター
両津港→新潟港→新潟駅→東京駅
佐渡ヶ島について
佐渡島は、新潟県西部に位置する周囲262.7kmの島で、佐渡全域を市域とする市が、新潟県佐渡市である。人口は63,328人である。
地形は3つに大別され、北に大佐渡山地、南に小佐渡山地、この2つの間に穀倉地帯の国仲平野が広がっている。
大佐渡山地の金北山 が最も高く1,172mである。小佐渡山地の最高点は大地山で645mである。佐渡全域が佐渡弥彦米山国定公園に含まれている。
大佐渡山地の北側海岸は、山が海に迫る景勝地で、断崖絶壁そして無数の岩礁が約50kmにわたって連なり、中でも尖閣湾が有名である。小佐渡山地は、大佐渡山地に見られる荒々しさがなく、自生のみかんや茶も見られる穏やかな丘陵地帯となっている。
国仲平野は、島の平野としては広く、多くの川で潤い、水稲栽培が行われている。国仲平野の西側に真野湾、東側に両津湾がある。国仲平野を流れる国府川は真野湾に注いでいる。国仲平野の東端にあり新潟県で最大の湖である加茂湖(汽水湖)と、真野湾の二ヶ所でカキの養殖が行われている。
歴史
大化改新以後、8世紀以前に佐渡国が置かれた。順徳天皇、日蓮、日野資朝などが配流された地でもある。 鎌倉時代以降は本間氏が守護代として支配していたが、1589年(天正17年)に上杉景勝の侵攻を受けて滅亡し、上杉氏の支配地となった。
関ヶ原の戦いの後、佐渡は徳川家の支配地となった。1601年(慶長6年)には佐渡金山が発見された。佐渡では、それ以前の戦国時代中期頃から、鶴子銀山等で銀が採掘されていたが、佐渡金山の金の産出量は群を抜いて多く、そのため、江戸幕府は、藩を置かずに佐渡を天領として、佐渡奉行所を相川に置き、幕府自ら直接統治を行った。
明治以降は、佐渡県、後に相川県が置かれたが、1876年(明治9年)新潟県に編入された。
文化
佐渡には独特の文化があり、現在でも伝統芸能が受け継がれている。過去、京から流された都人が都の文化を伝えたことや、西廻り航路が開かれ、西日本や北陸の文化が伝わってきたことによって、貴族文化や武家文化、町人文化が一体となって、佐渡特有の文化を形成していったといわれている。
能の大成者である世阿弥が配流された影響からか、江戸時代には200を超える能舞台があり、現在も32余りの能舞台が残っている。人口当たりの能舞台数は、江戸時代も現在も全国一となっている。これらの能舞台は、今も、春から秋にかけ薪能などイベントや祭りで利用されている。また、古浄瑠璃、文弥人形、のろま人形、説教人形、獅子舞なども代々受け継がれ現存している。
第一日目(7月28日)
東京発08:24(新幹線:Maxとき309)→新潟駅着10:38 →新潟港(海上国道350号 大型フェリー“おけさ丸”)12:35発→両津港着15:05着
【佐渡汽船】
1932年、佐渡航路で競合していた商船会社3社を経営安定の見地から新潟県の資本参画のもと統合して成立した。当初から半官半民で設立された日本最初の第三セクター企業である。現在も新潟県が資本金の39.2%を出資している。ほかの出資企業には新潟県内の主要企業である新潟交通、第四銀行なども加わっている。
現在、佐渡汽船は両津航路(新潟-両津)、小木航路(直江津-小木)、両泊航路(寺泊-赤泊)の3航路を運航し、3隻のカーフェリー、3隻のウォータージェット推進式全没型水中翼船と1隻の高速船を就航させている。このうち水中翼船・ボーイング929(ジェットフォイル)は1977年、日本で初めて定期航路に就航したもので、後にボーイングから製造・販売のライセンスを取得した川崎重工業にもノウハウを提供している。
当日、2時間半の長航路でツアー仲間の約半数の方が1等席を予約する。
ツアーの時は、全員同じ部屋で、一般席か1等席で計画すべきである。折角の仲間・・同一行動が親近感ができ、早く仲間意識がもてる。帰路も同じである。
あいにく曇りの天候、外界もみえず室内で横になり多少の睡眠をとる。
両津港に到着後、早速トキの森公園にバスで15分ほどの移動。
トキの森公園
トキの森公園には、「佐渡トキ保護センター」があり、国内希少野生動物であるトキの増殖を図る為、環境省が新潟県に委託して実施している「とき保護増殖事業」を行っている。佐渡島内に朱鷺野生復帰ステーションなどがあり、朱鷺放鳥に向けて関心が強まっている。
日本国内ではここでしか見られないトキ。順調に繁殖して現在は100羽以上が飼育されているとのこと。
トキの森公園を入り、木立をあるいていくと、日本産最後のトキ、キンをたたえる顕彰碑が立っていた。
野生で生まれた日本最後のトキ「キン」は、トキ観察員の宇治金太郎さんの名前をとって「キン」と名付けられたそうである。「キン」は、2003年36歳で死んだ。人間でいうと100歳を超える年である。宇治金太郎さんの世話により、世界ではじめて野生のトキ(=キン)が人間の手からエサを食べるようになったと言われている。
保護センターと併設の「トキ資料展示館」では、トキの様子をモニター中継しているほか、トキの資料を多数展示してあった。
観察路からトキ保護センター内の飼育ケージにいるトキを見ることができる
一般公開するために整備されたのが「トキの森公園」で、トキの繁殖ケージは高さ5メートルほどの部屋がいくつも連なっていた。
双眼鏡も無料で準備されておりトキを見ることができたが、なかなか動いてくれない。
妙宣寺
妙宣寺は、日蓮が佐渡に流されていた時に、身の回りの世話をした日得が、鎌倉時代後期に自宅を寺として開いたのが始まりとされている。
江戸末期に日光東照宮を模して作られたといわれる県内唯一の五重塔(国重文)で知られる寺で、自然と一体化したその姿は厳粛な美しさを漂わせていた。
県内唯一の五重塔は、日光東照宮の五重塔を模した木造・純和風である。大きさは高さ24.11m、1辺3.6mで、柱には杉が使われ、その他、松やけやきが使われている。県内でただ一つの五重塔で、国の重要文化財に指定されている。
相輪は江戸風であるが、組物などは地方色豊かな建造物となっている。棟梁は相川の茂三右衛門とその婿養子金蔵と伝えられ、親子二代30年がかりで完成させたといわれている。各層とも勾欄がないため未完であるとも言われている。
【加茂湖温泉:湖畔の宿「吉田家」】
加茂湖温泉は、両津港の奥に広がる加茂湖北岸に位置している。牡蠣の養殖で有名な佐渡随一の大きな湖“加茂湖”を誇る風光明媚な温泉である。加茂湖から眺める雄大な金北山の眺めは絶景で、佐渡を代表する景勝地のひとつとされている。また、肌がスベスベになるやわらかな湯で、別名「若返りの湯」として女性に人気が高いとのこと。泉質は弱アルカリ性低張性温泉である。
湖畔の宿「吉田家」
この宿は、加茂湖湖畔と佐渡の山並みがぐるりと見渡せる場所に位置しており、安政年間(1858年)に料理屋として創業して以来、150年の歴史を持つ老舗の旅館である。今回の旅行では、あいにくの曇・雨模様の天候で、広大な加茂湖と山々を見ることはできなかったが、屋上にある露天風呂と日本海の新鮮素材を中心とする佐渡の会席料理の味覚を楽しむことができた。
温泉は、湯船に浸かると肌がスベスベとして気持ちのいいお湯であった。
夜9時からは、「おけさ踊り」が上演された。
【佐渡おけさ】
“佐渡おけさ”は、新潟県佐渡市に伝わる「おけさ節」の1つであり、現在では佐渡島を代表する民謡として全国に知られている。
おけさの歴史は、熊本県天草市の牛深港に伝わる酒席の騒ぎ唄である牛深ハイヤ節が、北前船の船乗り達によって小木港に伝わり、「小木おけさ」として広まり、それが相川の佐渡金山の鉱夫達に広まって、「選鉱場節」として哀愁漂うメロディとなったとされている。
第二日目(7月29日)
朝8:30にバスで旅館を出発。テレビでは新潟・福島の豪雨のニュースが流れており、今日は大雨かと思いきや小雨模様。小木港のたらい舟場に到着した時には、幸運にも雨があがっていた。
小木・たらい舟
小木半島に伝わる“たらい舟”は、大たらいに櫓をつけたものである。小回りがきき見た目と違って安定感があるため、港や岩場でのワカメ、サザエ漁に今でも使用されている。考案されたのは明治初期で、昔は大切な嫁入り道具で、観光用にはカスリを着た女性が操ってくれる。通常は3人程乗船可能である。
宿根木
廻船業の集落として発展した「千石船と船大工の里」入り江の狭い地形に家屋が密集する町並みは、国の伝統的健造物群保存地区に指定されている。
宿根木は。「小木の町人文化」形成に先駆けて中世の頃より廻船業を営む者あ居住し、宿根木浦は、佐渡の富の1/3を集めたと言われるほど栄えた。小木港が江戸幕府によって整備され、商業の中心が小木港に移行すると、宿根木の者は、船主が先頭となって十数人の船乗りと共に、全国各地へ乗り出して商いを続けた。村には船大工をはじめ造船技術者が居住し、一村が千石船産業の基地として整備され繁栄した。その時代の集落が今日見られる宿根木の町並みだそうである。村を流れる称光寺川と平行し、数本の小路が海に向かっており、その小路に面して家屋が肩を寄せ合って建っている。板の屋根の上に重石を並べている「 石置き木羽葺屋根」が多いのも宿根木の特徴であり、この「 石置き木羽葺屋根」が、美しい屋根の町並みを彩っている。
ちとちんとん(新潟県指定・民族文化財)
三崎道場・称光寺
越後の時宗によって宿根木に三崎道場が開かれたのは、古く鎌倉時代の末期であった。また、時宗は佐渡に最初の 称光を建立した。宗門には、多くの海人がいたことからも廻船の村の寺として重要な意味をもっている。
佐渡金山
佐渡金山は、1601(慶長6)年に発見され、国内最大の金山として徳川幕府300年の財政を支えた。江戸時代の終わりごろから衰退し1951年に商業採掘は終了したため、現在では金の採掘は行われていない。
当時の採掘の様子を坑内に再現した“宋太夫坑”、展示資料館などを見学した。
現在は採掘されていないが、約300mの観光坑道を進んで当時の様子が等身大電動人形などで再現されていた。資料館では金山に関する様々な資料を見ることができ、触れる金塊も設置されていた。
佐渡歴史伝説館
佐渡歴史伝説館は、佐渡島にゆかりのある歴史上人物や伝説を等身大のハイテクロボットや実物大がセットされており音や光の演出により800年前の佐渡をリアルに再現されている体感型ミュージアムである
佐渡ヶ島は、古くより都との往来があり、また流人地としての側面もあり、多くの歴史上人物の伝承がある。その中の順徳上皇・日蓮・世阿弥を中心に、八景に分けて体感型で歴史や伝説を紹介している。
お土産販売コーナーでは、北朝鮮拉致被害者曽我ひとみの夫であるチャールズ・ジェンキンスが佐渡歴史伝説館のオリジナル商品「太鼓番せんべい」の販売を行っていた。 すっかり日本でも生活が板についた様相で安心した。
このせんべいの売り上げの一部を拉致被害者の救援活動費の一部にあっているとのこと。
因みに、曽我ひとみさんは、介護士の資格を生かして近くの介護施設で働いておられるとのこと。
尖閣湾揚島
数万年もの間、激しい波浪に削られてできた尖閣湾は、流紋岩段丘が浸食された高さ20mの断崖や奇岩有名である。
海底爆発によって隆起した流紋岩段丘崖が荒波の浸食で形成された奇勝である。名称は、景観の美しさからノルウェーのハルダンゲルフィヨルドを日本語にしたものである。遊覧船や海中透視船が出ており、遊覧船なら第1景より5景までの峡湾美を、海中透視船なら美しい海中の様子を眺めることができる。陸上からなら尖閣湾遊歩道や揚島遊園などからの眺めがいい。日本の渚百選である。
展望台からは、荒々しい断崖が続く雄大な景色を一望できるところであったが、あいにくの曇、小雨模様でみることができなかった。遊覧船で海中透視ができ、近海魚を見ることができた。
尖閣湾はNHKドラマ「君の名は」の舞台になった場所でもある。
その建物の2階は資料館になっていて、佐渡の民具を展示しているほか、この地でロケが行われた「君の名は」の展示がある。建物の近くには、「君の名は」の石碑があった。
【ホテル万長】
当ホテルは、昭和25年の開業で(農地解放以前は佐渡一の豪商・豪農でもあった)、相川湾に面しており、佐渡金山、道遊割戸、春日崎が一望でき、日本海の夕日や漁火を堪能できる絶好の景勝の地にある(あいにくの天候で見ることができず。)。建物は古き良き時代を残しながらシックな色使いに昔ながらの伝統と風格に近代性を見事に融合させた純和風式の旅館である。また、「万長」には、これまで祖先が収集してきた日本の文化遺産とも言うべき古美術品の数々をオープン50周年を記念して建設された。
島内では珍しい美術館として一般公開し、新たな島内観光の目玉としても注目を集める美術旅館としてリニューアルされた。
生岩カキとフグの白子を追加注文する。生岩カキは、新鮮で美味しかったが、フグの白子は、タラ?などの白子と違ってくせがあり、珍味とはいかず、あまり美味しいものではなかった。
第三日目(7月30日)
朝8:30にバスで旅館「万長」を出発。今朝もテレビでは新潟・福島の豪雨被害のニュースが流れており、今日は大雨かと思いきや小雨模様。七浦海岸の夫婦岩に着いた時には霧雨、幸運であった。
七浦海岸・夫婦岩
夫婦岩は七浦海岸の中でも有名な名所となっている。
寄り添うように立つ大きな2つの岩と付近には鬼岩などの奇岩も点在し、自然が生み出した造形美である。
真野宮
真野に鎮座する古刹。順徳上皇に仕え、日蓮上人の直弟子でもあった遠藤為盛(後の日得)とその妻・千日尼が鎌倉時代に開基したと伝えられている。承久の変で流された順徳上皇が荼毘にふされた場所である。この真野宮は順徳上皇をまつった神社である。寺には日蓮上人書状(国重文)など貴重な史料が残されていた。
順徳天皇
正治2年(1200年)4月に皇太子となり、承元4年(1210年)11月、後鳥羽天皇の強い意向により、土御門天皇の譲位を受けて即位。譲位した土御門上皇には権力は無く、後鳥羽上皇による院政が継続されていた。
父上皇の討幕計画に参画し、それに備えるため、承久3年(1221年)4月に子の懐成親王(仲恭天皇)に譲位し、上皇の立場に退いた。父上皇以上に鎌倉幕府打倒に積極的で、5月に承久の乱を引き起こしたものの倒幕は失敗。乱後の7月21日、上皇は都を離れて佐渡へ配流となった。在島21年の後、仁治3年(1242年)9月12日に佐渡で崩御した。
【尾畑酒造】
佐渡・真野町は良質な水があり、3つの蔵元を有することから 1983年アルコール共和国と呼ばれている。 真野鶴醸造元、尾畑酒造はその共和国の中心的存在として、 新潟県で最初に酒蔵見学を始めた蔵として知られている。
尾畑酒蔵は明治25年に創業されて以来、伝えられてきた家訓は四つ目の家紋に象徴される「四宝和醸」だそうである。 四宝とは「米」「水」「人」「自然」のことであり酒造りの心は、この四つの和を以って醸すとのこと。
尾畑酒蔵は明治25年に創業されて以来、伝えられてきた家訓は四つ目の家紋に象徴される「四宝和醸」だそうである。 四宝とは「米」「水」「人」「自然」のことであり酒造りの心は、この四つの和を以って醸すとのこと。
現在でエールフランスの機内酒に採用されたり、北米やフランス、ドイツ、イタリアなどにも販路が広がっているそうです。そして平成19年に開催された世界最大規模のワイン品評会「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」において同年から新設された日本酒部門で金賞(吟醸酒・大吟醸酒部門)を受賞している。
まず、店内に入るとお酒の製造過程の説明をビデオで説明され、次いで、ズラリ並んだ銘酒の試飲コーナーで試飲する。
最初のコナーでは、曽我ひとみさんの娘さんのブリンダさんが接客していた。小柄で愛想がよく元気に頑張っている様子が伺えた。ここでもお酒の売り上げの一部を拉致被害者の救援活動費の一部にあてているとのこと。
観光も終え、帰路につく。両津港に行き、佐渡汽船「おけさ丸」に乗船し新潟港に向かう。
行きは畳敷きの一等席であったが、帰りはじゅうたん敷きの一般席とし、ツアー仲間と談話しながらの航海であった。
新潟港から新幹線新潟駅までバス移動し、新潟駅発16:44発「Maxとき338」で東京駅に向かった。
あとがき
初めての佐渡旅行で、温泉、海鮮料理、それにトキの森公園など地域の特性や歴史などについて興味津々であった。
旅行期間中は、新潟、福島地方の豪雨で大きな被害が連日旅館のテレビニュースで流れており心配された。しかし、夜に大雨で翌日の観光時間帯は、曇り、霧雨程度の天候で、幸運に恵まれた。
事前の予備知識を得ておいた事もあり、伝統文化、歴史や特産物、それに温泉、料理にも満足の旅行であった。
旅行期間中は、新潟、福島地方の豪雨で大きな被害が連日旅館のテレビニュースで流れており心配された。しかし、夜に大雨で翌日の観光時間帯は、曇り、霧雨程度の天候で、幸運に恵まれた。
事前の予備知識を得ておいた事もあり、伝統文化、歴史や特産物、それに温泉、料理にも満足の旅行であった。