大学生のとき、東京で行われたある大規模音楽イベントで単発のアルバイトをしたことがあります。チケットをもぎったり、お客さんを誘導したりするアレです。
この仕事は、イベントの前後はお客さんの出入りがあるため忙しいのですが、イベント中は割と暇です。お客さんはステージに夢中なので、特にすることはありません。スタッフは各自決まったエリアにスタンバイし、もし何かあったら対応するだけです。
その時間は特にすることもないし、せっかくなので自分もイベントを楽しんじゃおう!と考えるのは、人間として極めて自然なことだと思います。どうせ暇なのだから業務に支障はないし、僕に至ってはそもそも好きなミュージシャンが出演するというのがこのアルバイトに申し込んだ理由でした(笑)。能天気な大学生だった僕は「見たいライブを見れてお金まで貰えるなんで最高じゃないか!」と思ったわけです。
ところが当日出勤すると、現場のマネージャー的な人からスタッフ全員に通達がありました。
「イベント中、スタッフはステージの方を向かないこと!」
僕はこの言葉を聞いた時点で、今すぐ腹痛を起こすべきかそれとも祖母の病気を悪化させるべきかというあらぬ考えが頭を過ったわけですが、バカ大学生なりに最低限の良識を持っておとなしく職務を全うしました。言われた通り、イベント中はステージの方を向かず(たまにチラ見する程度に止め)、好きなミュージシャンがすぐそこでライブをしているのに見ないという、一体何のプレイなのかわからないようなシチュエーションにやり切れなさを覚え1日を終えました。
マネージャーの命令はつまり、ステージの方を向いて「サボってる感」「真面目に仕事してない感」を出してはいけない、ということだったのでしょう。たとえ、実際は業務に全く支障がなかったとしても。
時は流れて、今から約2年前。駆け出しのスポーツライターだった僕は、ダルビッシュ有選手が所属するMLBテキサス・レンジャーズの本拠地、Globe Life Park in Arlington(当時の名称はRangers Park in Arlington)を訪れました。
この球場にはメディア関係者用のエレベーターがあり、エレベーターボーイ(といっても腹出たおっさん)もいます。「プレスボックス(記者席)に行きたい」と告げれば、ボタンを押して連れて行ってくれます。
このエレベーターの壁面にはTVが設置されており、外で行われている試合をライブで映しています。当たり前ですが、エレベーターの中からは歓声は聞こえてもフィールドは見れないので、フィールドで今何が起こっているかこのTV画面で見るわけです。
エレベーターに乗って移動している十数秒の間に、たまに地元チーム(レンジャーズ)の選手がヒットを打ったり得点を挙げたりすることがあります。すると、エレベーターボーイのおっさんが拳を突き上げ「Say Ya!!(やったぜ!!)」などと吠え、ハイタッチを求めてくるのです!
当たり前ですが、このおっさんは仕事中です。仕事中ですが、別にエレベーターの中で吠えて乗り合わせた人とハイタッチしたところで、彼の業務に大した支障はありません。ちゃんとボタンは押してくれるし、誰かを不快にさせることもおそらくありません。だから、別に試合を楽しんだって良いのです。
このおっさんに限らずメジャーリーグでは、球場で働く多くのスタッフがファンと一緒に試合を楽しんでいます。地元チームが得点を挙げた瞬間、スタンドでチケットチェックをする人たちが感情剥き出しで喜ぶ姿を僕は何度も見ています。彼等彼女等は、たまに試合中バックスクリーンに映し出されると、笑顔で手を振ったり踊り出したりしてスタンドを盛り上げます。
これは別に誰かにやらされているのではなく、お客さんが野球観戦を楽しんでいるのと同じように、ただ楽しんでいるのです。それを見たお客さんも悪い気はせず、むしろその一体感を楽しむです。
少なくともメジャーリーグの世界では、球場で働く人たちが仕事中だからといって「楽しんではいけない」理由なんてないのです。
冒頭で紹介した音楽イベントの話は、もしかしたら極端なケースかもしれません。しかし、現代の日本社会には似たようなシチュエーションが、程度の差こそあれ多くあるのだと思います。
日本では、仕事について「仕事(そのものを)を楽しむ」 というコンテクストではよく語られますが、「仕事中に(人生を)楽しむ」あるいは「仕事中に遊ぶ」ことについては、未だタブー視されている気がします。また、「仕事(そのものを)を楽しむ」というのも、単純に楽しいことを仕事にしよう、というよりは、大変な仕事をやることで得られる達成感を楽しむ、という感覚に近いと思います。いわゆる「やりがい」「やりがい」です。
今日、多くの人が意識的にか無意識的にか、この「やりがい」思想に洗脳されていると思います。
経済が右肩上がりの時代は「我慢して働けばいつかマイホームが買える」的な希望があったのだと思いますが、今日の日本にはそんな希望もありません。にも関わらず、労働時間は世界で飛び抜けて長く、仕事が人生の大部分を占めている。ですので、仕事そのものにせめて「やりがい」を見出さなければ、多くの人はとてもやっていけないのです。
僕は今、幸いなことに仕事がとても楽しいです。が、ときどきふと「本当に楽しい?楽しいと思い込もうとしてるんじゃない?」と、第二の自分が問い掛けてくることがあります。仕事にはやりがいを感じていますが、本当は週5日くらい昼から友達とBBQしてシエスタするだけの生活の方が楽しいんじゃないか、という気もするのです。
楽しいと思い込んだまま働ければ、それはそれで良いのかもしれませんが、ダウナーモードに入ったときに危険です。「やりがい」思想に洗脳された状態は、いわば冷静さを失ったハイの状態ですので、不自然に感情が高まっています。その分、薬物と同じで下がるときはガクっと下がるのです。年間3万人という自殺者の数が、何よりの証拠だと思います。
また、「やりがい」思想に洗脳されている人は、他者にも「仕事にやりがいを感じること」を強要する傾向があると思います。ベンチャー経営者の話が大体暑苦しいのは「仕事が楽しくないなんて問題だ」という自身の思想に疑いを持たず、他者に押し付けるからです。が、将来が不安な素直な若者たちはこれに煽られ「やりがい」思想に染まっていきます。このメカニズムはつまり、ファシズムです!
日本には独特の仕事観、労働倫理があります。おそらくは儒教の思想を根底に持つ「労働は辛いもの、苦しいものであるからこそ尊い」という価値観が、潜在的に社会を支配しています。禁欲的に苦労をすることが称賛されます。だから、ライブの最中にステージの方を向いてはいけないのです。
海外に行くと、本当に働かない人たち(笑)に出会います。彼等彼女等は、いかに楽して生活に必要なお金を稼いで毎日楽しく暮らすか、ということだけ考えています。それが良いか悪いかはわかりませんが「自分の感情に嘘がない」という点では、見ていてとても気持ちの良いものです。
人生は楽しんだもの勝ちです。メジャーリーグの球場スタッフのように、仕事をちゃんとこなすことと、仕事中に人生を楽しむことは両立できます。仕事中だからといって、自分の素直な欲求を押し殺す必要はありません。仕事中だろうがそうでなかろうが、人生はエンジョイすれば良いのです。
★『Splash Hits』Facebookページ★
★Twitter★
(2014年5月7日「Splash Hits」より転載)
'内野 宗治さんをTwitterでフォローする: www.twitter.com/halvish
滑川海彦: ジェフ・ベゾスのワシントンポスト買収の狙いを分析する――インサイダーの視点
標準的には、バブルが崩壊した1991年に生まれ、失われた20年と共に成長。一度も好景気を経験していない。小学校入学直後から、携帯電話によるネット通信が普及。