海洋調査:福島原発沖で市民が測定 漁業の未来考える
毎日新聞 2014年05月07日 16時09分(最終更新 05月07日 19時31分)
プロジェクトを主導する小松さんは「実際に現場に行ってみて、原発の存在を体感して実測する。定期的に繰り返すことでいわきの海、福島の漁業を考えるきっかけにしていきたい」と強調する。
今後に向けてのヒントも既に出ている。いわき市の漁師の間では、魚の数が震災前より増えているという話が出ている。原発事故後の3年間、漁獲量が大きく減ったことで魚の個体数が回復した可能性があるというのだ。五十嵐さんは「資源を管理しながら漁を続ける、持続可能な漁業という新しい形を福島から提唱できるのではないか」と強調する。市民による海上調査で実際に漁場を見て、計測し、考えることで議論は広がっていく。原発沖から生まれる漁業の可能性に注目していきたい。
◇津波逃れた釣り船、今は調査に
「うみラボ」の調査を支える釣り船「長栄丸」の船長、石井宏和さん(37)は震災時、長栄丸を沖に出し、津波から船を守った。しかし、津波で長女柑那(かんな)ちゃん(当時1歳半)は富岡町内で行方不明に。原発事故の影響で釣り客の足も遠のいた。一時は「何のために船を守ったのか」と自問自答を繰り返すこともあったが、「実際に原発事故の現場を見て、今後を考える手助けを」と、調査のために船を出す。
震災前、福島第1原発から南に約10キロの富岡港(福島県富岡町)で釣り船業を営んでいた。自宅も港近くだった。3年前の3月11日、地震の大きな揺れに「津波が来る」と直感した石井さんは、家族に連絡をつけ、長栄丸に乗り込んで沖に出た。
直感は当たった。富岡町は大津波に襲われ、港で残った船は長栄丸だけだった。しかし、陸に戻った石井さんにもたらされたのは、親族とともに車で避難中に柑那ちゃんが津波に襲われ行方不明になったという知らせだった。自宅も津波に流されていた。
続いて起きた原発事故で、海とともに生きる暮らしは一変した。乗船客の目的は、釣りではなく放射性物質の調査に変わった。魚のサンプル調査にも協力した。
様変わりした暮らしに苦悩する日々。柑那ちゃんの3回目の誕生日にあたる2012年9月8日、石井さんは自身のホームページにこうつづっている。「時が経つにつれ、『自分はこれから何をして行けばいいのだろ? どんな仕事をすればいいのだろ?』と悩みました。でも、海のガレキ撤去の仕事やサンプル調査などで船の操縦席にいると、やっぱりこの場所が落ち着く自分がいるのです」