大阪市の雑貨店主のもとに、不思議なマッチ箱が持ち込まれた。300箱の中に、小さな文字で日記が書かれていた。半世紀以上前の日付。立ち寄った店の食事や旅行の内容、映画の感想……。誰が書いたかわからない。「個人的なものなので返したい」と、店主が関係者を探している。

 西淀川区で「カマタ商店」を営む鎌田安彦さん(34)。アンティークの家具や古道具などを扱う。

 2012年6月ごろ、大阪市内のバイク店主が段ボール箱を二つ抱えてやって来た。知人の不用品屋からもらったという。長い間忘れられていたようで、マッチ箱は湿り、虫が付いていた。薄い木箱に色紙を貼ったものが多く、中にはひび割れたものもある。

 天日干しにしたところ、文字に気づいた。約370個のうち300個に、1952~61年の日付の日記が書かれていた。

 マッチ箱の飲食店は京都の店が8割ほど。中華料理店「ハマムラ」のマッチ箱にはこんな記述があった。

 1959年8月26日 映画「続ボダイ樹」をみてヤキメシを食べた。大盛りで割にうまい

 他店のマッチ箱には「チキンピラフ100円、割によろしい」「ビフテキ、大したことなし」などと書き込まれている。映画や山登りの帰りに店に寄ったという記述も多い。

 有馬温泉の旅館のマッチ箱には仕事の記述がある。

 1959年4月26日 病院のレクリエーションで有馬に行ってきて休む

 「看護婦さんとコーヒー」「医師会」などの言葉も見受けられる。

 61年に結婚し、伊勢志摩に新婚旅行に行った先のホテルのマッチ箱もある。日記の主は男性のようだ。別の記述から、妻の名前は「洋子」さんとみられる。

 最後の日記は、東京・新橋の「第一ホテル」。

 1961年9月9~13日 東京で四泊する。アメリカ行きの前旅なり

 文字の大きさは2ミリほど。「手先がかなり器用な人のはず。仕事も遊びも満喫した大人の男だったと思う。会ってみたい」と鎌田さん。

 マッチの普及啓発などをしている業界団体「日本燐寸(マッチ)工業会」(神戸市中央区)によると、マッチ箱の収集が流行した時期はあったが、日記を書く習慣は聞いたことがないという。鎌田さんは「個人的な日記なので捨てるわけにはいかない。本人か家族が分かれば返したい」と話す。問い合わせはカマタ商店(06・6472・7006)。(京谷奈帆子)