東京レター
東京で暮らす外国人たちが、手紙スタイルでつづる「東京生活」
【社会】81歳1人で続けた印刷所 廃業 味わいの活字譲りたい2014年5月12日 13時59分
埼玉県朝霞市で小さな印刷所を約四十年間経営し、活版印刷ひと筋に生きてきた渡辺昌郎(まさお)さん(81)が、高齢と病気のため惜しまれつつ廃業した。心残りなのは、十万個以上あるという鉛の活字を廃棄しなければならないことだ。「誰かに生かしてもらい、昔ながらの印刷技術を知ってほしい」。渡辺さんは、無償で引き取ってくれる人を探している。 (谷岡聖史、写真も) 狭い作業場の棚一面に、漢字やひらがな、カタカナの活字が並ぶ。「今まで生活できたのは活字のおかげ」。そう感謝する渡辺さんは、今の東京都目黒区で生まれた。五歳のときの病気で両脚に障害が残り、十歳までに両親を亡くした。預けられた親族に「歩かなくても働けるのでは」と勧められ、戦後間もない一九四九年、十六歳で中央区内の印刷所で働き始めた。 「空襲など戦時中の混乱で学校に通えず、印刷所が教室代わりでした」。膨大な種類の中から目当ての活字を選び出す「文選」や、選んだ活字を並べて版を組む「植字」の作業をこなすうち、知らない漢字を覚えていった。 七八年に独立し、朝霞市で「ワタナベ印刷」を開業した。名刺やはがきの印刷を一人で請け負ってきたが、約十年前に肝臓がんを患い、その二年後に大腸にも転移。抗がん剤治療で休業を繰り返しながら仕事を続けてきたが、「体力の限界」と感じた。今年一月末に廃業を伝えるはがきを刷り、得意客らに送った。 朝霞市で化粧品販売会社を経営する浅井広光さん(70)は三十年余り、自身の名刺や年賀状を渡辺さんに任せてきた。「パソコンでつくった文書は確かにきれいだけど、微妙な凹凸やインキの濃淡といった味わいがある活版印刷が好きだった」。従業員の名刺を発注していた同市の不動産会社で事務を担当する渡辺多賀子さん(49)は「刷り上がった名刺のインキが乾くまで時間がかかるけど、そこにも愛着があった。続けてほしかった」と残念がる。 残った活字は六ポイント(約二ミリ四方)〜初号(約一・五センチ四方)まで八つの大きさで明朝体やゴシック、行書体など。「活字は印刷の歴史そのものだが、つぶせばただの鉛の塊。自分で活字を拾う大変さ、活版の味わいを多くの人に体験してほしい」。好きな文字を好きな数だけ、無償で譲りたいという。 ◇ 問い合わせは渡辺さん=電048(471)1485(ファクス兼用)=へ。 <活版印刷> 鉛製の活字を板状に並べ、インキを塗って紙に押し付ける印刷方法。近年はインキを転写するオフセット印刷が主流になり、活版印刷を手掛ける業者は減っている。日本印刷産業連合会によると、大手業者は約20年前までに活版印刷から撤退。名刺などの印刷で続ける中小業者もあるが「全体の1%未満」という。かつては官報など国の印刷物も活版だったが、国立印刷局博物館によると、1994年までに終了した。 (東京新聞) PR情報
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