勝負に燃える男たちは、フィールドに何を誓い、
いかなる覚悟で未知の激闘に挑むだろうか――。
日本のプロ野球を経ずに海を渡り、世界一に輝いた。
“パイオニア”の挑戦はさらに続く。
Number850号より、田澤純一投手の特集を特別に全文公開いたします。
2004年のア・リーグ優勝決定シリーズの最中に、当時のボストン・レッドソックスのエース、ペドロ・マルティネス投手がこんな話をしたのを覚えている。
「もしボクが野球をやっていなかったら、今頃は故郷のドミニカの椰子の木の下で昼寝をしていると思うよ」
直前にマルティネスは「ヤンキースはボクの“父親”みたいなものだ」と発言してメディアとファンの総攻撃に遭っていた。その騒動の中での言葉である。
「野球があるから今のボクはある。そこでボクを高めてくれたのはヤンキースだった。子供が父を乗り越えなくちゃいけないように、ボクにとってヤンキースはそういう存在だということだよ」
ボストン・レッドソックスの田澤純一投手も、「もし、あのとき……」とこんなことを話しだした。
高校で野球を辞めようとした男にとっての大きな転機。
「社会人のエネオス(新日本石油ENEOS・現JX-ENEOS)に入っていなかったら、ボクはいま、全く違う人生を歩んでいたと思います」
神奈川・横浜商大高校3年の夏の神奈川県予選では、涌井秀章投手を擁する横浜高校に準決勝で敗退。それを最後に野球は辞めて就職しようと決めていた。
卒業を前に、野球とは関係ない一般企業に就職も決まっていた。もちろんこの時点では、まだプロに見向きもされていない。大学、社会人の野球チームもほとんど関心を示さなかった。ただ新日本石油だけが1社、誘ってくれたのだった。
この一歩が、田澤の野球人生の大きな転機となった。
4年目の2008年は春のスポニチ大会で大会新の18奪三振をマーク。その年の都市対抗野球では5試合に登板して4勝、チーム優勝の立役者となりMVPの橋戸賞を受賞した。そうして一躍、プロ注目の投手となったのだった。
だが、である。
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