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この問題は、前にも扱ったことがある。
→ 放射線の危険性の評価
ここでは、次の三つの仮説を紹介した。
1.「たとえ量はちょっとでも、有害なものは有害だ」(俗説)
2.「有害さの度合いには、下限(閾値)がある」( LNT仮説 の逆)
3.「たとえ有害だとしても、他の有害さにまぎれて、区別不能」(ノイズ効果)
私としては、3(ノイズ効果)の立場を採った。1と2のどちらが正しいかについては、特に論じなかった。
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さて。このたび、次の報道があった。
→ 東大サイトの放射線情報 「端的」過ぎる説明文訂正
それまでの説明は安全派の解釈を述べていたが、危険派の批判を受けて、次のように書き直したという。
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《 以前 》
結論としては、少々高めの線量率であることは事実ですが、人体に影響を与えるレベルではなく、健康にはなんら問題はないと考えています。
《 以後 》
従来の疫学的研究では、100mSv(1回または年あたり)以下の被ばく線量の場合、がん等の人体への確率的影響のリスクは明確ではありません(自然被ばく線量は世界平均で1年間に2.4 mSvです)。ICRP(国際放射線防護委員会)は、2007年勧告を踏まえ、本年3月21日に改めて、「長期間の後には放射線レベルを1mSv/年へ低減するとして、これまでの勧告から変更することなしに現時点での参考レベル1mSv/年〜20mSv/年の範囲で設定すること」(日本学術会議訳)とする内容の声明を出しています。( ※ 測定値は、駒場が 0.05、本郷が 0.12、柏が 0.28 ぐらい。単位は μSv/h )
( ※ μSv/h を mSv/y に換算するには、数値をざっと 10倍[または9倍]にすればいい。たとえば 0.05 μSv/h は 0.5 mSv/y となる。)
記事によれば、「ごく微量でも放射線量に比例して発がんリスクがあるというのが世界的に標準的な考え方だ」という危険派の主張が紹介されている。これでは危険派の言い分が正しいように思える。
しかし、先に別項で示したように、危険派の主張が正しいということにはなっていないのだ。もちろん「標準的な考え方」でもない。
そこで、どちらが正しいかを、改めて考えてみる。
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まず、次の二つの専門的な見解がある。
(1) DNA の修復
→ 放射線によるDNA損傷とその生体修復
低レベルの放射線で生じた DNA の損傷は修復される、という説明。
(2) DNA でなくタンパク質
→ 放射線発がんの主たる標的はDNAではない可能性が高い
放射線で発癌するとしても、DNAでなく タンパク質の損傷が理由だ、という見解。
この二つの見解はいずれも、「たとえ量はちょっとでも、有害なものは有害だ」という俗説を否定する。
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もう一つ、私としては次のことを主張したい。
「生命は動的平衡にあるので、体内の分子は絶えず交替している。ゆえに、( DNAやタンパク質に)損傷があっても、それは持続しない」
これはどういうことか? まず、俗説を見よう。
「たとえ量はちょっとでも、有害なものは有害だ」
これを言い換えると、危険派の主張になる。
「ごく微量でも放射線量に比例して発がんリスクがある」
このような発想は、いかにも自然だが、それは「人間は機械である」ということを前提とした発想だ。機械とは、「自己修復機能を持たない」という意味だ。自動車であれ、文房具であれ、いずれも自己修復機能を持たない。ところが生命は、自己修復機能を持つ。それはなぜかというと、生命は絶えず動的平衡のうちにあるからだ。
これを端的な例で示せば、人体の皮膚がある。人体の皮膚は、常に新陳代謝しており、日々に新しくなる。この皮膚の一部に傷ができたら、それは生涯持続するか? いや、そんなことはない。数日間で、元通りになる。
ここで、元通りになるというのは、完全に元通りになるという意味ではない。見かけは元通りになるが、実は皮膚がすっかり入れ替わっているのである。古いものが消えて、新しいものができている。ただし見かけは同じだから、同じものが続いているように見える。
このような新陳代謝と同じことが、体中のあらゆる部分で生じている。堅固に見える骨でさえ、その分子は数カ月間で入れ替わる。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず (方丈記)これと同じことが生物の肉体でも起こっている。とすれば、何らかの微小な傷があっても、それが微小な傷である限りは、生命には影響しないのだ。
例示的に言うと、人体の足をちょん切るのは元に戻らないが、人体の足に見えないくらいの針を刺しても影響はない。そういうことだ。
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このことは、図を見ると、もっとわかりやすい。
小さな穴のあいた水槽がある。
(左図) 蛇口から水をジャージャー入れると、蛇口から出る水の水量に比例して、水はどんどん溜まる。毎秒1リットルに比べて、毎秒2リットルだと、2倍の速さで水は溜まっていく。(漏れる量は無視する。)
(右図) 蛇口から水を少しだけ入れると、蛇口から出た水はすべて穴から出てしまう。毎秒1リットルに比べて、その 1000分の1だけ蛇口から水が出ると、1000分の1だけ溜まるかというと、そんなことはない。蛇口から出た水は、すべて穴から流れ出てしまう。
この二つの図を比べれば、わかるだろう。
・ 蛇口の水量が 多い ときには、「蛇口の水に比例して水は溜まる」と言える。
・ 蛇口の水量が少ないときには、「蛇口の水に比例して水は溜まる」と言えない。
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蛇口の水量は、放射線の量に相当する。
穴から漏れる量は、自己修復の量に相当する。
蛇口の水量が 多い ときには、「両者は比例する」という素朴な発想が成立する。
蛇口の水量が少ないときには、「両者は比例する」という素朴な発想は成立しない。
そして、この違いを生むのは、「水槽に穴があるかどうか」だ。そして、それに相当するのが「自己修復機能があるかどうか」だ。
自己修復機能を持たない機械ならば、「比例する」という発想が成立する。一方、自己修復機能を持つ生命ならば、「比例する」という発想が成立しない。
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結論。
「ごく微量でも放射線量に比例して発がんリスクがある」
という危険派の発想は、生命と機械とを区別できない発想である。生命は機械とは違う。生命には自己修復機能がある。つまり、動的平衡のうちにある。とすれば、水槽に穴があるのと同じで、「放射線の危険性」というものを、次から次へと吐き出してしまえる。だから、「放射線の危険性」というものは蓄積されない。
「放射線の危険性」というものが蓄積されるには、ある程度以上の大量の危険性が必要だ。特に、エネルギーの高い放射線が必要だ。
現状のように微量の放射線であれば、年間 1mSv であれ 5mSv であれ、ほとんど影響はないと考えていい。
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なお、何らかの影響がありそうなのが、年間 100mSv だ。それに対して安全度を見込んで、年間 20 mSv という値が導入されている。なのに、年間 5mSv ぐらいで騒ぐのは、馬鹿げている。
年間 5mSv ぐらいで騒ぐのであれば、年間1mSv でも騒ぐべきだ。「年間 5mSv では危険だが、年間1mSv ならば安全だ」と思うのは、あまりにも非科学的だ。微量でも危険だと思うのであれば、「年間1mSv でも危険だぞ、大変だあ!」と騒いでいればいい。
そういう人は、銀行の金庫にでも閉じこもって、一生そこから出てこなければいいのだ。
いずれにせよ、この地上には、どこにも微量の危険性はある。ごく小さな危険性に騒ぐぐらいなら、「豆腐の角に頭をぶつけて……」と言いたくなるね。
《 参考書 》
「体内の分子は数カ月間ですべて入れ替わってしまう」
ということは、「動的平衡」という概念で説明される。これは、次の書籍で詳しく説明されている。
生物と無生物のあいだ
本サイトでも、次の項目で解説した。 (2008年01月10日)
→ [書評] 生物と無生物のあいだ
【 関連項目 】
→ 放射線より心配性が危険
「危険だあ」と騒ぐことのストレスは、100 ミリシーベルトの放射線を浴びたのと同等の危険性があるようだ、という話。
【 関連サイト 】
東大のサイトは、下記。
→ 東京大学環境放射線情報
そのリンク先に、Q&Aの説明がある。そこに、修正後の記述が見られる。
修正前の記述は、魚拓に取られている。次のページに紹介がある。
→ 東京大学環境放射線情報」を問う東大教員有志のページ
タイトルを見ればわかるように、これは危険派のページである。得意になって魚拓を取っているわけだ。(実は、冤罪という罪を犯した証拠になるので、墓穴を掘るようなものだが。)
[ 余談 ]
「微量の放射線はかえって人体に有益である」(ホルミシス効果)
という仮説がある。
この仮説は、いかがわしく思えたので、「トンデモ仮説では?」と思っていた。だが、Wikipedia を読むと、疫学的に有益性がほぼ証明されているらしい。
→ Wikipedia 「ホルミシス効果」
ごく簡単に言えば、人体にある「老化」の現象を抑制する効果があるようだ。
人体には、それ自体に人体を傷つけるような物質がある。活性酸素など。そういうものに作用して、老化を阻止することで、健康を高めているらしい。
このことは、子供や若者には成立せず、中年には少し成立し、老人には大きく成立しそうだ。一律に「人体に有益だ」ということはできなくとも、一律に「人体には有害だ」とも言い切れないようだ。
福島県民に対する長期の疫学的調査が始まったということだが、ひょっとすると、「福島県で放射線を浴びているおかげで、かえって長生きできた」という調査結果になるとしても、不思議ではない。
その意味では、「微量放射線が怖いから、東京を脱出する」というような人は、有益な放射線を浴びられなくなるので、あえて寿命を縮めているのかもしれない。(交通事故の危険性もあるし。)
( ※ 子供は? ホルミシス効果による有益性は、子供にはないだろう。しかし、有害性もまた、ないはずだ。年5mSv 以下では。……それが本項の趣旨。)
( ※ 子供の健康を考えるなら、ケータイを与えない方が、ずっと有益です。ケータイの電磁波による発癌性、という記事を参照。東京から地方に逃げて、連絡のためにケータイを与えたら、発癌率はかえって大幅に上昇してしまうだろう。)
久々に2ちゃんねるを閲覧してみたのですが、
相変わらずデマの流布が活発ですし、
危険を煽る人が多くて唖然としました。
(関西の方々の、東京叩きも酷いものです)
酷いのは政界だけじゃないですね(^^;
できれば、微量だから大丈夫と思いたくってこのサイトにたどり着きました。
見解お聞かせください。
よろしくお願いいたします。
× 東京近辺の 20 mSv
○ 東京近辺の 5 mSv
日本だってそうですよ。平常時は(自然量に加算される分が) 1mSv です。
「制御できる量」については、なるべく減らす方がいい、という予防安全の意味です。たとえば、あなたが引っ越すとして、どこに引っ越すか? どうせ引っ越すなら、福島以外の方がいいでしょう。それは制御できる量ですから。
しかし、福島県民にとっては、自宅から離れるというのは、制御できない量です。制御できないのに、強引に人間を引っぱがすとしたら、多大なマイナスがあります。(たとえば失業して自殺するとか。)
そういうふうに強引に強制する量については、一時的には、20 mSv という数値が与えられます。ここでは、20 mSv という基準数値が与えられるからといって、東京都民に無理やり 20 mSv の放射線を浴びせるわけではありません。
関東近辺でなら、5mSv ぐらいなら、1年ぐらいはどうってことはないでしょう。それが一生続くわけでもないし。雨が降れば地下にしみこんでいくので、1〜2年ぐらいで半減するのではないか、と私は予想しています。
> できれば、微量だから大丈夫と思いたくって
正直に言えば、微量ならば全然大丈夫、とはいいきれないと思います。ほんのちょっとは影響があるかもしれない。未解明。
ただし、その程度の影響は、この世で生きている限り、何千、何万も、種類があります。そのすべてを心配していたら、生きていけない。
そういうふうに悪影響をすべて排除しようというのは、無菌室に生きようとするのと同じで、精神病者(異常潔癖症)の考え方です。正常な人間の考え方ではありません。
人間というのは、小さな悪影響のなかで生きていくものなのです。
なお、年間 5mSv というのは、焼き肉を5回食べるのと同じぐらいの発癌率ではないか、と私は想像しています。(ヤマカンで。)
下らない心配をするよりは、焼き肉をやめるとか、お酒をやめるとか、食べ過ぎをやめるとか、体重を減らすとか、野菜をたくさん食べるとか、……そっちの方がずっと寿命に影響しそうです。
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ちなみに、読者の皆さんは、今日、どれだけ野菜を食べましたか? 便通は毎日快便ですか? 血圧や体内脂肪はいかが? 睡眠時間は十分でしたか? ……そっちの心配をした方がいいですよ。
と、きっこが言っていたが、嘘だとバレた。
→ http://togetter.com/li/151034
通信すると IP アドレスの位置は東京都。(その時間帯には関西にいることになっている。)
「関西にいます」という証拠写真を掲載したが、写真データ(exif)を見ると撮影日は3月。3月に撮影した写真を6月に「今ここにいます」という証拠にしている。アリバイ(の逆)は崩れた! (^^);
危険厨なんて、こんなものです。
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はてなブックマークで、危険厨の文書が大人気。
→ http://b.hatena.ne.jp/entry/www.gakushuin.ac.jp/~881791/housha/
たとえば、「4μSv」という数値を上げて、「このレベルの汚染のある地域からは、子供たちは避難するべきだ」と述べているが、「4μSv = 35 mSv 」である。その領域(20mSv以上)は、すでに避難領域であり、誰もが避難している。
わかっていないのなら無知蒙昧だが、わかっていて書くなら悪質な誘導だ。ホメオパシー業者並みのインチキ宣伝。
こんなデタラメを信じる人が多いのだから、はてなというのは、危険厨(微量放射線は危険だと騒ぐ無知蒙昧)の集団か。
この文書が何よりいけないのは、「微量放射線はすごく危険だ」というデマが出回っている状況で、デマの拡散を抑止するどころか、デマの拡散を推奨していることだ。この人の発想は、
「ホメオパシーは有害だと証明されたわけではないから、政府が『ホメオパシーをやめましょう』と言うのは許されない」
というのにそっくりだ。デマの拡散をしている。
こういう非科学的な危険厨の発想は、生半可な知識を大衆にばらまくという点できわめて危険だ。実際、はてなのユーザーは、盲目的に信じてしまっている。
デマの拡散という点では、これまでで最悪の文書かもしれない。(初歩的な解説は正しいがゆえに、かえって信頼性を増すという、タチの悪い文書。)
「飯舘村から避難せよ」
ということは、すでに 4月5日に主張していた。
→ http://openblog.meblog.biz/article/4396560.html
要するに、すぐ上の危険厨の文書のように「20mSv領域から避難せよ」ということは、私のように4月5日に主張するのならば妥当だったが、二ヶ月半もたった今になって、「まだ子供は避難していないから、子供を避難させよ」というのは、悪質なデマにすぎない。
子供はすでに4月中旬に、この領域から避難しているのだ。
→ http://openblog.meblog.biz/article/4595930.html
(1) 間違いというのは文書全体ではなくて、4μSv という箇所だ。この地域を避難対象にしていないとか、この地域に子供がいるとか(だからけしからん)というのは、間違いだ。
(2) 35x0.6=21mSv程度という意味を示しているようだが、その地域ではすでに子供はない。子供はとっくに避難しました。ゆえに、(そうでないと書く)上記文書は間違い。
(3) 「微量放射線は危険だ」というところ。わずか10mSv/年 レベルについて政府が「気にするな」というのを、批判しているところ。
(4) (頻出するが)100mSvで+0.5%という値の意味を解説するところもおかしい。100mSv は、原発作業員以外、誰も浴びていない。なのに一般市民に対して 100mSv の議論をするのは、論点のすり替えだ。
( ※ ただの用語ミスであり、話の趣旨には影響しません。)
http://www.foocom.net/column/editor/3837/
──
●近年は「閾値あり」が優勢に
ところがこの仮説が今、毒性学の世界でも揺れに揺れているのだ。「遺伝毒性発がん物質にも、閾値あり」、つまり、無毒性量があり、それ以下であれば生体への影響なし、とする仮説が出てきている。いや、むしろこちらの見方が今や主流といってよいのではないか。
生化学の進歩は目覚ましく、細胞のDNA修復の精緻な機構やアポトーシス(多細胞生物において、異常細胞が自ら死ぬことで、生物としての健全性を保つ仕組み)が解明されてきた。また、発がんには、複数の遺伝子変異が必要ということも分かってきた。「DNAの損傷は不可逆的で、たった一つの損傷でも影響がある」という古典的な考え方は、覆されている。
(中略)
いずれにせよ、毒性学上の「閾値ありかなしか」という議論は、極めて微量における問題である。放射線の影響は、前回書いたように、そのような微量のレベルでは、ほかのがん要因にかき消され、閾値があろうがなかろうが、「リスクの上昇」には至らない。したがって、実際の私たちの生活における対策において、この問題は考慮しなくてよい。無視してよい。
その水槽モデルの一番の欠点は『現にたくさんの人が自然と癌になっとるやん』ということね。たばこやお酒を飲まない人でもね。水槽モデルだとその説明が難しいですわな。
ちょっとマニアックになるけれど、まず、放射線の影響は、分裂の盛んな細胞ほど大きくなるのね。また、細胞には分裂の周期があって、特定の時期だと放射線の影響が出やすくなることもわかってます。放射線の影響でDNAに傷がつくことが分かっていて、まあ、それを酵素なんかが修復することも分かっているんですけど、修復ってのは、DNAがきちんと相補的になるように直すわけです。だから、修復前に複製されてしまって、間違った配列でも新しい細胞になってしまったら、それを修復することはできないんですわな。
そういう過程を考えてみると、確率的にすごく運が悪いケースというものを完全に排除できると考えるのは、ちょっと難しいんです。だから、微量なところでは、メカニズムによって複数の直線の合成みたいなことになるかもしれないけど、よくわからんので、とりあえず一直線にしとこか、というのが暫定ですな。
微量の放射線でほとんど影響はないというのは確かなんで、素人さんは「これが正しいんだ!」ときばらんと、細かいところは専門家の議論に任せっとったらよいと思います。
微量放射線については、違いますよ。癌になっている人は多いけれど、それは、放射線のせいなのか、別の理由のせいなのか、あるいは、放射線を浴びていないせいなのか? どれともわかっていません。
だから、微量放射線で癌が増えているかどうかは、「疫学的には不明」が正しい。あまりにも量が少ないので、影響があるかないか、わからないんです。
比喩で言うと、あなたの髪の毛の抜ける量が、1日のストレスによって一本増えたかどうかなんて、少なすぎてわからないでしょう? そのくらい微小な量は、影響の有無が不明なんです。
増えているかどうかが(実証的に)わかっていれば、議論にはなりません。わからないから、議論になるんです。
アセンションのエハン・デラヴィさんの共同講演会
「放射能とDNA」
放射線ホルミシスとDNAの修復能力について詳しく解説。放射能に不安を抱いてる人、疑問を感じてる人は必見です!http://www.ustream.tv/recorded/17862990