●窪田順生氏のプロフィール:
1974年生まれ、学習院大学文学部卒業。在学中から、テレビ情報番組の制作に携わり、『フライデー』の取材記者として3年間活動。その後、朝日新聞、漫画誌編集長、実話紙編集長などを経て、現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌でルポを発表するかたわらで、報道対策アドバイザーとしても活動している。『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。近著に『死体の経済学』(小学館101新書)、『スピンドクター “モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)がある。
【拡大画像や他の画像】 セウォル号事件にまつわるさまざまな“疑惑”が連日のように報じられている。
船長をはじめとする船員たちの殺人的デタラメぶりはもはや世界中に知れ渡っているが、それに加えて船に「過重積載」をゴマかすため、船底にあるバラスト水をこっそりと抜いていたのではないかという“隠ぺい疑惑”がもちあがっているのだ。
海軍警察庁にもおかしな話が出ている。救助と指揮を指揮していた情報捜査局長が実はセウォル号オーナーの会社から転職してきた人物で、オーナーともかなり近しい関係だったことが判明。このオーナー、カルト宗教の教祖という顔もあるため、なぜそんないかがわしい企業に多くの人やモノを運ぶ航路を任せていたのかという“そもそも論”まで噴出し、役所とオーナーの“癒着疑惑”が囁(ささや)かれ始めた。
こうなると当然、怒りの矛先は政権にも向けられる。そこで朴槿恵(パク・クネ)が多くの被害者を出した高校の地元を弔問したのだが、ここでは“ヤラセ疑惑”が出ている。カメラの前で朴大統領が女性と握手を交わしたのだが、この女性が被害者の家族でもなんでもない“仕込み”だった可能性があり、「批判をかわすためのイメージアップ戦略では」と批判されているのだ。
それだけではない。「被害者家族代表」としてマスコミに出ていた男が実は高校生たちとまったく関係なく、近く選挙に出馬する候補者だったということも発覚。全国民が注目する場で顔を売りにきたのではという“便乗疑惑”まで持ち上がっているのだ。
●韓国人の8割は他人を疑っている
右を見ても左を見てもウソくさい話だらけ。さぞかし韓国のみなさんは人間不信に陥っているのではと思うかもしれないが、我々が考えるほどではない。もともと、そういう傾向が強いからだ。
2014年1月、韓国統計庁が出した「韓国の社会動向2013」という調査では、「あなたは一般的に人々を信頼できると思うか」という質問に対して、「常に信頼する」と答えたのは22%に過ぎなかった。つまり、韓国人の8割は他人を疑ってみているということだ。
これには国民性だとか文化だとか、いろいろ小難しい分析ができるかもしれないが、個人的には、韓国が「プロパガンダ社会」だということが関係していると思っている。このコラムでも従軍慰安婦問題に代表する「反日ロビー」などを紹介しているが、韓国は「国策」としてスピンコントロール(情報操作)を推進している。
なかでも際立っているのが「ネット工作」だ。ひと昔前は、K-POPのYouTube再生回数をあげる工作をしていたとか、ヒットチャートにランクインさせるためにネット動員をかけているのではなんて話題になったが、今の注目は「VANK」(Voluntary Agency Network of Korea)だろう。「VANK」とは、韓国の素晴らしさをネットで普及しましょうという公称1万人程度のNGO団体で、「サイバー外交使節団」なんていわれた時もあるが、実態はそんなピースフルなものではない。
「ディスカウント・ジャパン」なる日本の悪口攻撃をネット上で展開。少しでも日本に友好的な立場をとる者を見つけるや、大量の抗議メールを送りつけるなどの嫌がらせをする。例えば、日の丸をデザインした携帯ケースをつくったイタリア企業も標的となり、当初は「単なる旗だろ」と突っぱねていたが、執拗(しつよう)なサイバー攻撃に謝罪をするという事態に追い込まれている。ちなみに、つい最近も、さる日本のマスコミが論説委員の発言によって、この「VANK」の攻撃に晒(さら)されているという情報もある。
●すべてのコミュニケーションが疑わしいものに
日本でも「ネトウヨ」と呼ばれる方たちが反日認定した企業などに対し、「電凸」をしたり、集中アクセスによる「炎上」を引き起こしたりというのはあるが、組織力や粘着性、そして悪質性で「VANK」の足元にも及ばない。
このような「裏工作」がネットには溢れる一方で、「反日プロパガンダ」や「ウリジナル」(文化やスポーツの起源の多くが韓国にあるという思想)で国民のナショナリズムが鼓舞されている。こう見ると、韓国は情報操作や世論誘導が蔓えんした「プロパガンダ社会」と言えなくもない。
実は、このような社会がどのような道をたどるのか考察した人がいる。ピーター・F・ドラッカーだ。ドラッカーといえば一般的には「マネジメント」で経営学の大家のようなイメージだが、若かりしころは、「ナチス」を取材したジャーナリストだった。ウィーンにいた彼はヒトラーやゲッペルズを何度も取材している。
ナチスドイツが新聞やラジオ、映画というプロパガンダに力を入れていたのはご存じのとおりだ。それをリアルタイムに己の目で見て、考察をしたドラッカーは処女作『「経済人」の終わり』のなかで、プロパガンダがファシズムを生み出したと「過大評価」されていることを真っ向から否定し、後世にはこのような結論にいたっている。
「プロパガンダ蔓えんの危険性は、プロパガンダが信じ込まれる、ということにあるのではまったくない。その危険は、何も信じられなくなり、すべてのコミュニケーションが疑わしいものになることにある」
今の韓国社会の状況は、まさにこの言葉にピッタリではないか。
沈みゆく船のなかで最後まで他人を信じ続けた子どもたちが亡くなった。それまでもコミュニケーションは疑わしいものだったが、この悲劇によって「疑惑」がいよいよ「確信」に変わってしまった。先日の地下鉄追突事故に巻き込まれた乗客の多くは、「対向の列車が来るかもしれないので車内で待機してください」というアナウンスを無視し、自己の判断で暗い線路へ飛び出している。
韓国という「船」のアナウンスにもはや誰も耳を傾けない。