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異世界転生騒動記 作者:高見 梁川

第二話 書籍化該当部分

 岡雅晴の最後の記憶は入試会場へ向かう途中の慌ただしい交差点である。
 自分と同い年であろう受験生が緊張した面持ちで、あるいは最後の悪あがきのように参考書を手に取ったりしながら朝の雑踏を波のように蠢いていた。
 雅晴は第一志望ではなかったために比較的気楽にそんな情景を眺めている余裕があったのだが、不意に何らかの衝撃―――――どういった種類の衝撃であったかは全くわからない、コンセントを引き抜かれた家電製品のように雅晴の記憶はそこで途切れた。
 
 気がついたらよくわからない言葉を話す美形の夫婦に覗きこまれていた。
 これはいわゆる転生というやつか?
 困惑、そしてせっかく努力していた受験に対する失望など複雑な感情がうず巻いたが何よりも雅晴が感じた感情は歓喜に等しい喜びであった。
 転生という言葉が全く自然にこぼれるほど、それは雅晴にとって身近な言葉であった。
 要するに雅晴という少年は厨二病を患っていたのである。
 ある日突然に突っ込んだトラックに撥ねられて異世界に転生したりしていないだろうか?事態はそうした厨二病の妄想とひどく似ていた。
 問題は雅晴の記憶以外にもう一人、老成した男性の人格が存在したこと。そしてすでにバルドという少年の自我が完成しかけていたことである。
 今にして思うがバルドがまだ完全に自我の完成していない幼児だったからこそ脳神経の過負荷に耐えられたのだろう。
 3人分の人生という記憶量は膨大というほかなく、これを時系列に体験として消化していくのは明らかにまっとうな人間の脳の限界を超えるものであった。
 それがまがりなりにも折り合いをつけることが出来たのは左内が出しゃばることを控えたこととバルドが幼く経験量が不足していたことが大きかった。しかしもっとも大きな要因はマゴットの地獄の特訓である。

 『お、折れる!腕が折れちゃう!今背中にのっちゃらめええええええ!』
 「…………なんかまだまだ余裕な気がするのは気のせいかね?」
 『いやああああああああああ!』

 一瞬でも気を抜けば死ぬ、死なないまでも骨折程度の重傷は確実という狂気の修行であった。
 いや、マゴット的には十分に手加減しているつもりだったのかもしれないが、何せ相手はまだ6歳の幼児なのだ。
 
 『背中に槍を押しつけてフルマラソンとかどんだけええええ!!』
 「ほらほら!少しでもスピードが落ちたらお前の背中に大きな穴が開くよ!」
 『もういや!この母親っっ!』

 あれ?なんだろう。ただの回想なのに目から水が………。
 とにかく必死の修行の結果、バルドと雅晴と左内の記憶はバルドを主体としつつ、多大な影響を与えるヴァーチャルリアリティー的な存在として融合を果たした。
 マゴットの訓練が過酷すぎるので比較的左内がバルドに与えた影響のほうが多いが、雅晴の影響が決して少ないというわけではない。
 むしろ現在のバルドの目標を考えれば左内以上に強い影響を与えている可能性があった。
 厨二病を患っている少年にありがちなことに(本当か?)雅晴は内政チートに造詣が深かったのである。





 「反応は上々や。やけどあの砂糖がサトウキビ以外から造られたんはもうバレとるで?秘密にするにしてもそう長くはもたへんかもしれへんなあ……」
 「それは最初からわかってたさ。儲けるうちに儲けたら別のネタを探すよ」

 王都から戻ってきたセリーナはニマニマと上品な唇を笑み崩れさせていた。
 想像以上にバルドから託された砂糖が高値で取引されたからである。
 おかげでサバラン商会の株も大いにあがった。砂糖のような貴族ご用達の嗜好品を扱える商人は数少ないからだ。
 コルネリアス領という、王国では辺境に位置するこの商会がなぜ砂糖を取引できるのか、王都の商業ギルドでは各商会が調査の手を伸ばしはじめていた。

 「用地の買収は済んどるで?土地が痩せて放置されてるところを10haばかり」
 「おいおい、5haって多過ぎだろ………」

 ずいぶんと張り込んでくれたものだ。バルドの予定では知り合いの伝手を辿って1haか始めるつもりであったのに………。
 5haといえばおよそ東京ドーム一個分の広さである。
 比較的土地余り気味なコルネリアス領でもやはり破格の広さと言っていい。

 「まあ、うちなりの先行投資って奴やな」

 ここでセリーナは手持ちの資金を投入することに躊躇しなかった。
 商いは金の蓄積だけではなくと投資による資本の拡大がなければならないことを、有能な商人であるセリーナは十分によく承知していた。
 もとより実質的な運用はバルドではなくセリーナがしなければならないのだから、この手の役得はあってしかるべきだとセリーナは当然のように考えていた。
 なんといってもこの博打に賭けるのはセリーナの信用と身代なのだから。

 「…………それで?投資の見返りはいくらなの?」
 
 投資資金で雲泥の差がある以上、収益の大半をセリーナが握ることになるのはやむを得ないことであるし、この際セリーナのサバラン商会に御用商人が務まるほどの地力と風評を獲得してもらいたいとバルドは考えていたが、事業計画の発案者としてただでセリーナに儲けさせてやる必要をバルドは感じなかった。
 お金と言うものは一銭でも多いほうがよいものなのである。

 「儲けの3割でどうや?」
 「まあ、資金リスクを負担していない以上そのあたりが妥当かな?プラス耳モフり権を付けてくれればいうことないけど」
 「だ、だめや!あれは特別やったんやから!!」

 途端に顔を赤らめセリーナは警戒にピンととがった犬耳を押さえた。
 ブンブンと盛大に揺れる尻尾は、無意識に撫でられたいというセリーナの欲求を代弁しているのかもしれなかったが。

 「あんまり会頭をいじめますと本気で娶ってもらうことになりますよ?」 
 「すいません。失言でした」

 ロロナの冷静な叱責にバルドは脊髄反射的に謝罪する。
 彼女がまったく冗談を言わない性質であることは、この2年の付き合いで承知していたからだ。
 あまりに躊躇なく謝罪したことでセリーナがちょっとムッとした表情をしているが、まだ9歳の少年に人生の墓場を想像させるとか、絶対に無理なので諦めてほしい。


 「それで出来る限り安く地金を仕入れてきましたが、これでいったい何をなさるおつもりなのですか?」

 金地金は加工されていない金のインゴットのことである。
 加工という付加価値がついていないので金貨や金細工に比べるとまだ安く購入することができる。とはいえ金貨が金との兌換を保障しているように金はこの世界でも重要な換金物でありそれほど安く手に入るものではないのだった。

 「古くなって捨て値みたいな金細工も買っておいたで。まさか普通に金細工を作るわけじゃあらへんよな?」

 美しい金細工は確かに莫大な値段がつくものが少なくない。
 しかしそれはあくまでも購入対象である富裕貴族という顧客、芸術性に富む腕のいい細工職人、そして商品に信用を与えるだけの商会の格という3つの要素があって初めて成り立つものだ。
 いかにバルドが物珍しい金細工を作ったとしても、それだけでは全く売れずに終わるであろう。価格が安ければ欲しがるものはそれこそ星の数ほどいるだろうが、それでは今度はとても採算が取れない。
 ―――――そんな馬鹿な真似をバルドがするとも思えなかったが。

 「細工は作るよ?ちょっとセリーナの考えるものとは違うだけで」
 「ええっ?」

 内心でバルドを信用しすぎたか、とセリーナは焦る。
 もっともロロナに言わせればとうの昔にセリーナはバルドを信用しすぎなのだが。
 しかしいかにも楽しそうにバルドの目が笑っていることに気づいたセリーナは自分が遊ばれていたことに気づいて美しく整った眉をひそめて頬を膨らませた。

 「いけずさんやなあ、バルドは。こんな可愛い子からかって楽しいんか?」
 「いつもは澄ましているセリーナが慌ててるところを見るととっても楽しいよ?」 
 「ううっ……やっぱりいけずさんや………」

 「…………断っておきますが、うちの会頭がもうお嫁にいけないと判断しましたら万難を排して娶っていただきますので」
 「怖っ!ロロナさん怖っっっ!!」


 いかん、こんな楽しいのにこれからはセリーナをからかうのも人生いのち賭けか……。
 ロロナの無言のプレッシャーにバルドは棒を呑み込んだように背筋を緊張させるのだった。

 「あうあう…………」

 相変わらずセリーナは顔を赤らめて悶えている。
 その気になれば王侯を相手にしても毅然と取引をこなすセリーナだが、この初さはいったい誰に似たものか……。
 (普段は初なくせにいざとなると驚異的な行動力……間違いなく旦那様の血ですけどね……)
 すると肝心な時にポカをやらかしそうで怖い。部下として気をつけねばなるまいとロロナは内心で深くうなづいていた。
 気まずい沈黙の空気が流れる。
 咳払いをしつつ気を取り直したバルドは用意していたひとつの髪飾りをとりだした。



 「………これはサンプルとして工房で作ってもらったものなんだけど……」


 セリーナの目にもなかなか見事な意匠の髪飾りである。
 大輪のアネモネをあしらったそれ自体は平凡な印象だが、アネモネに吸い寄せられるようにやってきたらしいミツバチが素晴らしいアクセントになっている。
 その精巧な造りはよほど腕の良い職人が精魂をこめたことを窺わせた。
 しかしそれ以上に驚くべきことは、この首飾りが金で造られていたということだった。

 「こないな細工………いったいいくらしたんや?」

 ゴクリとセリーナが喉を鳴らして問いかける。
 滅多に表情を変えないロロナもこれには目を見開いて声を失っていた。カメラがあれば永久保存しておきたい貴重な瞬間である。
 しかしその反応はむしろ当然であろう。
 繊細かつ優美なその造形と紛うことなき黄金の輝きはセリーナの見るところ金貨100枚以上の価値があるかのように思われる。
 いや、好事家の貴族なら200枚以上出すかもしれない。
 コルネリアス領のような辺境では滅多にお目にかかれない高級品である。

 「半金貨もかかってないよ?」
 「なんやてっ?」

 いやいやそれはありえない。
 材料費だけを考えても金貨10枚を下ることはないはずだ。
 セリーナともあろうものが思わずバルドの正気さえ疑ってしまうほど、その金額は常識を外れていた。

 「これメッキだからね」
 「…………メッキ?」
 「うん、金メッキ。金は表層だけで中身は青銅なの」
 「そやかていくらなんでも半金貨はあらへんで!?」


 現在王国で一般的に行われているメッキ法は金を水銀で溶かし、塗布したあとで火であぶり水銀を蒸発させて金を残す方法である。
 金の使用料を減らす利点があるが、非常に手間暇と熟練の技術を必要とするため金額はそのまま金を使用した場合とさして変わらないという正直メリットの少ない技法であった。
 セリーナも商人でなければ知ることもなかったであろうマイナーな技術である。
 メッキならば確かに金の使用料は半金貨にも及ばないであろうが、それに要した労力を考えれば到底納得のできない金額というしかない。

 「ところが誰でも簡単に出来ちゃうんだなあ、これが」

 期待に満ちた表情でセリーナを眺めつつ、バルドは爆弾を投下する。

 「「えええええええええええええ!」」

 期待にたがわず百戦錬磨の二人の美女は驚愕を張りつけたレアな表情をバルドの前に晒したのだった。





 その後恥ずかしそうに表情を取り繕った二人は新たなメッキ細工という販路の構築のために慌ただしく商会へと引きかえしていった。
 ただでさえビートによる砂糖の量産のための人手の手配、倉庫などの保管と流通回りの整備などやるべきことは目白押しなのにここにきて降ってわいたようなメッキ細工の話である。
 しかし二人の商人としての勘はこのチャンスを決して逃がすべきではないと告げている。なぜならメッキ細工という商材はこれまで嗜好品が浸透できなかった中級貴族から富裕な平民という市場を切り開く可能性があるからだ。
 そしてそれは有力ではあるが所詮行商人あがりであったサバラン商会に喉から手が出るほど欲しかった格を与えることになる。
 いかに苦しい舵取りが求められようとここで商魂を燃やさぬならそれはもはや商人ではない。
 (…………やはり無理やりにでも会頭を娶っていただくべきでしたでしょうか……)

 腹心がそんな腹黒いことを考えているなどとは露にも思わずセリーナは野心に燃えて叫んでいた。

 「よっしゃ、やるでええ!見ててや!おとん、おかん!」

 コルネリアス領どころか王国でも指折りの大商会になることさえ夢ではない。
 ――――――将来的に自分の身分と言うものに敏感にならざるをえない乙女は、どこまでもしたたかな商人の血をひいていた。





 バルドがメッキ細工を委託していた工房は街外れのビート畑から10分ほど歩いた場所にある。
 ゴート工房と不器用な字ででかでかと大書された看板はこじんまりとした工房に不思議とよく似合っていた。零細ながらもよい仕事をする腕利き職人というゴートの評判に相応しいと言えるかもしれない。

 「親方、案配はどうだい?」
 「おおっ若殿ですか。まあようやく20ほどというところですな」
 「若殿はいいってのに………」

 なんというか馬鹿殿に語呂が似ていて居心地が悪い。
 最初は坊主、とか、えらく押し出しの強そうな風貌の親方だったのだが、メッキの方法を伝授したら固く敬語を崩さなくなった。
 どうやら職人の世界の掟に触れるものがあったらしい。
 ゴートは仕立屋を営んでいるテュロスの実家から独立した次男坊で、まだ33歳の若さである。この年齢で親方を張っているのは伊達ではなく、端整で個性ある細工を制作することで地元では有名な人物だった。
 小道具屋でゴートの細工を見たときからバルドはひそかにその素性をたぐり、テュロスの縁者であることを知って紹介を求めていたのである。
 依頼に訪れたバルドにゴートは鼻で笑って一喝したものである。

 「いいか?坊主。俺は自分が造りたいものしか造らねえ!」
 「親方に無理強いをするつもりはありません。まずはこれを見てくれませんか?」
 
 ゴートは好奇心の強い職人であることをバルドはテュロスに聞いて知っていた。
 普通であればまだ徒弟の一人である年齢のゴートがこうして独立して自前の店を持つにいたったのは飽くなき好奇心と向上心が保守的な師匠と衝突してしまったからだ。
 無言の同意を得たと判断したバルドはゴートの目の前に30cmほどの壺を並べはじめた。

 「なんだ?これは…………」
 「まあ、ある技術のための動力と言いますか……」
 「動力?」

 ゴートは不可思議そうに首をかしげた。この世界で動力といえば水車や風車が主であり稀に魔道具を使用した機関が存在するくらいである。こんな小さな壺がいったいなんの動力になるのか想像もつかない。

 「それでこの電極を繋いでですね………」

 タライに酸性の液体を注ぎ、電極代わりの銅筒を下す。
 そしてプレゼントにもらった金製のボタンをつぶして作った小さな金板を黒色で塗った銅筒に繋げた。

 「おいおい、坊主、いったいどこから金なんか持ってきやがった?」

 職人としてゴート自身も加工用の金は所有しているが、量は少ないとはいえ金はこんな小さな子供が出してよいものではない。このときになって不覚にも初めてゴートはバルドが平民にしては仕立てのよい服と靴を身につけていることに気づいた。

 (…………まさか貴族?いや、そうすると貴族がわざわざうちの工房で腕を見せてくれる理由がわからねえ………)

 「それでこの親方の細工を………」
 「おいっ!そりゃメッシナのところに卸した俺の細工じゃねえか!」
 「本当にいい作品ですよね。僕のイメージにピッタリですよ」

 大輪のアネモネとその花弁に戯れる可愛らしい蜜蜂。だがいかんせん彩色が悪かった。
 それはやむを得ないところだろう。ゴートは細工師であった絵描きではないのだ。
 しばしば突出した才能の持ち主は別の才能を失っていると言われるが、どうもゴートには色彩センスというものが欠けているようであった。

 「このまましばらく待ちます」
 「…………いったい何だ?こりゃあ………どうして泡が………しかも熱いだと?」

 ゴートの常識を根底から覆すような光景に目を剥いてゴートは固まった。
 魔法で細工をする風変わりな細工師が王都にいると聞いたことがあるが、バルドが使っているのは魔法ではないのは素人であるゴートにもわかる。
 だが手を触れず火も使わず、この少年は何をしようとしているのか。
 ――――――面白い。これほどに胸が躍るのはいつ以来のことか?


 バルドが用意した壺は原始的な電池である。
 これがバグダットの電池としてオーパーツ扱いされていることを雅晴はTVの放送で知っていた。
 構造は単純で陶製の壺に銅を丸めた筒に鉄の棒が入っていて、その中に電解液が満たされている。
 科学文明のないこの世界でも苦労もなく作れるもので、実のところ古代エジプト文明のころにはすでに電気があったと都市伝説的に語られていたのを見て、思わず厨二心をくすぐられたので覚えていたのは秘密だ。
 ドイツの科学者が行った実験ではこの壺型の電池は2ボルトの電源を安定して供給したという。電気さえあれば電気式のメッキは容易くエジプトで発見された金メッキの首飾りはこの方式で作られた可能性があるらしい。。
 実際に雅晴として生きていた当時、愛車のバイクのボルトでメッキの実験に成功したことがある。
 そのときは乾電池を使用していたが、原理的には同じものであるからバルドは特に気負うことなく出来栄えを楽しみに待つことができた。
 待つことおよそ30分ほど。
 固唾をのんで見守るゴートの前に苦心の細工が引き上げられた。


 「って、なんじゃこりゃああああああああ!!」

 ゴートが驚くのも無理はない。
 眩い金だけが持つ魔性の光沢に、けばけばしい原色の装飾に品を落とされていた大輪のアネモネが彩られ、燦然たる黄金の輝きを放っていたのである。

 「これ、作って見ませんか?」

 ゴートはコクコクと壊れた首振り人形のように声を失ってひたすら頷き続けた。
 以来、ゴートはバルドに対して敬語と丁重な態度を崩したことはない。
 自分の作りたいものだけを作るとは言いながら、いまだ満足のいくものを作り上げられなかったゴートにとってバルドは救世主に等しい存在であったからだ。


 「これ、金地金です」
 「こんなにいいんですか?」
 「作品の点数によっては追加も調達するよ」

 ありがたそうに金を押しいただくゴートに、バルドは別れたばかりのセリーナの反応を思い出しながら答えた。こちらが要請すればまず間違いなく金を投資してくれるだろう。

 「へへっ細工師冥利に尽きますな」

 嬉しそうに鼻をこすってゴートは出来上がりつつあるいくつかの作品を指差した。

 「今月中に20ほどは用意して見せます」
 「うん、十分だよ」

 庶民向けに量産するわけではないから、今はまだそれほどの量は必要はない。
 それにしてもこれが売れれば本気で金貨の――――――。

 バルドの子供部屋………といっても12畳分を超える広さがあるが……を数千枚の金貨で敷き詰めて、遂にあの野望が実現する可能性が出てきた。
 その光景を夢想してバルドは涎がこぼれそうなほどに笑み崩れる。
 もしもそれが本当に可能になったとき、バルドは自分が自重できるか自信が持てなくなりつつあった。

 (…………き、金貨………俺の金貨―――――!!)


 最近のバルドは大切な何かを私に隠している。
 そう思っただけで胸に寂しい木枯らしが吹き荒れるような錯覚をセイルーンは覚える。
 それは主人に仕える侍女という立場だけでは決して説明のつかぬものであることにセイルーンは気づいていた。
 この数年でバルドは驚くほど変わった。
 初めて出会ったころは情緒不安定で、コミュニケーションもろくにとれないお子様だった。
 しかし今は下手をすれば父親の伯爵よりも堂々として、母マゴットでさえ手こずるほどに武芸の腕をあげている。先日の夜会の評判も上々で、今後あちこちの貴族から縁談が舞い込む優良物件となったのは間違いなかった。
 それに引き換え自分はどうだろう。
 5年前から伸ばし続けて腰まで届きそうになった茶金の髪をセイルーンは指で弄ぶ。
 バルドは可愛いと言ってくれるが、奥方のマゴットや侍女長のエマに比べるとやはり平凡な容姿でしかないのでは、と考えてしまう自分がいた。
 
 セイルーンの父は代々コルネリアス家に仕える直臣で、現在ホーエン砦の守備長を任されるほど伯爵の信頼厚い騎士である。
 話に聞いたところによれば父と伯爵は、自分たちと同じように子供のころ幼なじみとして育てられたらしく、将来のために気の置けない友人がいることはとても大切なことだと言っていた。
 しかし父と伯爵とでは決定的な違いが私たちにはある。
 すなわち、バルドが男で私が女であるということだ。
 成長してもうじき12歳の誕生日を迎えるセイルーンが、こんなことを意識しなくてはならないのは年上の同僚マチルダがしきりにからかってくることに原因があった。
 


 「それでどうなの?若様とはうまくやれそう?」
 「…………なんだか貴女の言葉を聞いているととても不純なものに聞こえるのだけれど」
 「またまたそんな清純ぶって………そろそろセイルーンも女の身体になってきたし若様も早熟そうだから進展でもあるんじゃないの?」
 「なっっ?」

 セイルーンは首まで真っ赤に染めて赤面した。
 同時にマチルダの視線がこのところようやく膨らんできてくれた胸やお尻を行ったり来たりしていることに気づいて、セイルーンは両手で自分を抱き締めるようにして胸部を隠した。
 他の貴族家はわからないが、コルネリアス家は女性に対し非常に紳士的でこのようないやらしい視線を受けることにセイルーンは免疫がないのである。

 「う~~~ん、やっぱりセイルーンには早いかもね?」
 「坊っちゃまはそんな不純な目で私を見たりしません!」
 「今はそうかもしれないわ。でも明日は?来年は?いつまで若様は異性として貴女を認識しないと思う?お屋形様の息子だもの。すぐに大人の男になるわよ!」
 「ううっっ!」

 イグニスを例に出されるとセイルーンも思わず言葉につまる。
 マゴットと結婚する前はイグニスは美麗な独身伯爵として数々の浮名を流していたからである。
 今では浮気など想像することすらできないだろうが(物理的に)。
 その息子であるバルドが成長に従って複数の女性に手を出す可能性はむしろ高いのかもしれなかった。

 「だいたい貴女、普通に考えたらあからさまな側室候補じゃないの。うらやましいわ………私だってあと3年若ければねえ……もしかしたら若様のお相手に選ばれたかもしれないのに……」

 「えええええええええっ??」

 側室?私が側室?幼なじみじゃないの?姉代わりじゃないの?だって坊っちゃまだって私のことセイ姉、セイ姉って…………。

 「―――――ええ?貴女もしかしてわかってなかった?お隣のフラゴール家もダッカ家も幼なじみを側室に迎えて妾の調整役にしているじゃないの。気心の知れた幼なじみに内向きの管理を任せるなんて貴族の常套手段よ」

 「そ、そんな…………私…………」

 青天の霹靂のマチルダの言葉にセイルーンは頭が真っ白になって言葉を続けることが出来なかった。バルドを夫として見る自分がまず想像できなかった。

 「お屋形様は優しいから無理強いはしないだろうけどね………親たちは期待してると思うよ。こんなおいしい話一生に一度あるかないかだろうからね」

 そうかしら?お父さんもお母さんも何も言ってくれなかったけれど………。

 実際のところセイルーン父親のセロは娘を側室に差し出そうなどとは露ほども考えていなかった。
 出世のために娘を差し出すのをよしとするような男ではない。
 だからといって嫡男のバルドに見染められたとすれば、心から喜ぶのが親心というものであろう。もっとも母のリセラは心のどこかで期待する部分もあったのだが……。 
 いずれにしろ父も母も娘が嫌がる結婚を押しつける心算など微塵もなかったのだ。

 自分が側室になるかもしれない。
 そう考えただけでセイルーンはもうバルドをまともに見れる自信がなかった。
 これまで姉弟同然に甘え甘えられる関係だったのに、女としてバルドに求められたらそれにこたえる自信がなかったのである。



 「どうしたのセイ姉?」 
 「うひゃああああっっ!」

 色気のない悲鳴をあげてセイルーンはのけぞった。
 いつの間にか屋敷に戻っていたバルドが心配そうにセイルーンの顔を覗きこんでいた。

 「近い!坊っちゃま!顔近いです!」
 「ご、ごめん。まさかそんなびっくりするとは思わなくて」

 不意打ちのようにバルドのイグニス譲りの秀麗な顔を直視してしまったセイルーンは、張り裂けそうに高鳴る鼓動を押さえて後ずさった。
 だめだ。やはりドキドキしすぎてバルドを見れない………。

 「今日はセイ姉に話したいことがあるんだ」
 「ええええっ!」

 脳内を桃色の何かに侵されているセイルーンはもしかして告白?とパニックになりながらも期待に満ちた視線を向ける。

 「この間から街でセイ姉に内緒でやっていたことなんだけど………」

 あれ?期待してたのとなんか違う………。
 よくよく見ればバルドはしごく真面目な表情でセイルーンを見つめている。
 まだ小さいセイルーンにもそれが恋の熱に浮かされた表情でないことは見て取れた。
 そう考えたら先ほどからの自分のうろたえぶりが恥ずかしくてセイルーンは内心で悶えた。
 
 (マチルダの馬鹿が変なこと言うから………)

 そんなセイルーンの葛藤をバルドが知るよしもない。
 何か変だとは思ったが、そこはごく自然に隠し事をしていたからだと子供らしくバルドはそう受け取っていた。

 「実は少し前から街の子供たちを仲間にしてとある芋を栽培してるんだ。まあ、その芋は砂糖の原料になるんだけど………」
 「はあ?芋が砂糖に!?」

 つい今まで羞恥で頭が沸きそうだったのも忘れてセイルーンは絶叫した。
 南方の産物である砂糖がコルネリアス領で産出するなど聞いたこともないからだ。
 これがバルドでなければ頭がおかしいのではないかと本気で疑っただろう。

 「セイ姉は僕の中に別人の記憶があるのを知ってるよね?」
 
 セイルーンは無言でうなづく。
 まさにそのためにこそセイルーンは侍女として選ばれたのである。
 初めて会ったことのバルドは突然聞いたことのない言葉を話したかと思うと、おもちゃに興味を惹かれると同時に年齢相応の少年に戻るというような情緒不安定な少年だった。
 そのなかでどうやらセイルーンより年上らしい二人の人格がバルドを混乱させている原因らしいということにセイルーンは気づいた。
 そのことに気づいたときから、セイルーンはこの二人が嫌いになった。
 幼いバルドの自我を守るために、バルド自身の幼さを肯定するために、セイルーンは1年ほど前まで寝食どころかお風呂までともにしていた。
 余計なことを思い出してしまってセイルーンの耳が赤く染まるが、そのことには気づかずにバルドは続けた。

 「その記憶を利用してこの領内のためにいろいろと試してみたいと思ってるんだ。父さんには小遣いの中でなら好きにしていいって言われてるし」

 これはバルドの勝手な強弁である。
 確かにイグニスは小遣いは好きに使えと言ったが、まさかその金で息子が新たな産業を育成しようとしているとは普通の親は考えない。

 「どうして今まで黙ってたの?」
 「…………ごめん、やっぱり僕みたいな子供が言っても笑われちゃう気がしてさ。何となくセイ姉に笑われるのってショックだし」

 本当はセイルーンの口から計画の全貌が父にばれるのを恐れたからだが、セイルーンに馬鹿にされたくなかったというのも嘘ではない。
 なんだかんだ言ってもセイルーンはバルドにとって最も身近で気になる異性であるからだ。
 
 (それに父さんには利益をコルネリアス領で独占するという感覚がないからな……)

 公明正大で強力無比な武人であるイグニスだが、経済官僚としては落第点しかあげられない。武人として王国の守りを任されているからだろうか、他の領を損させてでもコルネリアス領を富ませるという毒が決定的に不足しているのである。
 鷹揚に共存共栄を図るだけではいつまでたってもコルネリアス領の軍事貧乏体質は改善しない。

 「でもようやく軌道に乗りそうなんだ。芋を育てること自体はそれほど難しいことじゃないし、幸い販路もセリーナがなんとかしてくれそうだからね」

 「――――――セリーナって誰?」

 自分の知らない女の名前をバルドから聞かされることがこんなに不快なものであることをセイルーンは初めて知った。
 低くうなるようなセイルーンの声にバルドは甲高い警報音を幻聴したが、その理由までは推察することが出来なかった。

 「サバラン商会の会頭で2年前に知り合って仲良くしてもらってるんだけど………」
 「ふ~~~ん……いくつ?綺麗なの?」
 「確か今年で18歳になったはずだよ?そりゃもうすっごく綺麗なんだけど、なんといってもあの毛並みのいい犬耳が最高で………」

 そこまで言いかけてバルドはセイルーンが能面のように無表情になっていることに気づいた。セイルーンとともに暮らした3年間で一度も見たことのない表情だった。

 (………そう………私がこんなにやきもきしている間に坊っちゃまは他の女とよろしくやっていたというのね?)

 「話してくれてうれしいわ。これからはこんな隠し事はしないでなんでも教えてちょうだい」
 「う、うん………わかった。これからはセイ姉に協力してもらうことが増えると思うから」
 「そう、頼りにしておいて」

 なぜだろう。うまく説得できたはずなのにいやな予感しかしないのは。
 これまで知らなかった姉代わりの新たな一面にバルドは戸惑いを隠せなかった。
 遠くない未来にバルドはその予感が間違っていなかったことを知ることになる。

 (側室うんぬんはともかく………坊っちゃまに虫がつかないよう見張る必要があるわ。どうやら早急に)

 この胸のもやもやが果して恋愛感情であるのかセイルーンにはまだ答えを出すことはできないが、少なくとも見ず知らずの女をこれ以上バルドに近づける気は毛頭なかった。
 バルドの期待を裏切らず、金メッキの細工は飛ぶように売れた。
 本物の金細工となれば王国の大貴族や、そうでなければ中小貴族が結婚式などに一生に数度買うことしかできないほどに高価なものだ。
 しかしそれが十分の一以下の金額となれば見栄のためにも妻や娘に着飾らせてやりたいというのは人情である。
 たちまち貴族たちの間で流通し始めた金細工だが、その深みのありながら派手すぎない繊細な意匠が評判となり、大貴族の間でも欲しがるものが出始めた。

 「数を出せば稀少価値が下がる。親方のペースでゆっくり作ってもらって構わないよ?」
 「助かりやす。仕事の出来にゃ手を抜けない性質なもので」

 ゴートの表情はようやく満足のいく作品を造り出せる悦びに溢れていた。
 突如市中に流通するも、その流通量は需要に対してあまりにも少ない「ゴートコレクション」、その卸元であるサバラン商会には謎の細工師ゴートに対して発注を求めようとする商人からの照会が相次いでいたが、サバラン商会会頭セリーナはその要求を頑として拒否した。
 
 「おとといおいで」

 素直に紹介などすれば連中が多額の礼金を積んでゴートを引き抜こうという魂胆は見え見えである。それどころか誘拐すらありうるかもしれない。
 だが商品価値のもっとも重要な部分を占めるメッキのシステムはバルドの秘匿技術であり、ゴートはこの情報を外部に漏らさないことを鍛冶神マノスに誓っていた。
 それでもゴートの正体を求める声は絶えなかったが、彼らが様々な伝手を辿ろうとも金細工師ゴートなる人物は王国のどこにも存在しなかった。
 他愛のない民芸品を扱う、無名の職人ならいたのだが。

 「バルドが教えてくれた新商品も売れ行きは好調やし………笑いが止まらんでえ……」

 たった半年ほどの間にサバラン商会が手にした金額は巨額としか言いようのないものだ。
 その取引額は王都の大商会には及ばぬものの地方商会のレベルを完全に超えていた。
 しかもそれはまだまだ成長し始めたばかりなのである。
 この先どこまで商会が成長するか想像しただけでも空恐ろしい思いがする。
 唯一誤算があるとすれば―――――――。

 「失礼いたします。会頭様」

 ちょこんと頭を下げる茶金の髪の美少女。
 その隣にいつもいるはずの少年の姿はない。

 「バルドはどないしたん?」
 「坊っちゃまは現場の監督でお忙しくていらっしゃいますから」
 (うそつけっ!自分が止めてんのやろが!)

 と叫びたいのをぐっとこらえてセリーナはにこやかに微笑んだ。
 初めて出会ったときから理性ではなく本能が理解していた。
 この女は敵である、と―――――。



 時は半年ほど前に遡る。
 セイルーンを味方に引きずり込んだバルドは今後の連絡役としてセイルーンを連れてサバラン商会を訪れた。
 なぜかそのとき、セイルーンが非常にいい笑顔をしていたことを付け加えておく。
 
 「セリーナ、紹介するよ。僕の姉代わりでこれからいろいろと手伝ってもらうことになる侍女のセイルーン。仲良くしてやってね」
 「お初にお目にかかります。坊っちゃまともどもよろしくお付き合いくださいませ」

 挨拶の間に見え隠れするこちらを値踏みするようなセイルーンの視線にセリーナは彼女が自分の敵であることを確信した。

 「ずいぶんと可愛らしい姉代わりやな。こちらこそよろしゅう」
 「こちらこそ、さすがは商会の会頭らしい貫禄ぶり、バルド様がお頼りになられるのも納得ですわ」

 (意訳)
 「まだまだ子供やないか。うちの邪魔するんやないで?」
 「冗談顔だけにして。年増の出る幕じゃないのよ?」

 二人ともニコニコと愛想よく笑っているのに、バルドは背中に氷柱を入れられたような寒気を抑えることが出来なかったという。
 セイルーンとセリーナはお互いの戦力を冷静に分析していた。
 なんといっても女性としての成熟度ではセリーナに軍配があがる。くびれたウェストや豊かに実った胸の果実でセイルーンが追いつくのは容易なことではない。
 それでなくともセイルーンは同年の友人と比べて肉づきの悪いところがある。そうしたスレンダーな部分に魅力を感じる殿方もいると聞くが肝心のバルドがそれに当てはまるかは未知数であった。
 容姿もセリーナが万人が認めるであろう典型的な美女であるのに対して、セイルーンはどこかしら平凡さが残った可愛い系の美少女である。年齢を経て化ける可能性のないではないが、自分にそれほど飛び抜けたものがないことはセイルーンは十分によく承知していた。
 対するセリーナも心穏やかではいられない。
 何といってもセイルーンの子供のころから一緒に過ごしてきたという親密さは脅威だ。
 敵でなければなんとしても協力者に引きこみたいほどである。 
 それに何といっても年齢が近いというのは大きなハンデであった。
 セリーナとバルドの年齢差は実に9歳、バルドが20歳になったとき自分は29歳になっているという事実である。
 2歳しか年齢差のないセイルーンはバルドが20歳のとき、女の盛りである22歳、この差を馬鹿にすることはセリーナには出来なかった。
 互いの優位と弱点を分析した結果、セリーナは勝負を急ぐことを決め、セイルーンは出来る限り決着を長引かせることを選択した。
 こうして連絡役としてセイルーンがセリーナのもとを訪れるのはそうした女の戦いの一環なのであった。


 「それで坊っちゃまからなのですが今度は石灰と火山灰を調達して欲しいと」
 「はあ?石灰はまだわからんでもないとして、火山灰ってなんや?」
 「なんでもローマン・コンクリートに挑戦するのだとか」

 相変わらず意味不明の言葉を前準備もなくぶつけてくる男だ、とセリーナは天を仰ぐ。
 同時にいったい今度は何をやらかしてくれるのか、という期待感がこみあげてくるのも事実だ。

 「来週の末までに馬車一台分用意したるわ。バルドにそう伝えたってや」
 「ありがとうございます。必ず申し伝えます」
 「これは貸し一つやで」
 「残念ですがそれは聞かなかったことに」

 くっ……このままやガードが固くてかなわんわ!

 「なら直接取り立てに行くことも考えんとな」 
 「わが身の全力をあげて阻止いたします」


 二人の女の戦いはこうしてその熱さを増していくのだが、同時に一人の男を助ける同士であるという立場を外さないのはさすがというほかあるまい。



 「気に入らん」

 吐き捨てるようにそう呟いたのはハウレリア王国でコルネリアス領と相対する東部の雄セルヴィー侯爵である。
 過日の戦役において最も大きな損害を出したのがこのセルヴィー侯爵家だった。
 イグニスとマゴットという化け物としか言いようのない二人を相手にして実に4倍以上という戦力を用意しながら敗退して、多大な損害を被ったばかりか王国内での面目も失った。
 当然復讐の準備には余念がなく、コルネリアス領での動向には常に敏感にならざるをえなかったのである。

 「戦だけが取り柄だった馬鹿が今さら治世に目覚めたとでもいうのか?」 
 「いえ、コルネリアス領の発展に伯爵が介在した様子はありません。すべてはサバラン商会という一介の小さな商会が突然力をつけ始めたのが発端です」
 「その商会、我が領に引き入れることは出来ぬか?」
 「…………かの商会の調達網が把握できません。おそらくは難しいかと………」

 サバラン商会の現在の主力商品は砂糖である。これがサトウキビから精製されたものではないという評判で、実際に風味が異なるのだが、その製法は依然として謎のままであった。
 どうやら領内で栽培されている芋がその原料らしいのだが、何の芋なのか、それをどう精製するのかすべては謎に包まれていたのである。
 さらに近年ハウレリア王国でも評判となったゴート製の金細工、大貴族しか持てないと思われた豪華な金細工がわずか金貨10枚程度で手に入るとあって欲しがるものが後を絶たないという。
 残念なことにひと月に十数点しか販売しないため、手に入れたもののなかには五倍以上の値段で転売するものすらいるほどだ。
 近頃はマヨネーズなる調味料まで開発したと聞く。
 このままコルネリアス領が発展すれば、ただえさえ厄介な相手に経済的裏付けまで与えてしまう。いや、場合によっては逆にこちらが侵攻されるということも……。

 「このままコルネリアス領が発展しては我が悲願の達成は難しい………全く忌々しい軍人崩れが!」

 もともとコルネリアス家は戦場での功績で成り上がった軍人の家系である。
 代々優秀な軍人を輩出したことで男爵から出世を続け、ついに国境の要、コルネリアス伯爵領を任せられるにいたった。
 このコルネリアス伯爵領だが、王都への最短距離であるのみならず背後に穀倉地帯を抱え、さらにコルネリアス領を突破すれば王都まで目立った防御施設が存在しないために幾度にもわたって攻撃の対象となっていた。
 これが北部や南部であればモルガン山脈やトレド川が天然の大きな障壁となっている。
 また公爵家や侯爵家などの比較的動員兵力の大きい貴族が壁となっており、自然とハウレリア王国の攻撃の目はコルネリアス家に向いてしまうのだった。
 経済的に困窮しているコルネリアス家は動員兵力も少ないため、王都からの援軍が到着するまえに陥とすことが出来るかが、もっとも重要なポイントであったのだがその前提条件が覆るとすればそれはハウレリア王国の戦略方針すら揺るがしかねなかった。

 「手段は選ばん。なんとしてもからくりを掴め。場合によっては強硬手段も構わぬ」
 「御意」

 長年侯爵の腹心を務めるドルンはうやうやしく頭を下げてその命を受けた。
 彼にとってもこのところのコルネリアス領の発展は予想の領域を超えている。
 間違いなく情報にない何らかの異分子の存在があるはずだった。
 その存在をつきとめずして有効な対策を講じることは不可能だろう。

 「………やはり裏を覗くほかはないか」

 非合法な強行偵察。
 そのために政治的リスクを背負うことになろうとも、ここで座してコルネリアス領の発展を見過ごすという選択肢はセルヴィー侯爵家にはないのだ。

 風変わりな傭兵がコルネリアス領を訪れたのはつい先日のことであった。
 真っ赤な赤毛に金の瞳をもった身の丈6尺を超える女丈夫で、巨体すぎてなかなか思いつかないが、よく見れば美人と言えなくもない。聞けば今では伯爵夫人となったマゴットのかつての戦友であるという。

 「それでマゴットの姉御に取り次いでもらいたいんだけどね」
 「口の聞き方に気をつけよ。伯爵夫人に対して無礼であるぞ!」
 「姉御がそんなこと気にするわきゃないんだがねぇ」

 折り悪くマゴットは巡察に出ていたうえ、門番はコルネリアス家の譜代で、マゴットの砕けた態度が正直なところ気に入らない男だった。
 もっともそうでなくとも女傭兵の態度は伯爵家を訪問する態度の一線を超えたものであることもまた事実であった。

 「奥方様は明後日にはお戻りになられるだろう。出直してくるがいい!」
 「ああ、そうかい。それじゃ姉御にはロンデルのジルコが訪ねてきたと伝えてくんな」

 そしてその女傭兵は来た時と変わらぬ飄々とした様子で街に向かって歩いていった。


 「あたしもちょいと早まったかねえ」

 城下の「火の仔馬亭」で麦酒をジルコは自棄酒気味に立て続けにあおった。
 生ぬるいがほどよく熟成された麦の風味が喉を滑り落ちていく。

 「プハーッ!」

 ジルコの飲みっぷりに仔馬亭の主人は感心したように笑顔で声をかける。

 「お客さん強そうだねえ」
 「これくらいの酒で酔ってちゃ傭兵なんざやってられんさ」
 「へえ……お客さん……傭兵かい?」 
 「今は稼ぎどころもない無職だがね………おっと、こうみえてもそれなりに貯えはあるから心配しなさんな」

 ジルコに限らずハウレリア王国とマウリシア王国の戦役が終息したのちに働き場を失った傭兵は多い。
 戦役が終息したとはいえ、国境での小競り合いや野盗化した兵士たちからの護衛などの仕事はあったものの、講和から10年近くが経過した今、傭兵の残された戦場は少なかった。
 大陸の南には内乱の続くトリストヴィー公国や北方のノルトランド帝国とガルトレイク王国の間で関係が悪化しているという情報もあるが、大陸中部の温和な気候と産物に慣れた身には、よほど高給でもないと食指をそそられないのも確かであった。
 かといって喰うためには働かなければならず、なかには自身が野盗に身を落とした仲間もいたが、ジルコはそこまで自分を安くするつもりはない。
 そこでどうするか、という話なのだが、ジルコは以前同じ兵団に所属していたマゴットに仕事を斡旋してもらうつもりでいた。
 都合のいい話を自分でも思わなくもないが、ジルコの勘がコルネリアス領で面白そうなことが起こることを予感していたのである。

 (姉御ならあたしと同じものを感じているか、と思ったんだけどね……)

 言うなれば戦の気配を感じ取る戦士の予感である。
 ジルコの勘は、このコルネリアス領が再び戦火に侵されることを予感していたのだ。
 とはいえ根拠も何もなく、しかも決してこうした予感が百発百中ではないこともジルコは十分承知していた。往々にして人間と言う動物は自らの欲望を予感という形で信じやすい動物であるからである。

 (もしかしたら姉御には会わずにおいて正解なのかもな………)

 かつて憧れた名うての女傭兵、銀光マゴットが本物の貴族の奥方になり下がった姿など想像したくもない。傭兵仲間の中には彼女の結婚を裏切りのように感じている者がいることをジルコは知っていた。
 ジルコは今でもまざまざと本物の銀の光のようになったマゴットの神技を覚えている。
 極限まで研ぎ澄まされた神速の槍技。瞬きほどの間に10人以上の首を刈り取る戦場の王者。そう、まさにあれは王者だった…………。
 そんな彼女が貴族に媚を売る姿など見たくもないのが本音である。
 もしかしたら懐かしい彼女にこれまで会わずにいたのも、無意識にそんな忌避が働いたのかもしれなかった。

 銀光マゴットの名は傭兵達の間で伝説的な色彩すら帯びて語り継がれている。
 彼女の銀髪が光の一筋になったと思った瞬間には敵が倒されていることからついた異名だった。 
 彼女の引退後も一線で戦い続けたジルコだが、それでもマゴットには勝てる気が全くしない。あれは人のまねのできる領域のものではないからだ。
 真昼に轟く雷鳴のように、戦場を駆けた銀の閃光をジルコは今でもまざまざと思いですことが出来る。
 それでいて王侯貴族よりも美しく、男を寄せ付けないマゴットにジルコたち女傭兵がどれほど熱い思いを寄せたことか。
 おそらくはマゴットが役者の道を歩んだとしても全国から大勢の固定客が押し寄せたことだろう。(宝塚的な意味で)

 「以前はマルグリットと名乗っていた。もうそんな名は捨てたがね」

 確か戦役が佳境にあったころ、幕舎で飲みながらマゴットがポツリとそんなことを呟いたことがあった。
 マゴットに憧れる一傭兵でしかなかったジルコにはその理由まで聞くことはできなかったが、同じ脛に傷を持つ身として彼女が一度かつての人生を捨てていることだけはわかった。
 
 ――――――いかんな、ここにいると姉御のことばかり頭に浮かんでしまう………。

 それでも考えることを止められないのはやはり自分があの人に惹かれているからなのだろう。そんな埒もないことを考えていたジルコを幼さを残した一人の少年の声が呼び起こした。

 「お姉さん、傭兵ですか?」



 ジルコに話かけてきたのはようやく10歳になるかならないかほどの少年だった。
 見事な銀髪に怜悧そうなマリンブルーの瞳の将来が楽しみな美少年である。
 だが決してその見かけどおりの人物ではないことを、ジルコの長年の戦場勘は感知した。

 「坊や………いったい何者だい?」
 「お初にお目にかかります。僕はバルド・コルネリアスと申します。当地領主の嫡男でもありますが」
 「うそだろう?坊やが姉御の息子かよ!」
 
 言われてみれば確かに母譲りの見事な銀髪である。
 むしろマゴットの息子だと思えば少年の佇まいの異様さは全てに納得がいくものだ。
 いつでも戦闘に移れる油断のない体重移動、そして戦闘を知っているものだけが放つことのできる殺気を秘めた覇気。
 貴族の少年がそれをまとっているのは異常だが、マゴットの息子であるならば何ほどの不思議もない。

 「驚いた……やっぱ姉御は姉御のままかよ」 
 「母をご存じで?」
 「まあ割と長く戦場で同じ釜の飯を食った仲さ」

 見れば見るほどおかしな少年であった。
 ただ鍛えられているだけではない。彼がすでに殺人を経験していることを傭兵であるジルコは敏感に感じ取っていた。
 だからといってマゴットのように天衣無縫な風来坊ではない。きちんと知性に裏打ちされた貴族の品格のようなものすら感じられる。
 これは恐ろしいサラブレッドが産まれたかもしれない。

 「もしかして母に会うために?」
 「ああ、生憎と留守だったがね」
 「母になんの用であったか伺ってもよろしいか?」
 「坊や、伯爵の令息があたしなんぞに敬語なんて使わなくていいんだぜ?」
 「ああ、小さいころからいろいろな師範に扱かれてきたせいか、自分より強い人には自然とこんな言葉使いに」

 照れくさそうにバルドは頭を掻く。
 基本的に武芸者は礼儀にうるさい人間が多いので癖になっている。
 あまり貴族の子息として褒められた癖ではないのはバルドも自覚しているのだ。
 もっとも母はそんなことを歯牙にもかけないだろうが。

 「姉御の血かねえ………ま、聞いているとは思うが今この国には傭兵の仕事がえらく少なくなってるのさ。ただ、ちょいとあたしの勘はここで何かあると睨んでるんでね」

 ジルコの話を聞いたバルドのマリンブルーの瞳がスッと細められるのをジルコは見逃さなかった。
 
 (やべえ!間違いなくこいつは姉御の息子だ!)

 次の瞬間にもバルドが斬りかかってくるのではないか、という埒もない緊張感をジルコはわずかに筋肉を緊張させるにとどめた。
 同時に本気で戦えばバルドが決して油断の出来ない雄敵であることを武人の勘が感じ取っていた。
 あの目、自分の生も相手の死も塵芥のように見切ったような、どこかこの世ならざるものを見つめているような目。
 まさかその目を今ここで見ることになろうとは。

 (冗談じゃない!こいつは死人だ。戦場で命を紙くず同然に見捨てられる男だ。姉御、あんた息子をなんてもんに育てやがった!)

 「――――なるほど、ジルコさんの勘はもしかしたら正しいかもしれません。実は今コルネリアス領は微妙な状況にあります」

 そのままバルドに気を呑まれそうになるのを、ジルコは必死に丹田に力を込めて押し返した。ジルコの言葉の何がバルドの琴線に触れたのか―――――間違いなくこの幼い少年は将来の戦火を呼ぶに足る何かを掴んでいるのだ。
 その推測がジルコには心底恐ろしかった。
 ジルコは戦場でどれほどの強敵を出会ってもこれほどの恐怖を感じたことはない。
 バルドから感じる恐怖はいわゆる未知なるものへの恐怖だ。
 しかもその母親の人外ぶりを熟知しているだけに性質が悪かった。


 「実は僕は用心棒を探して傭兵を訪ねていたのです。ジルコさん、貴女の予感が当たるか当たらないか、しばらく私のところで用心棒として働きながらお待ちいただけませんか?決して損はさせませんよ?」

 マゴットに仕事を紹介してもらおうと思っていたらその息子から勧誘が来た。
 ありがたい話ではあるがここで位負けしては名が廃る。
 ジルコは不敵に嗤って少年を睨みかえした。

 「突風のジルコ、安い値段だとは思わないことだね」

 戦がなければ傭兵はただのあぶれ者だ。
 本当に戦が近いのならば、それまで糊口をしのぐ程度の蓄えは十分にある。
 しかしバルドの誘いにはおそらく戦争の火種になりうる何かがあるはずだ、とジルコの勘が告げていた。
 是が非にも受けたい美味しい仕事なのだが、傭兵には傭兵の一分がある。
 子供の小遣い銭で使われてやるほどジルコはおひとよしではないつもりだった。

 「月に金貨3枚ではいかがでしょう?」
 「坊やはあたしの腕を知らないからねえ……5枚の値うちはあるつもりさ」
 「いいでしょう、では5枚で。その代わり信頼できる人間をあと数人紹介してください」
 「…………おいおい、本当にいいのかい?」

 ジルコはあまりに簡単に頷いたバルドに思わず聞きかえした。
 こう言ってはなんだがコルネリアスの財政状況は当時ここで戦った傭兵ならば誰でも知っている情報であったからだ。
 それに傭兵としてのジルコには確かに金貨5枚を払うだけの価値があるが、用心棒として短期雇用するのであれば金貨3枚ですら大目で、金貨2枚が妥当なはずであった。

 (――――――この坊や本当に大丈夫か?)

 天才的な軍事指揮官が、なぜか経済には全く無知で味方の足を引っ張ることが往々にして戦場ではある。バルドも武人としてはエリートでも領内の困窮をわからない坊っちゃんなのではないか、とジルコは疑ったのである。

 「問題ありません。その程度はポケットマネーで賄えますので。それと集める仲間は5人程度金貨3枚以内でお願いします。ジルコさんにはその隊長をお願いしますね」

 「あんた、あたしに何をさせようってんだい………」

 間違っても野盗などから身を守る全うな用心棒ではありえない。
 場合によっては傭兵働き以上に危険な任務を、この餓鬼は私に押し付けようとしている。
 だいたい5人も揃えれば月の払いは金貨20枚に達するのだ。
 どう間違っても貧乏伯爵家の長男ごときに払える金額ではありえなかった。

 「このところちょろちょろと覗きが増えてましてね。それも近々乱暴者が押し掛けてくるんじゃないかと思ってるんです」
 「金はその秘密から出るってわけかい?」
 「僕には秘密が多すぎるのでどれとか言えませんが、秘密を守ってくれると儲けやすくなるのは確かですね」

 (―――――ああ、こいつは姉御とは全く別のタイプだが、間違いなく化け物だ)
 
 異形な人間は確実に存在する。
 たとえ優しそうに、人の良さそうに、話しやすそうに見えても中身はまっとうな人間とは異なる人間である。
 おそらくバルドは仲間として信頼できるかもしれない、上司として信用できるかもしれないが根本的な部分で凡人の自分とは違う。
 戦場で幾人かの異形を見てきたジルコにはそれが理解できた。

 「おもしろい!」

 同時にかつて感じたことのない熱い昂りがジルコの全身を貫いた。
 傭兵は現実主義の徒であり、戦場に理想や幻想の入り込む余地はないが、戦うために金以外の理由が欲しい人種でもあった。
 いずれのたれ死にのくだらない人生であっても、戦いに命を賭けるために何らかの理由が欲しい。
 仲間のため、尊敬する指揮官のため、生まれ故郷のため、理由は数あれど傭兵たちはその理由によって戦場を選びそこに命を賭けるのである。
 面白いと思えることは戦場を選ぶに足る十分な理由であった。

 「大将はなかなか面白い目を見せてくれそうだ。せいぜい楽しませてもらうよ」

 言葉使いは変わらないが、坊やが大将になっているあたりジルコなりに気を使っているつもりらしい。
 まさか自分がマゴットの息子に雇われる日がこようとは―――――。
 人生はわからない、だからこそこれほどに面白いのだ!


 「ああっ!バルド様!」
 「お待ちしておりました!」

 バルドの姿をいち早く発見したマルゴとテュロスが、駆け足で視察に訪れたバルドのもとへ駆け寄ってきた。
 相変わらずその様子は主人にまとわりつく犬を想像させる。
 
 「その大きい女の人だあれ?」
 「これからこの畑を守ってくれる強-い兵隊さんさ」
 「女の人なのに強いなんてまるで奥方様みたいね!」

 マルゴは素直な尊敬の視線をジルコに向ける。
 こうした視線になれないのかジルコは恥ずかしそうに鼻をこすってバルドの袖を引いた。

 「おい、大将!あんた本気でこんな田舎畑の警備をあたしにさせる気か?」
 「まあ、おいおいわかるよ」

 バルドは楽しそうに、ジルコをまるで小動物をいじめて楽しむような目で見つめた。
 戦狂いでありながらあまり世間に擦れきっていないジルコが、どうやらバルドの琴線の触れてはいけないどこかに触れてしまったらしかった。

 「迷彩は進んでいるか?」
 「はい、すでに外縁部はクローバーを植え、さらに内部にもカブとジャガイモを混ぜて簡単には判断しづらいように作付しております」
 「よそ者からの干渉は?」
 「今のところ特には。旅の人間が一部金細工師や砂糖の農場を聞いて回っているようですが、ここは子供の遊び場ですからね」
 「手に余る場合はいつでも連絡しろ」


 さすがにすべての耕地に作付できるほどビートは集まらなかったために、迷彩がわりと地味回復のための牧草や救荒作物であるジャガイモを植えているのである。
 もちろんその副産物として家畜導入も始まっており、山羊と牛が農場では子供の圧倒的人気を集めていた。
 
 テュロスはバルドの想像以上に頼りになる子供たちのまとめ役だ。
 今やバルドの考えを先読みすることすらあり、将来の側近に登用するのはもはや確定という逸材である。
 この農場は建前は子供の遊び場、将来的な農作業の実践場ということになっている。
 もちろん大半の家庭はそれが建前であることを知っているが、子供とはいえ実入りが馬鹿にならないので、傍観を決め込んでいるのがほとんどだった。
 さらに残念ながらコルネリアス領は城下町でさえそれほど人口が多いとは言えず、まして周辺の農村部では旅人すら碌に接触したことのない人間がほとんどである。
 常備軍を多めに編成しているコルネリアス領では平時では街の巡回が兵士の業務だ。
 兵士も地元出身がほとんどなので街の住人はほとんど顔見知りである。そのためすこぶるコルネリアス領の治安はよく、問題を起こす人間はほとんど外部の人間であった。
 当然兵士の警戒は外部の人間に向かうことになる。
 そんな状況でスパイを行うことがどれだけ難しいか、想像に余りある。
 しかもバルドやセリーナが情報の流出を限定したり、偽情報を混ぜ込んだりしているため、王都の大商会を始めとして諸外国からまで注目されはじめたコルネリアス領の謎は現在もなお謎に包まれたままなのである。
 なんといっても最終的な砂糖の精製に関してはテュロスやマルゴのほか家族ごと伯爵家と付き合いのある選抜されたメンバーだけが秘密のうちに行っているので、働いている大部分の子供はある意味本気で遊び気分で働いていた。

 「バルド様!お芋さんこんなに大きくなったよ!」
 「いつになったら食べられるの?」
 「食べごろになったらお給金をいっしょに渡すから楽しみに待っておいで」
 「やった――――――!」

 くるくると踊るうれしそうな子供たちに目を細めつつ、バルドはジルコを農場の隅に申し訳程度に建てられた小屋へと案内した。
 殺風景で机と椅子以外に何も置かれていないそこで、鼻を鳴らしてどっかりとジルコは座り込む。その瞳は場合によってはただじゃおかないという、怒りと不満に彩られていた。

 「機嫌悪そうですね?」 
 「期待していたら仕事場が餓鬼の遊び場だったんだ!まさか見たままだとは言わねえだろうな!」
 「もちろん見たままとは言いませんよ。何せこの農場では砂糖を生産していますからね」
 「なん…………だと…………」

 無造作に紡がれたバルドの言葉にジルコはそれをどう解釈してよいか混乱した。
 常識的にいって砂糖は南方のサトウキビから生産される甘味料で、マウリシア王国では生産することのできない産物である。
 見たところ農場でサトウキビを栽培していた形跡はない。だとするならば、農場で栽培していたいくつかの産物のどれかが砂糖の原料になるということか。

 「そう、今王国どころか大陸中がやっきになって新たな砂糖の製法を探り出そうとしています。もっとも利に聡い商人がほとんどですが」

 この半年間、バルドとセリーナは情報の秘匿と偏向のためにとても大きな努力を払ってきた。
 砂糖以外にもマヨネーズやオセロといった遊戯品も出荷し目くらましに使ってもきた。
 しかしすべての焦点がこのコルネリアス領にあるということまではどうにも隠しようがない。
 なんの観光資源もないコルネリアス領を訪れる旅人が、例年の倍に達しているという事実がすべてを物語っていると言えよう。
 そうした努力にもかかわらずバルドが握る秘密は、コルネリアス領という地理的特色にも助けられて今なお守り続けられている。
 商人ならば交渉や仲介で利を得ることも出来ようが、そんな手段も時間も持ち合わせていない勢力が存在した。

 「情報を探ろうとしてもなかなか核心に辿りつけない。果してそんなとき、コルネリアス家が発展することを望まぬものはどんな手段をとるでしょうか?」

 種が割れれば対策をとることも出来よう。
 しかし内実が不明のままという状態は、むしろ知っている状態よりも恐ろしい。
 まして砂糖や産物に関わりなくコルネリアス家と敵対している勢力は特にそうだ。

 「ハウレリア王国が手を出してくるってのかい?」
 「セルヴィー侯爵家がそろそろしびれを切らす可能性は高いと思いますね」

 やれやれ、見込み違いどころかとんだ貧乏くじを引かされたようだ。

 「つまりはあたしにハウレリア王国の不正規戦部隊を相手にしろってんだね?」
 「おそらく人数は1ダースは超えないと思いますが………黙って指を咥えていられるほどセルヴィー侯爵はおひとよしではありませんよ?戦場に膠着があれば引くことよりも打破することを選ぶお人です。ジルコさんならよくおわかりでしょう?」
 「まあ、うちらの間では山豚セルヴィーって呼んだもんさ」
 
 あの戦役で、持久戦を嫌ったセルヴィー侯爵軍は積極的な攻勢に出ることで有名だった。
 防御効果の高いコルネリアス領で、持久戦は損害を増やすだけというのがその理由である。連日の猛攻にコルネリアス軍も大きな消耗を強いられあわやという場面もみられたが、結局均衡を崩したのはセルヴィー侯爵軍の増援ではなく、銀光マゴットの突撃であったのである。
 攻勢限界点を最悪の形で撃退される形となったセルヴィー侯爵軍が数えるのも嫌になるほどの犠牲を払って敗走した。
 この敗退がきっかけとなって両国間が和平に動くことになったのはよく知られた話である。

 「調べてわからぬものは奪うしかない。おそらく、野盗にみせかけて略奪と誘拐を行うでしょうね。この僕のお膝元で」

 バルドの言葉から発せられた確かな殺気を確認して、ジルコは自分の勘が間違っていなかったことを知った。

 「こりゃ昔なじみに急いで声をかける必要がありそうだね………ところで、大将は戦力に勘定して構わないのかい?」
 「あたりまえでしょう?僕の上前を撥ねようとするやつは、たとえ王様でも容赦しません」


 「うんめええええええええええ!」

 農場からの帰り道、昼食に訪れた城下で大人気の一角館で、定番のメニューを口にしたジルコは恥も外聞もなく絶叫していた。

 「あ、あの……ジルコさん、もう少し人目を気にしていただけると………」
 「なんだ?この調味料は?卵を使っているみたいだけど、いったいどうしたらこんな味になるんだ?」
 「お願いだから落ち着いてください!」

 しきりにコクリコクリと頷きながら咀嚼を続けるジルコは、まるで腹をすかせた欠食児童のように見えた。
 もしかしたらジルコの本質は予想以上に子供っぽいのかもしれない。
 
 「ずいぶん気に入ってくれたようでうれしいわ。若様のお客なの?」

 一角館の看板娘サフィールが見事な営業スマイルでコップの水を継ぎ足してくれた。
 艶やかな黒髪とぱっちりとした目鼻立ちの美人で、男女を問わず人気の高い女性だった。

 「ええ、しばらくこちらで働いてもらう傭兵のジルコさんです」
 「これからもごひいきにお願いしますね」

 ゴクリと食材を名残惜しそうに飲み込んだジルコは、目にもとまらぬ速さでサフィールの手をとった。

 「すげえうまかった!それでこの調味料はどうやって作るんだ?教えてくれ、頼む!」
 
 身長180cmを超える顔は美人だが大迫力の残念美女傭兵に詰め寄られて、サフィールは笑顔を保つのに苦労しながら、かろうじてジルコに答えた。
 
 「ごめんなさいね。契約でレシピは公開しちゃいけないことになってるの。いつでも料理を用意して待ってるから勘弁して?」
 「…………そうか………するとこの店のオリジナルってわけじゃないんだな」
 「何言ってるの!オリジナルの製作者は貴女の雇い主の若様よ!」

 キュピーーンと異様な光を放ってジルコの目がバルドをロックした。

 「たたたた、大将。報酬はなしでいいからこの調味料のレシピを………」
 「待て!落ち着け!報酬なしでいいとか、お前いったいどこのマヨラーだ!」

 歴戦の傭兵ジルコの思わぬ一面にバルドも困惑を隠せない。
 こいついつか料理で身をもち崩すんじゃないだろうか。

 「そそそ、それで教えてくれるのか?くれないのか?」
 「とりあえず落ち着け。条件次第では教えてやる。条件は今から考えるからおとなしく飯でも食っとけ」
 「そうか!教えてくれるのか!」

 とろんと瞳を潤ませてジルコは感無量と言いたげに両手を合わせる。

 「あたしついてく!、大将に一生ついてく!」
 「…………キャラ変わりすぎだろ………」

 その後ジルコはマヨネーズに続く新商品、サルサソースにも感激の雄叫びをあげた。
 ようやく彼女が落ち付きを取り戻したのは、心ゆくまで食べ、満腹になった30分ほど後のことになる。本当になんなんだこいつ………。


 「それでどんな条件ならレシピを教えてくれるんだ?」
 「まずこの情報を余所にもらさないことは必須だな。いずれは真似するものも出るだろうが、ある程度普及するまではだめだ」
 「問題ない。別に商売しようってわけじゃないからね」
  
 鼻息の荒いジルコを見てバルドは太いため息をつく。
 マヨネーズを自作してマヨネーズ三昧の生活を送るジルコの様子が目に浮かぶようである。
 味に反してカロリーが高いことを説明しておくべきだろうか?コルネリアスにいる間に丸々と肥えてしまったジルコなど見たくもない。

 「そういえばジルコは母さんと同じ部隊だったんだよね?」
 「ロンデルの初陣から姉御が引退するまでずっと一緒だったさ。あの頃はまだくちばしの青い雛みたいなもんだったがね」

 懐かしそうに目を細めてジルコは笑った。
 彼女にとってマゴットと過ごした日々は誇るべきものなのだ。
 戦場での生き延び方から戦場の作法、目指すべき目標としてマゴットがジルコに与えた影響は大きい。


 「なんだい、新入りかい?」
 「はいっ!ロンデルから来ました、ジルコって言います!」

 まだ15歳だったジルコはすでに名うての傭兵として有名だったマゴットに声をかけられた日のことを昨日のように覚えている。
 傭兵団に女性は少なかったから、その後もジルコとマゴットはたびたび話をした。
 もっともマゴットは自分の過去についてほとんど語ることはなかったが。

 「母さんってどんな人でした?」
 「気っ風が良くて強くて綺麗で、割と新入りの面倒見のいいところもあったりして……とにかくあたしたちの憧れだったな。正直伯爵夫人になるって聞いたときにはショックだったよ」

 決してそんなはずはないとわかっていても、銀光マゴットが金や権力に目がくらんだなど噂になるだけでも厭だった。

 「やっぱり昔からSな人でした?」
 「はぁ?Sって何!Sって!」

 予想外の言葉にジルコは顔を赤らめてうろたえる。存外初な人なようだ。

 「いや、訓練の様子から推測するに絶対にSの性癖があるもんだと思っていたんだけど…」

 ………だって普通、息子を石突きで弄びながら愉悦の笑みをもらしたりしないでしょ?

 「いやいやいや、姉御はむしろ優しい人だったぜ。よく喧嘩もしたが、相手をいたぶるような戦い方をしたことはないはずだ」

 母さん、貴女は息子をどのように思っているのか一度真剣に話合う必要がありそうですね。

 「今、条件を思いつきました。母さんの弱点になるようなこと、何でも教えてくれたらレシピ差し上げます」
 「おいおい、それが息子の台詞かよ!」
 「子供はいつか親を乗り越えていかなければならないのですよ」

 ふふふ……と俯きながら不敵に嗤うバルドに、ジルコはやっぱりこいつは姉御の子だという認識を新たにした。

 「弱点……姉御の弱点ねえ……そんなもんあったら誰も苦労して………ん?」

 不意に何かを思い出したようにジルコは顎に右手を当てて考えこんだ。
 こと武技にかぎってマゴットに弱点という弱点は存在しない。
 あるとすれば他愛ない日常の性癖のようなもののはずだ。

 「…………カマドウマが異常に嫌いだったな」
 「カマドウマ?」
 「そうだ、あのときは姉御が村娘みたいに悲鳴をあげて暴れまわって、宿舎が廃墟にされたことがある」

 あまりにも凄惨な顔でカマドウマを虐殺していたために、いったいどうしてそんなに嫌いなのか聞くことは出来なかったが―――――。

 「あとは苦いものが苦手だな、あの人は。姉御の弱点なんて、所詮こんな可愛らしいもん程度さ」
 「そう…………ですね」

 ジルコはこのときバルドがどんな邪悪な笑みを浮かべていたか、確認しなかったことを後に後悔することになる。



 「母さま今日こそは一本取らせていただきます!」
 「ほう………いつの間に我が息子は出来もしないことをほざくようになったのかな?これは明日から教育の方法を考えなければなるまい……」

 マゴットが不穏なことを口にし始めたので慌ててバルドは反論した。

 「いやいやいやいや!あくまで覚悟の話ですので余計なお気遣いは無用にお願いします!ですが見事一本取った暁には聞いていただきたいお願いがあるのですが!」
 「お安い御用だ。本当に私から一本取れたらの話だがな―――――!」

 目にもとまらぬ速さでマゴットの槍が迫る。
 速度、角度、踏み込みともまったく申し分のない銀光の一撃。
 コルネリアス領でこの一撃を避けられるのはおそらく伯爵のイグニスあるのみだろう。
 だがこの一撃をバルドは幾度も身体で経験してきた勘で避わした。

 「生意気になってきたじゃないか……」

 うれしそうに目を細めてマゴットは矢継ぎ早に槍を繰り出す。
 その引き手があまりにも早いためにバルドは一歩踏み出すことすら出来ずにいた。
 槍を避けたと思った時にはすでに槍がマゴットの手元に引き戻されている。 
 いつもと同じ光景だが、今日のバルドには目標があった。

 (―――――ならば出来るだけ身体の近くで避わす!)

 次第にマゴットの槍がバルドの服に掠るようになり、バルドの肌に赤い擦過傷が刻印されるようになった。

 (どうやら一本取るってのはあながち冗談というわけじゃなさそうだね……)

 リーチの長い敵を相手に前に出るだけでも大きな勇気が必要になる。ましてそれをギリギリで避わすということは非常に大きな精神的抑圧となるだろう。
 果してこんな決断のできる兵士がこのコルネリアス領に幾人いることか。

 「それじゃこっちはどうだい?」

 突きからマゴットは一転、薙ぎに転じた。
 遠心力で小枝のようにしなった槍が、バルドの身体を吹き飛ばさんと、ブンと音を立てて横薙ぎに振られた。
 この薙ぎをバルドはかろうじて跳躍して避わす。

 「甘い!」

 空中にいるバルドにはもはや次の攻撃を避ける手段はない。
 むざむざ開けられた空中を逃げ場に選んだ息子の浅はかさをマゴットは一喝してたしなめるつもりでいた。しかし――――――。
 飛び上がると同時にポケットに手を突っ込んだバルドはそこで秘密兵器を取り出していた。
 もちろんそれはあのカマドウマである。
 愕然とするマゴットめがけてバルドは落下の速度を味方に渾身の斬撃を打ち込んだ。

 「隙ありいいいいいいいいいいい!」

 マゴットの肩口に木刀のあたる確かな手ごたえをバルドは感じた。
 ついにバルドは偉大すぎる母から一本取ったのだ。
 
 「うっぎゃあああああああああああああ!!」

 それとマゴットがこの世の終わりのような悲鳴をあげたのは同時だった。
 
 「つぶすツブス潰すツブス潰すつぶす………」
 「あれ……?お母様……もしかして正気を失ってらっしゃる?」
 「お前も……お前もあの怪物の仲間か?」 
 「おおお、落ち着いて、話し合いましょう。お願いですからお母様正気に戻って!」
 「潰すあああああああああ!」
 「いやあああああああ!!」


 めくらめっぽうに繰り出された一撃を腹部に受けたバルドはそのまま10mほども先の庭樹にぶちあたるまで吹き飛ばされそのまま意識を失った。
 二度と母にこんな悪戯を仕掛けることはやめようとバルドが心に誓った瞬間だった。



 ―――――数時間後

 「何か申し開きはあるかい?バカ息子」
 「ええ~、確か一本取れたらひとつお願いを聞くと言ったのを覚えておいででしょうか?お母様」
 「そう言えばそんなことも言ったね」
 「そのお願いで今回の件はなかったことに………」

 なんとか地獄の番犬のような笑みを浮かべた母から逃れたい、とバルドは頭を掻いて愛想笑いを浮かべた。
 全身を冷や汗が濡らしている。
 バルドが怪我をしたと聞いて飛んできたイグニスも部屋の隅でガタガタと震えて「マゴットを本気で怒らすとはなんと愚かな」とか呟いている。
 いかん、また目から水が………


 「だが断る」
 「そんなああああああ!」


 なぜかその後、翌日の朝までの記憶は、バルドの中から永遠に失われたという。

 火の仔馬亭の奥座敷に6人の男女が集まっていた。
 みな一様に簡易な武装を施しており、彼らが傭兵かそれに近い存在であることが見て取れる。しかし意外にもみな年若く、見目も良い若者なので、年頃の街娘たちが興味ありげな視線をチラチラと投げかけていた。


  「久しぶりだな?太ったんじゃないか?ジルコ」
 「余計なお世話だよ。次に同じことを言ったらネジ斬るからそう思いな?」

 集まっていたのはジルコのかつての傭兵仲間である。
 一人は長身なジルコよりも大きな雲を衝くような大男で、名をグリムルと言う。
 少々頭の生え際が寂しくなっているが、精気に満ち満ちた鋼の肉体は彼がギリギリ二十代にとどまっていることを告げていた。

 「怖え怖え、でも気をつけろよ?昨夜俺も食ったが、ここの食事は半端なくうめえぞ?」
 (そんなことあたしが一番わかってるんだよ!)

 いらだたしげにジルコはこつこつとテーブルを叩く。
 実は本気で腹回りを深刻に気にし始めているジルコなのである。
 自制しなくてはならないと思うのだが、ついつい食べ過ぎてしまうのだ。
 来たばかりのころに比べて頬もふっくらとし、心なしかお腹にも肉がついてきたように感じられる。
 どうすれば食事量を減らさずにダイエットできるかジルコは本気で悩み始めていた。

 「まあまあ、ジルコは今くらいのほうが美人だよ」

 そう言ってフォローしたのは同じ傭兵のミランダであった。
 傭兵には珍しく弓を得意とし、遠距離の支援射撃を担う。なぜ傭兵に弓兵が少ないかといえば、弓による戦果は手柄に認められにくいからだ。
 まして腕のよくない弓兵になると味方を誤射することも多いため、よほど腕がよくないと傭兵の弓士は嫌われることになる。
 だがミランダがそうした傭兵仲間に嫌われるどころか、むしろ頼りにされているのは彼女の腕の良さによるところが大きいだろう。

 「それにしてもどこと戦争おっ始めるつもりだよ?こんなメンバー揃えやがって…」

 憮然とした表情の長身の双刀の剣士はジャムカ。
 小回りの利く小刀を自在に操る二刀流は傭兵達の間でも一流と噂されていた。
 実際懐に飛び込まれたらジルコでも彼に打ち勝つ自信はない。

 「確かに下手をすれば野盗でも立ち上げるかと思える戦力だな」

 皮肉気に笑って答えたのはナイフ使いのセルだ。
 6人のなかで一番の色男で切れ長の冷たい瞳に漆黒の黒い髪が、先ほどから女性たちの興味を惹いていた。
 間合いの狭いナイフだが、投擲術にすぐれた彼の投げナイフは姿を隠して戦う市街戦のような戦場では絶大な力を発揮する。

 「まあまあ、おかげで身が切れるほど寒いノルトランドに行かなくて済んだのはありがたいね」

 こちらはオーソドックスな大盾に槍の戦士で、右頬から唇にかけて大きく切り傷が走っているのが印象的な傭兵である。名をミストルという。
 広い肩幅に野太い両手足、それに比較して小さな身長で、遠目には大きく丸い塊のように見えるであろう。
 実はジルコと同じロンデルの出身で、ジルコにとっては最も長い昔なじみだった。

 「みんながまだ遠出してなくて助かったよ。まさか国外に遠征してる奴を呼び戻すわけにはいかないからねぇ」

 ジルコはこの5人以外にもあと幾人かなじみに声をかけていたのだが、新たな戦場に旅立っていたために今回の招集には間に合わなかったのだ。

 「それで?いったい俺達に何をやらせようって言うんだい?」
 
 5人とも戦場では背中を預けるに足る一線級の傭兵である。
 手段を選ばず遅滞戦闘をやれと言われれば、一個中隊やそこらは足止めして見せる自信がジルコにはある。
 もっともそれは戦場をこちらで選ぶことが出来る主導権と、自由に機動できる広い戦闘空間があればの話だが。
 
 「任務は簡単、とある農場の用心棒だ。素人を相手する分には月金貨3枚の報酬になる」
 「安いぞ!せめて金貨5枚はよこせよ」
 「まあ、待ちな。慌てるなんとかはもらいが少ないって言うじゃねえか」

 実際このメンツに金貨3枚は安い。たとえ仕事が用心棒であるにしてもだ。
 しかし明らかに過剰戦力なメンツを揃えたのには十分なわけがある。

 「この農場だがね。正直笑っちまうような秘密が隠されてる。今じゃマウリシアどころか沿岸諸国まで注目してるっていう冗談みたいな場所だ」
 「おいおい、吹くのもいい加減にしとけよ?」
 「じゃあ、このコルネリアス領のとある農場で砂糖が生産されてるって言ったら………どうする?」
 「それこそ―――――冗談だろ?」

 陽気なグリムルが思わず周囲を見渡して声を潜めた。
 もちろん酒場の喧騒からは陽気な騒ぎ声が聞こえるだけで、ジルコたちの会話に耳を澄ませているものはいない。

 「ところがこれが冗談じゃない。だから今連中な血眼になって証拠を探している。一番この情報に神経をとがらせているのは当然あの山豚殿だ」
 「やつがしびれを切らして道を踏み外す…………と?」
 「その可能性が非常に高いと依頼主は仰せなんだがね。セルヴィーの兵を生死問わず金貨10枚、生かして捕まえたら金貨20枚払うってさ」
 「へえ、そりゃあ剛毅だ。いったい誰なんだい?その依頼主様ってなあ………」
 「それがさ。たった12歳の坊主なんだ。しかも銀光マゴットの息子ときてる。信じられるかい?」

 5人はあんぐりと口を開けて絶句した。
 ジルコが冗談で言っているわけではないことは、付き合いの長い彼らには一目みて明らかだったからである。


 


 セルヴィー侯爵家の家宰を勤め、自身も准男爵であるドルンは渋面に顔を歪ませていた。
 放った大勢の間諜の誰も有効な情報を持ってこない。今に始まったことではないが、あのコルネリアス領というのは非常に諜報が難しい土地柄なのである。
 かろうじてわかったのはサバラン商会の影に伯爵の嫡男が見え隠れすること。
 とはいえコルネリアス伯爵の嫡男と言えばまだ10歳になったばかり、いくらなんでも黒幕ということはないだろう。
 では父親のイグニス伯が?いや、それはありえない。あの脳筋はそんなことに頭の回る人材ではない。
 だからといってサバラン商会が全く独自に急成長を遂げているとも思えなかった。
 調べたところではすでに代替わりから2年が経過しており、その間にさしたる成長はなかったこと。父親は有能な行商人で多彩な人脈を持っていたが、所詮は行商人あがりでしかなかったことがわかっている。
 何者かがかの商会に入れ知恵しているはずだった。
 ドルンはその後にも続くマヨネーズやサルサソースなどの新商品、今やコルネリアス領の代名詞になりつつあるゴートコレクションのすべてが一商会が思いつくものではないことに気づいている。
 おそらくはまともな育ち方をしていない、生まれながらの異形の発想である。
 そう考えると伯爵家の嫡男バルドの存在は決して無視してよいものではないのかもしれない。
 何せ噂ではあの銀光マゴットに血反吐を吐くまでしごかれているという話だ。
 順調なコルネリアス領の発展に、このところ主君であるセルヴィー侯爵のいらだちが募っている。
 家臣であるドルンは何らかの成果を出す必要に迫られていた。

 「トーラスを呼べ」

 ドルンは召使の一人に腕利きの騎士の呼び出しを命じた。
 もはや実力行使しかない。
 幸い怪しいと思われる農場は特定している。材料や製法は何も分からないがそれは連れ出した人間に聞けばよいことだ。

 「お呼びにより参上いたしました」
 「うむ」

 トーラス・ラインバルドはセルヴィー侯爵家でも有能で知られる騎士で、将来の騎士団長候補とすら目されていた。馬術に優れ忠誠心も厚い、よく気のつく若者でドルン自身も彼の将来には期待していた。

 「実は卿に頼みがある」
 「頼みなどと言わずに、如何様にもお命じください」
 「うむ…………汚れ仕事だとしてもか?」
 「ドルン様のお呼び出しを受けた時からその覚悟はしておりました」

 全てを察していると言わんばかりのトーラスに、ドルンはこの若者を危険な任務で失ってしまってよいものか、本気で懊悩した。
 彼ほどの人材は来るべきコルネルアスとの戦いに必要な人間ではないのか。

 「これ以上コルネリアス家の発展を見過ごすわけにはいかん。幸い間諜が突き止めた農場は国境からそれほど離れていない場所にある。ここを襲撃しその産物と使用人を奪え」
 「必ずや、わが身に代えても」

 「わかっていると思うがマウリシア王国とは国王陛下の名において和平が結ばれておる。コルネリアス領内で交戦に及べば当家は逆賊にもなりかねぬ。それゆえ身元のわかるようなものは一切とり去り、野盗を装え」
 
 それが騎士の誇りをいかに穢すものかわかっていてもドルンは命じないわけにはいかなかった。
 マウリシア王国は歴史的な敵国ではあるが、現在王国でかの国との戦争を望んでいる貴族は少ない。大きな損害を被った過日の戦役から王国はまだ完全に回復したわけではないからだ。
 もっとも多くの被害を受けたのはセルヴィー侯爵家だが、他にも甚大な損害を受けた貴族は多くその貴族の中には積極的な攻勢を主導したセルヴィー家を恨んでいるものすらいるのである。
 下手をすればセルヴィー侯爵家そのものが危うくなる、ならばコルネリアス家など放っておけばよいのだがそれをするにはコルネリアス家に対する怨念が深すぎた。
 当主であるアンドレイは戦役で期待の息子を二人も失っている。その復讐を果たすことは彼にとって生きているうちに成し遂げなければならない妄執なのだった。

 「もしおまえたちが捕まっても王国から救いの手はないと思え。そして失敗したときには死ぬのだ」

 非情なドルンの宣告をトーラスはごく当たり前のように受け入れた。
 戦場で騎士が失敗すれば死あるのみ。もとより失敗しておめおめと帰るつもりはトーラスにはない。

 「私の小隊を連れてまいります。独身のものだけを集めれば十数人にはなりましょう」
 「苦労をかけるな………」
 「長くお家の禄を食んできた恩、ここで返さずにどこで返しましょうや」

 それに侯爵家に対する恩だけではない。
 トーラス自身も先の戦役で兄と直属の上官を失っていた。
 彼にとってもこれはいつか果さなければならない復讐なのである。
 すでに10年以上の月日が経過してもなお、戦役がむしばんだ遺恨はなくなることなく深く大地に根をおろしていた。
 
 「本当に来ると思うか?」

 傭兵たちが護衛についてから一週間が経過しようとしていた。
 
 「あの家がこの10年の間に何度国王に開戦を直訴したと思ってるんです?あれほど痛い目に会ったのに3度ですよ?それが指をくわえて見守る?ありえません」
 「俺はあんたのほうがよほどありえないように思えるんだがな」

 呆れたようにジャムカは漏らす。
 確かに傭兵を前に平然と政治を語る10歳児は異様に見えるかもしれない。

 「我がコルネリアス領の警備体制は決して甘くありません。今まで何度も戦火にさらされてきましたからね。ですから連中が接近する手段はただひとつ、少人数で森林地帯にもぐりこむことです」

 イグニスやマゴットも加わった国境偵察中隊から市内の巡検まで、コルネリアス領は豊富な兵力を積極的に活用している。
 それは今までの戦いで一度も奇襲攻撃を受けていないことが雄弁に証明していた。
 つまり大兵力が見つからずにコルネリアス領を通過することは不可能である。
 だが幸いなことにコルネリアス領は領土の半分が森林と丘陵に覆われている。
 特に北部はフェルブル山塊へと続いているため、猟師以外ほとんど立ち入るものはなく少人数が侵入するのはもってこいの地形であろう。
 バルドも十中八九セルヴィーの私兵の侵入は北側からだと睨んでいる。

 「………にしてもまさかこんな芋から砂糖が取れるとはなあ………」

 採集時期を迎えたビートを手に取りミストルは感概深げに眺めた。
 ミストル自身ビートが存在することは知っていた。食用にはむかないと聞いてそれ以上の興味は持たなかったが、もし気づいてさえいれば自分も今頃大金持ちになっていたのではなかったか。

 「いずればれるとは思っています。ばれる前に出来る限り稼がせてもらうつもりですがね」

 ビート自体はそれほど育てるのが難しい作物ではないし、砂糖の精製方法も言っては何だが、一般家庭レベルにすぎない。
 たちまち真似する者が現れて砂糖の価格は急落するに違いなかった。
 むしろ誰にも真似が出来ない金メッキ技術のほうが長期的には利益に貢献するだろう。
 もっともそれを座して待つつもりはバルドにはなかったが。

 「しかし連中を相手にしながら子供たちを守るのは手間だぜ、大将」

 護衛のリーダーを任されているジルコの顔は深刻である。
 要人のように護衛されることに慣れている人物であれば、少なくとも対応に苦慮することはない。彼らは自分の命を守られているということを正しくわきまえている。
 だがそうした意識も経験もない素人を守るというのは精神的に大きな負担だった。

 「…………正直さすがに子供を捕まえるのは最後の手段だと思う。彼らにとって必要なのは人間そのものじゃなくて情報だからね。そうでないというのなら僕が相手になるさ」
 「そこが解せねえ。あんたがいったいどんだけ使えるってんだ?」
 「おいっ!ジャムカ!」

 腕を組んでハスに構えたジャムカがバルドの力量に不審を表明するのをジルコは慌てて止めた。どうもジャムカはいまだにバルドを10歳児と見て甘く見ているが、バルドはあらゆる意味でまともな10歳児ではない。

 ジャムカの言葉が終わるか終らないかのうちに急速にバルドが動いた。
 一瞬のうちに身体強化を終えたバルドが一陣の風となってジャムカに迫る。
 しかし歴戦のジャムカに見え見えの拳打が通用するはずもなかった。
 それでなくともジャムカの対人戦能力は5人のなかでも1、2を争う。彼の態度が大きいのにもそれなりに理由はあるのだ。
 それでもバルドの拳を受け止めるに自らも身体強化を使わなければならなかったことに、ジャムカは内心で冷や汗をかいていた。
 
 「そんな程度かい?」

 しかしそんな動揺はおくびにも出さずジャムカは嗤う。

 「…………それは自分の鎧をみてからいいなよ、ジャムカ」
 「なんだって……?」

 弓士のミランダは見ていた。
 バルドが拳の死角からジャムカに串を放っていたことを。
 ちょうど両者から離れてみていたことで、その決定的瞬間を目撃することが出来たのである。
 恐る恐る下を向いたジャムカの鎧の隙間に、鶏肉を刺していた一本の串が、鎧の下に着込んでいた硬皮に軽く突き刺さっていた。

 「そこの若様は串を投げるのに身体強化を使っていなかった。……わかるわよね?」
 「もう何も言わねえよ。この年齢で暗器を使うとか……金輪際餓鬼だとは考えねえ」

 当たり前である。
 どこの世界に対人戦で暗器を使う子供がいるものか。
 暗器という武器が使われるのは間違いなく互いの命をかけた死合のみであり、決して訓練や通常の勝負で見かけることはない。
 一度見せてしまっては効果のない、その場かぎりの武器であるからだ。
 その武器を容易く扱うこの少年が、どれほどの生死の境を乗り越えてきたのか、ジャムカは考えるのも億劫であった。


 

 ふと会話の途切れたバルドたちに耳に、姦しい少女たちの何か言い争うような声が風下から届いた。

 「うちは頼まれた試作品を食べてもらおうと持ってきただけや!邪魔するなや!」
 「わざわざ貴女が食べさせる必要なないでしょう?」
 「客の反応は自分の目で見んと、落ち着かんさかいな」
 「その割には他の客はロロナさんに任せきりですよね?」

 (意訳)
 「はようバルドに会いたいんや!邪魔するなや!」
 「バルド坊っちゃまに女狐はこれ以上近づけさせません!」

 セリーナを押しとどめようとするセイルーンと、それを無視して進もうとするセリーナ。
 遠目にも均整のとれた美少女が、じゃれるように互いの身体を入れ替えながら近づいていた。
 
 「どうしたセリーナ?」
 「ああ!バルドええところに!この間頼まれてたもん、出来たでえ」
 「くっ……阻止できませんでしたか」

 バルドの姿を認めたセリーナは花のように笑い、対するセイルーンは悔しそうに唇をゆがめた。

 「これや!めっちゃうまそうやろ!」

 そう言ってセリーナが取り出して見せたのはこんがりとした焼き目から甘そうな香りの立ち上る、金色のスポンジが食欲をそそる長方形の焼き菓子であった。
 雅晴の記憶では定番のスイーツである。
 比較的作り方も簡単で、かつ根強い人気を誇る菓子―――――カステラであった。
 養蜂の技術が確立していないため蜂蜜はまだまだ貴重だが、少量の蜂蜜に卵と強力粉に砂糖があれば作ることが出来る。
 紅茶やカカオを練り込むことで独自の風味を付け加えることもできる汎用性があり、ごてごてした生クリームの苦手な雅晴は、シンプルなカステラが大好きだった。
 久しぶりにそのカステラの姿を認めたバルドはうれしそうに微笑んだ。

 「うまく焼けたね。思ったより料理がうまいんだねセリーナ」
 「これくらい任せや!」

 (よっしゃ!これは年上の良さをアピール出来たでえ!)

 控えめにガッツポーズをとるセリーナを見たセイルーンはがっくりと肩を落とした。
 (ううっ………失敗です……私も料理を教えてもらいたいのですが…)
 コルネリアス家に雇われた侍女であるセイルーンは、職場の縄張りの関係上、なかなか料理長に料理を教えてもらうというわけにはいかないのである。
 飯マズは伯爵家の嫡男であるバルドにとって気にすべき問題ではないが、女としてのプライドがセイルーンに敗北感を与えるのだった。

 「それは新しい食べ物なのかい?」

 鼻息も荒くジルコがカステラを覗きこむ。
 バルドの試作する様々な食材の虜になっているジルコは何をおいてもまずそこに反応しないわけにはいかないのである。

 「今度売り出す予定のカステラっていいます。まずは皆さんにも一口ずつ試食していただきましょうか………」

 腰にさしたナイフでカステラを切り分けると受け取ったジルコたちは期待に胸を膨らませて口に入れ、そこで固まった。

 「う、うますぎりゅあああああああ!」

 もはや何語をしゃべっているのかもわからない叫びをあげているのはジルコである。
 ミランダも頬に手をやってうっとりと魂を外に飛ばしていた。
 男連中は女性陣ほどではないが、その上品な甘みとしっとりしたスポンジの触感に一様に驚きの表情を浮かべていた。

 「もうこの大将には驚くだけ馬鹿を見るな………」

 完全に兜を脱いだのか、ジャムカは初めてバルドを大将と呼んだ。
 遥か遠い過去の記憶を思い出して郷愁に浸っていたバルドだが、久しぶりのカステラの感触を楽しむとセリーナに向き直って頭を下げた。

 「おいしかったよ。ありがとう」
 「えへへ……こっちこそ作った甲斐があったでえ」
 「せっかく来てもらったのに悪いんだけど……」

 バルドは滅多に二人には見せない厳しい顔つきで言った。

 「ここ一週間ほどは農場に近づかないでもらえるかな?ちょっと危ないことになりそうなんだ……」
 「ええっ?それはどういうことですか?」

 バルドの侍女として常に傍にいることを任じたセイルーンが抗議の声をあげる。
 滅多な理由では絶対に容認できる話ではない。

 「…………野犬が大量に山から下りてくるかもしれない。僕は彼らと退治に向かう予定なんだ」
 「何も坊っちゃまが出られなくとも………」
 「そうだよ!街の衛兵に頼んでもいいじゃないか!」
 「野犬を逃がさないためには人を選ぶ必要があるのさ」

 まだ不満そうな二人だが、それでも戦闘の分野で自分たちが門外漢であることは自覚していた。

 「絶対に無茶しないでくださいね?」
 「早くうちの店に顔出してや?」
 「それは却下します」
 「なんでやねん!?」

 途端に再びいがみ合う二人にジルコは愉快気な視線を投げかけた。

 「愛されとるなあ、大将」

 ―――――――刹那、北側の森から甲高い笛の音が鳴り響いた。




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