ホロコースト(第2次世界大戦中に行われたユダヤ人大虐殺)の生存者は、大きく二つに分けられる。600万人のユダヤ人が虐殺されていく間、神は死んだと思った者、神のおかげで奇跡的に生き延びたと信じる者だ。ホロコーストの追悼日(4月27日)を2日後に控えた先月25日、イスラエルの首都エルサレムで出会ったマタ・ワイズさん(80)=女性=は、後者だった。「ナチスは神様が想像できないことを行ったが、今こうして生きていられるのは神様のおかげだと思います」
「A-27202」。1944年にドイツ軍がワイズさんの左腕に刻んだ入れ墨は、70年がたった今も鮮明に残っていた。「A」は150万人のユダヤ人が虐殺されたアウシュビッツ(Auschwitz)収容所の頭文字だ。ワイズさんは「今もこの入れ墨を見るたびに、生きているという事実に対し神様に感謝する」と話す。
ワイズさんは1934年にチェコのユダヤ教の家系に生まれた。10回目の誕生日を迎えた1944年10月8日、ナチスを避けて暮らしていたワイズさんは、隣家の密告によりドイツ軍に捕まり、1カ月後に3歳年上の姉と共にポーランドのアウシュビッツ収容所に送られた。ワイズさんは「『アウシュビッツはユダヤ人の再教育のための機関』とドイツ軍が説明した」と言う。
「列車に一緒に乗ってきた3000人の『新入り』ユダヤ人を収容する所がなかったんです。ドイツ軍はわれわれを収容する空間を確保するために、あるキャンプにいたロマたちを皆ガス室で殺してしまいました」
捕まってきたユダヤ人たちは、アウシュビッツ軍医官のヨーゼフ・メンゲレの前で列を作って裸にさせられた。後日「死の天使」と呼ばれ、40万人ものユダヤ人を虐殺したメンゲレは、「新入り」たちをガス室に行かせるか、生体実験のための「実験動物」として使用するかで分類した。
ワイズさんは「今も理解できないが、その『化け物(Monster)』は姉と私を双子と勘違いして実験室に隔離した」と話す。メンゲレはゲルマン族の繁栄のための手段として双子研究に対する関心が高かった。手術台に上がることになっていたワイズさんは、1945年1月にソ連軍のポーランド侵攻でアウシュビッツが解放されると、姉と共に脱出した。パンの切れ端と凍った野菜で食いつないできたワイズさんは、体重がわずか17キロになっていた。ワイズさんは「ガス室の煙突から煙が出ると、ユダヤ人の悲惨な死体がユダヤ人たちの手によって火葬場に移された。無惨だった」と当時の記憶をつづった。