松本麻美
2014年5月11日14時38分
森と清流に囲まれた山あいの和歌山県田辺市龍神村。この村で、慰霊祭が開かれた。弔われたのは第2次大戦の末期に爆撃機B29で墜落して犠牲になった米兵ら。「敵、味方を超え、命を悼む気持ちから始まった」という慰霊祭は今回で70回目を数える。
この日の慰霊祭には、村人ら約150人が集まった。「第70回の節目を迎えられて大変うれしい。事件を忘れずに、心の中に平和の砦(とりで)を築くことが大切だと思う」。こう語りかけた龍神村殿原の元中学教諭古久保健さん(76)は40年近く、犠牲になった米兵の足取りを調べてきた。
1945年5月5日、この地に米軍のB29が墜落した。搭乗していた米兵11人のうち7人は死亡。生き残った4人は周辺で捕らえられた。「鬼畜米兵」と言われた時代だったが、村人たちは同情的だった。
当時、初等科2年生だった古久保さんの国民学校には、米兵2人が連行されてきた。竹やりを持って迫る村人もいたが突くことはなく、代わりにおにぎりとたくあんを与えた。墜落で命を落とした米兵のためには、木製の十字架を作って慰霊祭で弔ったという。
「恨みもあったはずだが、みんなが戦争に疲れていた。米兵の姿を見て、戦地に赴いた家族の姿を重ね合わせた。哀れみの方が強かったんでしょう」と古久保さん。結局、米兵は墜落翌日に来た憲兵に引き渡され、日本軍によって処刑されたとみられる。
だが、村人による慰霊は続く。終戦翌年の46年以降も慰霊祭は執り行われた。47年には現場のそばに高さ約2メートルの石碑「戦没アメリカ将士之碑」を建て、墜落機の破片を供えた。
古久保さんは「戦争の残虐さを訴えるため、墜落の真実を調べ、伝えることには意味がある」と考え、調査を続けた。数年前からは墜落時に死亡した兵士の妹、エリザベス・クロークさん(83)とメールでやりとりを重ねた。昨年10月には米国フロリダ州を訪れ、当時の様子を伝えると、クロークさんは「あなたに会えて、足りなかった人生のピースがすべてそろった気がする」と涙を浮かべたという。
70回続く慰霊祭について、古久保さんは「憎いのは米兵ではなく戦争そのもの。人が死んだら弔うのが当然と思ったのでは」と語り、こう訴える。「村人たちは国や宗教に関係なく、一人の人間として米兵と向き合った。それを忘れてはいけないし、もっと多くの人たちに知ってほしい」(松本麻美)
おすすめコンテンツ
※Twitterのサービスが混み合っている時など、ツイートが表示されない場合もあります。
PR比べてお得!