失敗は本質的でないものをすべて奪い去ってくれる。
私は、本来の私でない何者かであるふりをするのをやめ、自分にとって唯一価値あるものに全力を注ぎ始めた。もし、私がほかの何かで成功していたら、私が本来やるべきこの分野の道をみつけることはできなかっただろう。
どん底で、私は自由になったのだ。
一番の恐れは何かを知り、まだ生きていて、愛する娘がいて、古いタイプライターが一台あり、素晴らしいアイディアがあった。
そう、すべての失敗のおかげで、私は自分の本質、いわば私という人間の岩盤の上に立つことができ、そこにほんものの人生を築きはじめたのだ。
さて、この文章は、『ハリー・ポッター・シリーズ』の作家、J.K.ローリングが書いたものである。
彼女の成功物語はあまりにも有名だ。
彼女はシングルマザーで貧困に喘ぎ、生活保護を受け、うつ病と戦いながら『ハリー・ポッター』を書いた。
1995年に完成した原稿は12の出版社に持ち込まれたが断られた。13社目の編集者がその原稿を自分の娘に読ませたところ、「パパ、これは他のどんなものよりもずっと素敵だ」と眼を輝かせたことでようやく陽の目をみた。
夢と努力と諦念の関係は、永遠のテーマだ。(たとえば僕の過去記事)
そして、彼女のこの話も納得のできるものだ。
たとえば僕の場合、19年の会社人生でたくさんの失敗を重ねて、にっちもさっちもいかなくなった。
僕の若いころの「夢」は物書きになることであったが、ろくなものはひとつとして書けず、やがて「夢」は、「独立して自分で商売をする」ことに変わった。
しかし、会社勤めしか知らない当時の僕には、「独立して自分で商売をする」こと、ひとにとっては簡単なことが、まさに「夢」であった。その道はあまりにも厳しそうで、その冒険をやりきるチカラが僕にあるのかどうか、確信はなかった。
自分の気持ちの中ではたしかににっちもさっちもいかなくなってはいたのだが、会社から辞めてくれと言われたわけではなく、まだ当分は、会社に貢献させてもらう道だってあった。
結局、その「夢」にチャレンジしてみることにしたのだが、もし、会社で僕がもう少し成功していたら、もう少し評価されていると感じることができたら、もう少し自分にもやれると自信が残っていたら、僕は42才であてなく会社から飛び出す(ローリングさんみたいに2女と嫁を引き連れて!)気には、絶対にならなかっただろう。
たしかに、彼女が言うように、僕はウンザリするほど積み上がった自分の失敗のおかげで、「正直な商売人という自分の岩盤」をみつけ、そこに第二の人生を築き始めることができたのだと思う。
多くのひとは言う。「子供や若者に『夢をもて』などと言うな。どうせ夢なんかかないやしないのに、そんなことを言うから、ほとんどの人は不幸になるのだ」と。
もちろん、それも正しい。
だけど、失敗を重ねてはじめて見えてくるものがある。
世の中には、ほんらいの岩盤に杭を打たずに築き上げられた人生が無数に存在していることも、また、間違いのないことなのだ。
*ちょっと本文からずれるけど、せっかく描いたから、図を添付。「夢」と一口に言っても、難易度が色々あるよ~~そもそも、「プロ野球選手になる」は「夢」と言えても、「古着屋として独立する」は「夢」なんかい!っていうところが、突っ込みどころ。
(1)プロ野球選手になる「夢」
才能の高いひとたち(A)ぐらいのひとたちでも、食えるひとはごく少数。ほとんどのひとは食えない。
(2)古着屋として独立する「夢」
商売の才能や工夫・努力する才能がほどほどでも(B)、半分ぐらいのひとは食えるイメージ。