日本地図:初の全国測量の原図見つかる 徳川吉宗の時代

毎日新聞 2014年05月10日 07時30分(最終更新 05月10日 07時59分)

享保日本図の測量原図=広島県立歴史博物館提供
享保日本図の測量原図=広島県立歴史博物館提供

 ◇広島で確認 「伊能」前に完成

 広島県立歴史博物館(福山市)は9日、江戸幕府八代将軍、徳川吉宗が命じて初めて全国的に測量して作られた日本地図「享保日本図」の測量原図が見つかったと発表した。享保日本図は清書が2枚あることが江戸時代の書物に記されているが、原図が確認されたのは初めて。専門家は「当時の測量技術を知る貴重な資料」と話している。

 原図の縮尺は21万6000分の1で、縦152センチ、横336センチ。江戸後期に伊能忠敬(1745〜1818)らが全国を測量して作った「大日本沿海輿地(よち)全図」より前の1725年ごろに完成したとみられ、蝦夷(えぞ)地(北海道)南部から種子島(鹿児島県)まで記されている。

 博物館によると、江戸幕府は計6回日本地図を製作。4回までは各藩に提出させた地図を組み合わせていたため、あまり正確ではなかった。5回目の享保日本図は、見通しが良い山や港など測量地点203カ所を幕府が指定し、各藩の測量データを集めて完成させた。一つの地点を複数の地点から見通す「望視交会法」という測量手法が取られ、富士山や彦根城などと各地点を結ぶ赤い直線が引かれている。

 原図は福山市出身で元米証券メリルリンチ日本法人会長の守屋寿さん(72)=東京都在住=が、博物館に寄託した古地図などの資料848点の中にあった。守屋さんが10年以上前に都内で購入したという。東亜大の川村博忠客員教授(歴史地理学)は「江戸時代の高い技術や幕府の地図作製過程が裏付けられる」と評価している。

 原図は博物館で13日から公開される。【目野創】

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