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なぜ僕は、ほんの僅かな期間だけ、美味しんぼの表現を擁護しようと考え、そしてそれを辞めたのか

 ビックコミックスピリッツに連載中の漫画『美味しんぼ』に、福島への風評被害を助長しかねない表現があった。
 内容としては、福島入りした主人公の山岡士郎が鼻血を出し、疲労感に襲われる。医者に相談すると「福島の放射線とこの鼻血とは関連づける医学的知見がありません」と言われるが、納得の行かない様子。後に元双葉市町長の井戸川克隆が登場し、鼻血に対して「福島では同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです」と主張した。(*1)
 これが、さも放射線被曝によって鼻血がでたかのように、匂わせていることが問題視され、様々な方面から批判の声があがった。

 僕は批判が出てきた当初、まだこの表現には支持する余地があるかもしれないと考えていた。
 たとえ医者や科学者が「福島の線量では決して鼻血が出るようなことはない」と言ったとしても、だからといってそれですぐに納得できない人も少なく無い。そうした人たちは、もっともらしい客観的な言葉と、疑念を拭い去ることのできない不安の中で、揺れながら生きてきた。
 鼻血のような、本来であれば何でもないハズの日常の1シーン1シーンが、原発事故以降に起これば「被曝の影響ではないか?」と不安を呼び起こす恐るべき苦痛へと変化する。
 科学的コミュニケーションではとても払拭できない、そうした人たちの不安を、原作者である雁屋哲は、山岡士郎というキャラクターを通して描いていこうとしているのではないか。そんな期待もほんの僅かにだが、僕の中にはあった。

 しかし、その期待はあっさりと覆された。
 多くの批判への言い訳として雁屋のブログ記事(*2)に書かれた言葉は、被災地の不安を慮る心情ではなく、他者に対する傲慢としかいいようのない、単なる老害ジジイの頭の悪い「説教」でしかなかった。

 「鼻血ごときで騒いでいる人たちは、発狂するかも知れない」
 「自分が福島を2年かけて取材をして、しっかりとすくい取った真実をありのままに書くことがどうして批判されなければならないのか分からない」
 「今の日本の社会は「自分たちに不都合な真実を嫌い」「心地の良い嘘を求める」空気に包まれている」

 などなど、福島の現状を率直に見つめる言葉は一切なく、ただ「俺が正しい」いいたいがための主張の一点張り。そして、異なる考えを持つ人達に対する中傷じみた発言と、極めて幼稚なものだった。
 まず、他人の批判を「発狂」と表すことは、ハッキリとした侮蔑である。批判に対して正面から対応するのではなく、嘲り笑うその態度は、言論人(今回の美味しんぼで行われていることは完全に言論である)として全く不適切であることは言うまでもない。  次に、あまりに偏った取材意図を「2年も時間をかけたのだ」と期間でごまかした。いくら時間をかけて取材をしようと、その意向が事実から目をそらすよこしまな気持ちに染まっているであれば、雁屋にとって都合のいいことを言ってくれる取材対象しか見つからないのは当たり前だ。色眼鏡で2年間かけるよりも、フラットな立場でネットで2時間、問題調べたほうが、ちゃんとした事実を掴み取ることができる。
 そして何より気に入らないのは、他人に対して「自分たちに不都合な真実を嫌い」「心地の良い嘘を求める」などというレッテルを張っていることである。
 不都合な真実を嫌い、心地の良い嘘を求めているのは誰か。雁屋ではないか。
 事故後も決して身体に影響の出るような放射線量ではない福島で、放射線の影響から病気にかかる人が続出するはずもないという「不都合な真実」を嫌い、早めに放射線の悪影響を喧伝した人たちの警句は正しく、先見の明があった。などという「心地の良い嘘」を求め続けたのは、雁屋自身ではないだろうか。

 ビックコミックスピリッツ編集部は、これについて「鼻血や疲労感が放射線の影響によるものと断定する意図はない」と釈明した。(*3)
 しかし、これを書いている現在では未確定の情報ではあるが、ネットにアップされた次の話の中には「鼻血が出たのは被曝をしたからだ」と主張する描写が含まれているようだ。

 この問題に対して、双葉町は公式に抗議を行った。(*4)
 また、石原伸晃環境相が不快感を示す発言を行っている。(*5)
 こうした一連の公的な立場からの動きは、当然と感じる一方で、漫画の表現に対する行政側からの介入という問題もあり、最終的には美味しんぼとは関係のない漫画表現の自由までをも狭めるような結果に至ってしまうのかもしれない。美味しんぼの暴走に怒りを感じながらも、そんなことも僕は懸念している。

1.原発事故で「美味しんぼ」表現に賛否 環境相と前首長が対立 - MSN産経ニュース
2.反論は、最後の回まで,お待ち下さい - 雁屋哲の、今日もまた
3.スピリッツ22・23合併号掲載の「美味しんぼ」に関しまして - 小学館
4.小学館発行『スピリッツ』の『美味しんぼ』(第604話)に関する抗議について - 双葉町
5.美味しんぼ:石原環境相、鼻血描写に不快感 - 毎日新聞

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