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視点・論点 「福島漁業の現状と復興への課題」2014年05月09日 (金)
東北大学大学院教授 片山知史
東日本大震災から3年が経ちました。被災地沿岸部の生活基盤は未だ全く整備されず、住民は、住み慣れた土地を離れ移転先に留まるか、仮設住宅で我慢の生活を送るかを強いられています。なかなか普通の生活も大変な中ですが、漁業者は沿岸部の基幹産業である漁業を再開させています。岩手県、宮城県の漁業生産は、獲る漁業も、養殖も、震災前の7割から8割の生産量になっています。漁業というのは、ただ魚や海藻を水揚げするだけではなく、その後、切り身や開きにしたりするという加工や、大きさを揃えて箱詰めにして出荷する流通など、地域経済に大きく波及する産業です。
一方、福島県に目を転じてみましょう。
福島県全体の漁業生産量は、震災前、年間8万トンから10万トンありました。その中でも、シラス、
イカナゴ、ヒラメ・カレイ類やタコなどを漁獲する沿岸漁業によって年間2.5万トンを水揚げしていました。しかし昨年の2013年では、沿岸漁業で約400トン、1.6%にしか至っていません。岩手県、宮城県の70-80%との差が理解できると思います。しかもこの400トンは、試験操業というものです。
この試験操業とは、種々のモニタリングの結果を基に、安全性が高いと判断される魚介類について、漁場も限定した上で小規模な操業と販売を試験的に行うというものです。2014年3月末現在で 福島県沖の水深135mより深い海域で31種類を対象に行われています。
しかし、この試験操業には、沖合底びき網など一部の漁業種の数十隻しか加わることができず、1000隻以上のその他小規模な漁業者は、ほとんど操業できていません。
この状態は、漁船や漁港といった生産手段が整備されていないということではなく、福島第一原発から飛散し海に流入した放射性物質によります。
現在では、検査において、1kgあたり100ベクレルという基準値を超えるセシウムの値が検出された場合、周辺で調査行い、他の場所でも基準値が超えた場合には、出荷制限指示が行われます。現在約40種が出荷制限の対象となっています。つまり、震災から3年経過した現在の福島県の漁業は、海域や魚種を限定した上で、少数の漁業者による試験操業が行われているに過ぎないといえます。
2012年6月に開始された試験操業ですが、対象魚種と操業海域を少しずつ広げています。
しかしながら、このようにモニタリングをしながら慎重に拡大していけば、近いうちに全面的に本格操業に移行できるか、というとそうではありません。
福島第一原発事故によって海域に落下したり直接流入したセシウムの9割以上は、拡散されたと推測されています。実際に、半径20km以外の海水中には、ほとんどセシウムは検出されません。しかし、残りの1割は、海底に溜まっている状態です。堆積物中のセシウムは、海底の砂や泥の鉱物の中や間に取り込まれ吸着されており、大きな撹乱・かき回しがなければ、福島県沿岸の海底にはセシウムが長い間存在し続けることになります。
したがって、浅い海域の底に棲む魚については、放射能問題が終息する見通しは低く、多くの漁業者による本格的な漁業再開には、まだまだ時間を要すると考えられます。
このため、福島県の漁業者は大変厳しい生活に追い込まれています。
試験操業による漁獲物の売り上げは、直接の収入にはならないので、漁業者は基本的に補償金に身を任せている状況です。補償は、原子力損害賠償法に基づき、適切に行われることとなっていますが、操業ができてこそ生業であるといえます。
そして、なかなか将来の見通しが無いままに、事ある度に汚染地下水や、いわゆる風評被害への対策を強いられています。
また、現在の試験操業の漁獲物を水揚げしている港は、北部の相馬市にある相馬原釜市場と南部のいわき市にある小名浜魚市場のみです。本来ならば、獲れた魚介類を、一部は加工して出荷するのですが、加工工場がほとんどありません。獲って運ぶだけですので、地域経済への波及は大変小さいものにとどまっています。
加えて福島第一原発は、廃炉まで約40年を要するとされています。恐らく廃炉の工程は、遅くなることはあっても早まることはないでしょう。放射能問題については、どれくらい我慢すればいいのか、見当がつかない状況です。
そして時間の経過とともに、格差が広がっています。福島県の中でも、試験操業の基地となっている2つの地域間以外は、全く漁港は機能できていません。地域間、漁業種間、漁業者間の格差がますます拡大しています。
では、今後何が必要なのでしょうか。
最も大きな課題は、日本として福島県の沿岸部の復興をどうするのかということです。計画的避難区域や警戒区域の市町村を復旧させるのか、帰還を可能とするのか。3年が経過し、帰還できずに移転先で亡くなる例、いわゆる関連死が1700名を超えました。直接被災死を上回る数字です。先延ばししていい課題ではないと考えます。
その課題ともちろん関係しますが、漁業者がどこに住み、どのような漁業を行うのかという現実的な問題があります。居住地も漁業種類もこれまでどおりとはいかないわけです。加えて、漁場は隣の県とも共有していました。今後の操業について、誰が主導して組み立てていくのか?福島県だけでは解決しない問題です。
これらの課題は一言で言うと、「中長期的な福島の漁業プラン」が必要だということです。自ずと他の県とは違った水産業の「復興計画」が求められるわけです。
福島県は、「ふくしま農林水産業新生プラン」を2013年3月に発表し、農林水産業のめざす姿、それに向けた施策を発表しました。水産業については、生産基盤の整備、漁業担い手の育成、つくり育てる漁業の推進などの計画が示されています。その新生プランでは、2020年までには、震災前と同じ漁獲量に戻すという目標が掲げられています。また産地流通については、今、試験操業の漁獲物を水揚げしている相馬といわきの2つの漁業拠点だけでなく、12の市場を再開させる計画になっています。
しかしながら、現実的なものとして漁業者に受け止められているかどうか。また福島県沿岸部の復旧・復興の全体像がイメージできるかどうか。
被災地の漁業者は、当初の「もう海を見たくない」という意識から、「やはり魚を獲る。海で生きる」というふうに変わってきています。漁業再開・継続を強く希望する漁業者も多くいます。そのような意志を後押しするような現実的な中長期的な漁業プラン求められると思います。そしてそのような福島県沿岸部の 福島県浜通りの将来図こそが、漁業者や避難している住民に展望を与えるものと考えます。