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2014.05.03 Saturday
僕が悲しむとワイフが泣いてしまうので、岡山での「ももたん」事業はここでひとつの区切りとします。
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事の顛末はFacebookとかで書いてますけどね、一応ここで区切りとします。
山陽新聞の画像を置いときます。これはこれからずっと僕の心の中に刻みつけていこうと思います。

いろいろ考えましたが、「岡山ブランド」やめます。(追記あり)

上のリンク先にも書いてますが、僕は「ももたん」の発売から1年間、商品パッケージの裏に岡山市の観光などのロゴマークを入れてきました。最初は「伝説の岡山市」のロゴマークを付けていましたが、その後、岡山市役所内のつまらぬ覇権争いで観光コンベンション推進課というところが管理する「桃太郎のまち岡山」のロゴマークが出来て、すぐにそれに切り替えました。1年間、10万箱を超える「ももたん」を販売し、東京にも販路を拡大し、大阪の百貨店にも行きました、岡山市のロゴマークを少しでも県外に送り出して、岡山のイメージアップにつながればという思いでやってきました。

桃太郎のまち岡山のロゴマークを付けた「ももたん」パッケージ裏面

1年間、このロゴマークの付いた商品を10万箱販売しても、関係者から一度もお礼の言葉すらいただけませんでした、でも、僕はひたすらに岡山市のロゴマークを日本中に広めてきました。観光コンベンション関係のホームページにすら載ることもありませんでした。特定のメーカーを取り上げるということはできないのだと言われました。しかし、一昨日、山陽新聞にこんな記事が載りました。





ESDのロゴマークを付けたきびだんごを廣榮堂の社長が岡山市長に手渡す姿です。あら、特定のメーカーがロゴマークを付けた商品を作ったら、そこにたまたま岡山市長がいて、そこにたまたま山陽新聞の記者がいたということでしょうか。そうに違いありません。なぜなら、特定のメーカーを取り上げることは出来ないはずですし、まだ発売もされていない商品ですから、事前に岡山市長と会うことなんて出来ないはずです。僕が岡山市のロゴマークを付けた商品を発売するときに、岡山市長はおろか岡山市の担当者と会ってもいないし、山陽新聞は取り上げてくれなかったし、その後もどんなに話題になろうとも、一度たりとも山陽新聞に取り上げられたことが無いからです。同じ日の夕刊の一面にこんな記事が載りました。





岡山駅のお土産売り場で売れ筋を調べたらしいです。1位〜3位まで、岡山の人からすると分かりきったお菓子の名前が並んでいます。どうして分かりきったお菓子を今さらランキングとして新聞の一面に出す必要があったのでしょうか。見出しは「岡山土産定番強し」です。1位〜3位までのランキングを出したらこうなるのはもう誰もがわかっていることです。記事中で新しい商品も取り上げられていますが、知らない商品ばかりです。ことさら数字を出して紹介している商品もありますが、計算するとさほど売れてません。

どうして新聞一面を割いて「やっぱり岡山土産はきびだんごだよね」ということを書かなければいけなかったのでしょうか。ESDのロゴマークの記事の中でも「岡山といえばきびだんご」という文言をなぜ書かなければいけなかったのでしょうか。僕には理解できません。この記事のランキングですが、どうして5位まで書かなかったのか、それは4位か5位に知られてはいけないブランドが入っていたのでしょうかね。それは僕には分かりません。

このESDロゴマークの記事、夕刊一面を使って岡山土産は定番が強いという恣意的なメッセージ。そして、はなまるマーケットの「おめざ」で取り上げられても、岡山のメディアに一切取り上げられなかった「ももたん」の不遇。いよいよ、山陽新聞と、岡山市と、廣榮堂のトリオによるエゲツナイ大人のイジメが始まったんだなあという感じです。

昨日今日とかなり落ち込みました。いよいよ排除が始まるんだなあと。不安定な僕を見て、ワイフが泣いていました。どうして泣いていたのかよく分かりません。岡山のためにどれだけ骨を砕いても、どれだけ手弁当で動いても、山陽新聞と、岡山市と、廣榮堂のトリオは「ももたん」をメディアからパージして、今まで10万個の岡山市のロゴマークを付けた商品を販売してきたことを無かった事にしようとします。そして、さも廣榮堂が初めて岡山市のロゴマークを付けた商品を作ったかのように演出します。それは理解できます。ぽっと出の僕が手柄を取ることは、この業界ではあってはならないことなんでしょう。井の中の蛙というのは、そういうものだと思います。

ボンボン社長のバカっ面を見るのも吐き気がしますし、市長のアホ面も吐き気がしますが、この記事を僕は戒めとして一生見直し続けるでしょう。出来レースとわかっていても、僕はより良くしようと自分なりにやってきた。努力が足りなかったのかもしれません。でも、僕の一番のミスは、廣榮堂の息子として生まれてこなかったことです。それだけが悔やまれます。僕が悲しむとワイフが泣いてしまうので、岡山での「ももたん」事業はここでひとつの区切りとします。

岡山のために何かしようとしてごめんなさい。
もう二度と、岡山のために何かしようなんて考えたりしません。
だから、どうか山陽新聞と岡山市と廣榮堂は僕をイジメないでください。
よろぴく♡


アイデアのスープ


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